教育ってなんだろう

2019.09.12 Thursday

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    私は「学校教育」については門外漢です。ただ現役時代に数年間ですが、海上自衛隊の人事と教育に携わった経験がありますので、全くの素人という訳ではありません。加えて、帝國海軍も海上自衛隊も組織自体が「人造り教育」という側面がありますので、40年間の現役生活では学校の先生や教職員と同じような発想をしていたかもしれません。

     

    先月、ある財団が主催する「地球こどもサミット2019」と題する会議が、都内において開催されました。この会議は今年が2回目で、今年のテーマは「僕らの地球〜海洋プラスチックごみを考えよう!」という、極めてタイムリーな議題でした。初回の昨年は、「フードロス」について子供たちが議論したとのことです。午前の部は全国から選抜した高校生(各県代表1〜2名)が、上記主題について議論しました。午後は日本を含め16か国の小中学生が円卓に着いて、同じテーマについて意見交換を行いました。子供たちは、それぞれのお国事情を踏まえて意見を開陳しました。先に議論を終えた高校生たちは、隣の部屋で後輩たちの様子をモニターしました。

     

    一言でこの会議を評価すると、とても良く構成された素晴らしい会議だったと思います。発案・企画から諸準備そして実施まで、更には来年度以降に向けた爾後の分析から教訓の摘出まで、汗をかかれた理事長や事務局の皆さんには頭が下がります。私は参加する生徒さんの募集など、ほんの少しですがお手伝いをしました。

     

    各県代表の高校生は、全国の SGH(Super Global Highschool)に依頼して代表選手を推薦して貰いました。自分がやったかのような言いぶりですが、事務局から聞いた話です(笑)。恥ずかしながら、そもそも SGH なるものの存在を知りませんでした。高校も進化してるんですね。私の郷里である香川県には未だSGH認定校がないということで、事務局が私に人選を一任してくれました。我田引水かつ贔屓ではあるのですが、先ずは此処だろうと母校に生徒の推薦と派出を打診しました。教育現場の事情など全く知らない、部外者の無茶ぶりです。勿論、良かれと思ってお願いしたのですが、学校当局からは「夏期講習」が理由で丁重に断られました。おそらくは講座以外にも理由があり、総合的に判断して決心されたものでしょう。

    私には県下の高等学校に人脈がありませんので、母校の校長も経験し教育事情に明るい後輩にお願いして、他の高校を紹介して貰いました。しかし豈図らんや(あにはからんや)、いずれの学校からも前向きな回答は得られませんでした。私としては全くの意外でした。時間に余裕がないため若干焦ったのですが、この後輩校長が「SGHではないのですが、県内に一校、SSC(Super Science Highschool)というのがあるので打診してみては如何ですか」と教えてくれました。早速、校長にメールを送って検討をお願いしたところ、「一名推薦します」との吉報あり。蓋を開けてみると、この一名(女子生徒)がとんでもない生徒でした。良い意味ですよ。失敬ながら、瓢箪から駒とはこのことです。彼女は既に”海のごみ問題”についてかなりの知識を有しており、従ってモチベーションは高く、全国の SGH 生徒に全く引けを取らないばかりか、むしろ会議でイニシャティヴを取れると確信しました。結果は、私の期待を裏切らない活躍ぶりでした。

    彼女が学んでいる学校は高松市立第一高等学校、多くの人材を輩出している歴史のある学校です。帰郷時(事前)に校長・教頭と懇談しましたが、教育に対する考え方や理念を共有することができました。

     

    長々と例を挙げましたが、今からが私の言いたいこと(本旨)です。以下は、個々の学校や生徒、またそれぞれの教育現場でいろんな事情があると察しますので、決して、私の提案に対して negative だった学校や関係者を批判したり非難するものではありません。私の教育に関するケース・スタディに過ぎません。念のため。

     

    CASE 1 推薦できる生徒が存在するにも拘わらず、夏期講習などの受験勉強が理由で、先生(管理者)の判断で断った場合:

    全国レベルの会議、しかも特殊な案件の議論に参加するためには、それなりの準備が必要になるでしょう。事務局は極力、参加者に負担をかけない募集要項にするよう努めておりましたが、生徒によっては一週間程度、受験勉強から離れることを余儀なくされるかもしれません。その一週間のブランクが災いして、仮にその生徒が第一志望校に落ちたとします。私はそれでもいいと思う。高校時代に全国から集まった各県の代表選手(生徒)と議論したという経験は、その生徒にとって第一志望校入学に勝るとも劣らない、将来の大きな糧と財産になると思う。全国にあまたいる高校生のなかで、ごくごく一握りの生徒だけが経験できる貴重な機会なのですから。その折角の機会を、先生が断ったことになります。

     

    CASE  2 希望者を募ったが、誰も手を挙げなかった場合:

    建前であるにしても「希望者がおりません」が主な理由では、先生としても管理者としてもお粗末です。自らの職責を何ら果たしていない(と私は思う)。これでは、提案した側(私)と対象者(生徒)の単なる仲介者になってるだけ。そういうのを、我々の業界用語では「伝声管」と言います。もし先生自身が「こんなもん下らん」と判断するのであれば、(生徒には罪な話ではありますが)それはそれなりに納得できます。そうではなくて、先生自身は良い企画だと判断するのであれば、仮に「我が校の生徒では能力的にちょっときついかな」と思っても、前向きに検討するよう生徒を誘導・指導すべきではないか。生徒の可能性を信じて、教え導くと言うこと。そのためにこそ、存在している教育者ですから。

     

    CASE 3 モンスター(保護者)を忖度する場合:

    現在の日本社会ですから、残念ながらこれはありそうなシナリオです。我が子が受験の大事な時期に、貴重な時間を割いて、訳の分からんことに浪費するのは反対だ。そう考える保護者は結構いそうな気がする。さてそんな時、先生はどう対応する? それは当該先生の信念次第です。この生徒にとって良い機会なんだけな〜と思ってはいても、信念がなければ保護者を説得することはできません。何せ相手はモンスターなんですから(笑) 信念ある人は、保護者を説得する資料・材料が不足していると思えば、事務局に更なる情報の提供を求めるなり、自分で調べるなりするでしょう。そこまでやらないのは、信念がないということです。夏休みを前に降って湧いたような余計な仕事はしたくない、というお役人先生の心理も理解できないことはないですが・・・。

     

    CASE 4 教頭以下の学校職員が反対の場合:

    この場合には、拙著『指揮官の条件』を参照です(笑)。いずれの CASE にせよ最終判断と結果責任は、指揮官である校長にあります。生徒は手を挙げない、教頭以下の職員も反対の立場。自分もそれに同意であれば、それはそれで宜しい。しかし校長自身は、自らの経験と知識から、生徒の為にも学校の為にも生徒を推薦すべきだ(した方が良い)と思うのであれば、毅然として自分の考えや方向性を明らかにすべきです。但し、モンスターに「あんたのせいで、うちの子は東大に入れなかった」と文句を言われても、それは甘受しなければならない。加えて、「いえそうではありませんよ」と相手を納得させる、即ち反論できるだけの知識と信念を持っていなければならない。指揮官(校長)には、その能力と覚悟が求められます。

     

    些細なことですが(個々の生徒にとっては決して些細なことではないのですが)、郷里の生徒募集に関わって上記のようなことを思った次第です。個人的な思い込みかもしれません。しかし高校野球で甲子園出場となれば、卒業生や地元市民・企業から何千万(かな?)という浄財をかき集め、何台もバスを仕立てて応援に乗り込みます。ここで校長や教頭が「みなさんちょっと待って下さいよ。えっと〜・・・」なんて言ってたら、袋叩きに合うでしょう(笑)。でも甲子園に行くのと、全国規模の会議に参加するのとでは何が違うのだろう? 正直、私にはよく分からん。

    恨みで言うのではありません。しかし、大人(管理者や親)は、子ども(生徒)の目の前にぶら下がっている、それこそ降って湧いたような千載一遇のチャンスにシャッターを下ろしてはいけない。それぞれの教育現場には多々事情があり、私が知らない問題もあるでしょう。ですが、これだけは言える。お利口さんで、こじんまりした生徒(近い将来の大人)ばっかり作ってはいかんぞ。そんなことしてたら、この国はいずれ世界に太刀打ちできない国になります。

     

    高校生の終わり頃、かつて担任だった先生がパチンコに連れて行ってくれました。防衛大学校の合格祝いだったのかな〜その時のシチュエーション(状況)は忘れましたが、場所は高松瓦町の有名なパチンコ屋(笑)。両手に一杯ずつ購入した玉は、二人とも瞬く間になくなりました。That's all ! 青年将校(熱血先生)でした。お陰様で私は、お馬さんもボートも競輪もマージャンも一切やりません。ギャンブルと一緒にしてはいけませんが、株にも興味がありません。面白くない男ではあります。

    でも今こんな教育をやったら、モンスターにチクられて教育委員会や保護者会で吊し上げを食らうんでしょうな(笑)

     

    追伸 今回の会議(子どもサミット)に、在京の「中華学校」から2名の中学生が参加してくれました。彼らが流ちょうな日本語と英語で議論にジョインしてくれたこと、望外の幸せであり本当に嬉しかった。

     

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    学問と軍事

    2019.08.29 Thursday

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      ブログを書くときは、いつも意気込んで半ば楽しみながら書くのですが、今回は何とも気が重い。ならば書かなきゃエエんですが、性分ですからそうもいかん。他人様のことについて描くのは勇気が要ります。相手が山のように大きい場合には尚更です。

       

      今春、『夏の坂道』という本が世に出ております。我が母校(香川県立三本松高等学校:旧制大川中学校)の大先輩である南原繁さんをモデルにした長編の歴史小説です。小説という形ではありますが登場人物は実名であり、限りなくノンフィクション(評伝)に近い作品だと思います。東大総長を務められた南原さんは、母校の知性であり誇りです。我々後輩にとっては、まさに雲の上の人。この本は、全編を通して人間の愛(慈愛)が大きなテーマになっているとの印象を受けました。家族の愛、友だちの愛、教え子への愛など。南原さんご自身は勿論のこと、著者の知性が行間からほとばしるかのようです。人間の愛と同時に、時々の政局に直面する南原さんの戦いや、学問に対する苦悩が鮮烈に描かれています。素人の私が言うのも僭越ですが、素晴らしい作品だと思います。

       

      ではあるのですが、勇気を奮い起こして正直に言います。終戦前後、特に戦後の(国内政治)情勢に関するご意見や考察については、シンパシーを感じるところがなかった。軍事という、真理を追求する学問とはおよそ対極に位置する世界で生きてきたこともあり、母校の後輩でありながら南原さんの思想などについて勉強したことはありません。退役してから何回か、南原さんについて学ぶ勉強会に誘われたこともあるのですが、申し訳ないと思いつつ一度も参加したことはありません。大先輩の深層に近づきたいと言う思いはありましたが、何となく引っかかるものがあり気が進まなかったのです。世に有名な、吉田(茂)総理との論争も腰が引ける一因ではありますが、敢えて言えば私の直感です。

      ですから、この本に描かれていること即ち、南原さんを通じて著者が世に問うておられることが、南原さんご自身の深い思索の結果=南原哲学なのか、或いは著者のお考えなのかを峻別する知識を持ち合わせておりません。おそらくは前者であり、そして後者でもあるのではないかと推察しております。でなければ、実名入りの物語にはならないと思います。

      この本は「小説」となっております。ですが読んだ人は、(多少の創作があるとは感じても)作り話だとは誰も思わないでしょう。歴史上の人物や群像、例えば宮本武蔵にしても坂本龍馬にしても忠臣蔵にしても、或いは秋山真之にしても山本五十六にしても、誰かが描いた平易な読み物や映像を通じて、庶民は自分なりの「その人(ひと)像」を頭の中に作り上げます。一般大衆が偉人の一次資料に、直接触れることはまずありませんから。そういう意味において、小説家や脚本家の力は大変大きい。従ってそれがまた、後世の町おこしなどに利用(活用)されたりするわけです。

       

      読後に感じたところを述べます。何か所か違和感を持ったところがありますが、次の一点は専門領域でもありますので、浅学を顧みず思うところを開陳します。

       

      戦後の再軍備について:少し長くなりますが転写します(下線は筆者)。

      ・・・世界諸国が戦争を放棄し平和の秩序を作ったとしても、それを破壊する行為はときに出現するだろう。だからそれを抑止する国際共同の武力あってもいい。だがそれはこれまでの各国の軍備とは完全に異なる観点に立っていなければならない。それがすなわち世界の秩序違反を抑止する国際警察行為である。・・・人類は水爆を生み出し、もはや戦争が不可能となった今、警察という概念を超える軍備は不要である。人類の戦争はたった一発の水爆でケリが付いてしまうからだ。そして自衛のための軍備にはおのずと程度と限界がある。日本では戦後間もなく作られた警察予備隊が保安隊へと発展し、現在は自衛隊となっているが、保安隊のレベルでとどめておくべきだ。・・・

       

      人類は「(大量殺戮兵器である)水爆を手にしたので戦争はなくなる」と考えるのは、これ(原爆)が出現した直後であれば、人間の心理としては大いに理解できますが、今日に至ってもそう理解するのは短絡に過ぎないでしょうか。戦争はしてはいけない。国家間の問題を武力に訴えてはいけない。大量殺戮兵器を使用してはいけない。子や孫や教え子を戦場に送りたくない。そのとおりです。誰だってそう思う。しかし人間が生きていく以上、人間の本質を無視することができないのも冷厳な事実です。一人の人間であれば孤高の人は或る意味美しいし、本人さえ納得しておれば、そして他人に迷惑さえかけなければ、誰に何と言われようと何と思われようが「我が道を行く」で生きてゆけるでしょう。それが仮に、宇宙の真理であり人類の理想であったとしても、国の舵取りとなると極めて難しい。これだけ世界がグローバル化すると、今や一国だけで生きてゆくことは不可能です。

      人類は「原爆・水爆を手にしたので戦争は起きない」は幻想に過ぎません。第二次世界大戦以降の歴史と、今日の国際情勢がそれを証明しております。大量殺戮兵器であるが故に、紛争・戦争当事国や周辺諸国の絶対多数の国民が消滅するような使い方はしない。何百年に亘って、後世に禍根を残すような使い方もしないでしょう。人間はそこまで浅はかではないし、そこまで暴力的・破壊的でもないと思う。

       

      翻って第一次・第二次世界大戦のような、多くの国を巻き込んだ大戦争が起きる可能性は、ゼロではないが蓋然性としては低い。だからと言って戦争がなくなるかと言えば、全く逆の結果になるはずです。例えば東西の冷戦時には、戦争や紛争は意外と少なかったが、冷戦の終結と同時に世界中のいたるところで煙が上がり始めました。米ソの冷戦というカッチリしたタガ(枠組み)が外れたわけです。斯様に人間が人間である限り、残念ながら戦争や紛争は無くならないと私は思っています。ただこれからの戦争は、戦争か紛争か小競り合いか、明確には峻別できない形で起きる可能性が大きい。状況によってはテロ組織のような、戦う相手が国ではないかもしれません。有事でもない平時でもない、グレーゾーンと言われる領域です。

       

      例を挙げます。現在、我が国との関係がとてもおかしなことになっている隣国の某が、日本の領土である竹島を何十年に亘って不法に占拠しています。北方四島もそうです。ですが今もって、相手国との戦争や武力紛争には至っておりません。なぜか? それは単に、我が国が抑制的であったからです。日本の能力(ハード&ソフト)の問題もあります。この能力には「意志」を含みます。もしこれが逆の立場であったなら、違った形になっているはずです。この島々をめぐる権益が将来どうなるのか、我が国の展望は見えないまま今日に至っています。小さな島の一つくらい手放してもエエがな、と安易に考えてはいけない。海面にほんの少し顔を出している岩礁でも、そこには大変な権益や戦略的な価値が包含されています。この二件とも、どこかで問題を解決しない限り、後世に後世にとツケを回すことになります。

       

      もう一例:近い将来、虎視眈々と太平洋の覇権を狙っている、どこやらの国が尖閣に上陸して居座ったとします。その時、日本はどう出るか? 我々は北方四島と竹島で何を学習したか? 現下の国際情勢から何を学んでいるか? もしこれを放置すれば、日本の地図の色や国境線やEEZ(排他的経済水域)がどんどん変わっていく(縮小する)のは自明です。国が小さくなるだけで済む問題ではありません。この国の歴史や言葉や文化が消滅する(ことさえあり得る)。何としてでも国を護るという強い意志を内外に示さない国、示すことができない国は蚕食の憂き目にあいます。鉄の女と言われたイギリスのサッチャー首相は、自国の領土が侵されたとの報に接するや、直ちに大艦隊を派遣してこれを奪還しました。王子もヘリコプターのパイロットとして参戦しました。国家の権益を護る、国民の生命財産を護るというのはそういうことです。決心決断の裏付けとなる軍事力は勿論必要ですが、むしろ為政者と国民の覚悟の問題です。

       

      では多様な形の戦争や紛争に備えて、国家としてどの程度の軍事力が必要なのか? 難しい問題ですが、一言で言えば我が国の国力と同盟国の力を勘案し、取り巻く情勢に応じた軍事力です。何を持って、日本の国防力は「保安隊のレベルでいい」と言えるのか? その意味するところを、具体的に知りたいと思う。

      「警察という概念の枠内での軍隊」:警察と軍隊の本質は全く違います。いずれも国家が独占している「力」ですが、犯罪の防止 & 治安の維持と、国権の発動としての武力の行使を同列に扱うことはできません。自衛隊の出自が警察予備隊であるから、しばらく警察予備隊と呼んだことから、広く国民の間でこのような誤解が生まれたのでしょうか。文字通り読めば警察のリザーブ(予備)ですから。

      戦後、教育の場から「軍事」を排除したことも、国民の国防・軍事音痴を助長しています。国の生存という根幹に関わることを、この国の将来を担う青少年に教えない。普通の国ではあり得ないことです。子供がヨチヨチ歩きで外に出だすと、道路を横断するときには「右見て、左見て、もう一回右見て。OK GO」って教えます。親の務めとして。如何にして危険要因を排除し自分を守るか、これを教えるのは親の義務であり、広くは大人の義務です。戦争中は「敵性言葉」だとして英語を教えなかった。これが如何に愚策であったか、今では小学生でも分かります。

       

      創設時の規模はどんなに小さくてもいい、よしんば警察力より小さくても構わん。最初から陸海空軍と呼んでおれば、或いは早い段階で軌道修正しておれば、このような誤解は生じなかったかもしれません。たった一隻の小さなパトロール・ボートしかなくても、旭日旗を揚げて「新生日本海軍の旗艦」だと言うべきだった。最初にボタンを掛け違えるとこうなる訳ですが、ただ国内の情勢がそれを許さなかったのですから、今頃それを言っても詮無いことではあります。問題は今後です。

       

      北欧で大使館勤務をしていた時、(任国の)国際問題研究所に勤務する気鋭の研究員と懇意にしておりました。私の交友を聞きつけた大使が、次のように言ってくれたことをよく覚えております。「武官、それ(研究員との交流や意見交換)は大変良いことです。彼らが今考えていることが、直ぐにこの国の政策に反映されるとは限りませんが、十年後、二十年後に国家の方針や政策になることがあります。従って、今彼らが考えていることは、この国の将来を占う上で貴重な情報源になります」。大学の教員には教育と研究の二つの役割があります。単なる研究員に比して、その責任はより重いと思う。官僚は今日・明日の案件処理に奔走するので、ともすれば長期的な視点を見失いがちですが、学者や研究員は専門的な視点で物事を掘り下げる。と同時に俯瞰して、行くべき方向を見出す時間と心の余裕があります。

      真理を探求する高邁な学問・学識が、美しい理論や概念のままで終わることなく、人類のため日本のために、より良い形で具現化されることを切に願うものです。

       

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      『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』 余話 III

      2019.08.15 Thursday

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        去る8月3日(土)、郷里の東かがわ市交流プラザにおいて『樋端さんのこと』と題する講演を行いました。現在、東かがわ歴史民俗資料館に於いて開催されている「帝國海軍の至宝 樋端久利雄」特別展の一環として、東かがわ市が計画して下さったものです。主催者のご尽力により350人収容の会場はほぼ満席で、講師冥利に尽きる講演になりました。地元市民を始め高松や西讃(丸亀・観音寺方面)、或いは県外からも多くの方が駆けつけて下さり、いつになく私も力が入りました。金毘羅さんの参拝を兼ねて東京から来た、と言う人もおられました。有り難いことです。

        何といっても、戦死された樋端さんの遺児でご長男の樋端一雄さん(90歳)が、必ずしも体調万全でないところ本講演会のために京都から足を運んで下さり、冒頭で御父君への思いを述べられました。それによって、とても重厚で意義ある講演会になりました。あとで知人が教えてくれたのですが、涙ぐんでいるご夫人もおられた由。

         

        少し長くなりますが、以下は一時間講演の要旨です。

         

        まず最初に本日の講演では、事柄の性格上、専門(軍事)用語が頻繁に出てきますので理解が難しいと思います。できるだけ平易に語るよう努めますのでご容赦ください。 さて演題を「樋端さんのこと」としていますが、これは海軍の伝統によるものです。海軍ではどんなに高官(元帥や大将)であっても、退役した人は「〇〇さん」と呼びます。従って、本日は終始「樋端さん」と呼ばせて頂きます。

        私が初めて「樋端久利雄」という名前を知ったのは、昭和43年4月18日です。この日、母校(香川県立三本松高校)では、大先輩である毎日新聞社会長(当時)田中香苗さんの講演会が行われました。私は10日前に入学したばかりの一年生でしたが、田中さんの話(樋端さんのこと)を聞いて防衛大学校への進学を決意しました。この日は、奇しくも樋端さんがソロモン(ブーゲンビル)に散ってから数えて丁度25年目の日でした。不思議な縁(えにし)を感じます。

         

        帝國海軍の至宝はどれほど優秀であったか:

        樋端さんは、生まれてから39歳で戦死するまでの間、成績という成績において全て首席(一番)を通しました。当時、海軍兵学校は「一高(旧制第一高等学校)か海兵か」と言われる難関校でした。それを、中学4年修了(飛び級)で悠悠と合格です。

        江田島(海軍兵学校)に向かうに際し樋端さんは、半紙一枚に墨痕鮮やか、両親と長兄宛に「告辞」と題する決意の書を残しております。中でも、特に次の一節は秀逸です。

        ・・・将来ノ敵ハ先ズ海上ニオイテ雌雄ヲ決セントス 天ニ二日(にじつ)ナシ海ニニ覇アルベカラズ・・・

        これを現代語に訳すると、後段は「天に二つの太陽がないように、海に二つの覇権(海軍力)は存在し得ない」と言います。そして前段に帰って「従って近い将来、太平洋において日米両海軍が衝突する」と予言します。当時(大正9年:1920)、情報源は新聞程度しかない田舎の中学四年生(現在の高校一年生)が、真珠湾攻撃の20年以上前に日米開戦を看破している。樋端さんにはそれだけの先見性と歴史観があり、であるが故に海軍を志す、という国家観をも持っていたということです。

        しかもこの「海にニ覇あるべからず」は、現在の国際情勢においても生きている真理です。例えば東西の冷戦時代、太平洋では米第7艦隊+海上自衛隊とソ連太平洋艦隊が拮抗していました。ソ連はレーガン大統領が打ち上げた”600隻艦隊構想”に対抗して軍拡に走りますが、経済が疲弊して国そのものが無くなりました。冷戦の終焉です。現在はロシア(旧ソ連)海軍にとって代わって、中国海軍が勃興しつつあります。果たして二十年後の太平洋の力学は、どのようになっているのでしょうか? 本日は趣旨が違うので多くを語りませんが、我が国にとって死活的に重要な問題です。 

         

        樋端さんは海軍兵学校を首席で卒業します。卒業式のご名代は、伏見宮博恭殿下(海軍大将、軍事参議官)です。卒業式には、両親が讃岐から駆けつけ参列しています。恩賜の短剣を拝受する我が息子を、どれほど誇らしく感じたでしょうか。

        同期生の2割弱が入学試験を経て海軍大学校に進みますが、樋端さんはここも首席で卒業します。天皇陛下の行幸を仰ぎ、卒業式では軍刀(長剣)を下賜される栄に浴します。海軍兵学校・海軍大学校ともに首席で卒業(所謂、二冠を達成)したのは、帝國海軍76年の歴史でたったの二人しかおりません。

        昭和11年3月、樋端さんは恩賜の軍刀を引っ提げて故郷に凱旋し、母校(大川中学校)で講演をします。この時の記念(集合)写真が残っておりますが、彼はなぜか平服(背広)です。海軍大学校恩賜となれば、周りには将来の海軍大臣・軍令部総長と目され、本人の心情も”飛ぶ鳥落とす勢い”のはずです。彼が平服で帰郷したのは、本人のシャイな性格もあるでしょうが、要は「ほんまもん」は裃を付ける必要がない、即ち何ら自分を大きく見せる必要がない。従って、常に淡々としているということでしょう。

         

        その後、樋端さんは海軍省(霞が関)勤務となります。配置は軍務局第一課(員)。軍務局は海軍省の筆頭局、第一課はその筆頭課です。この時に一緒に勤務した東大出の書記官が、戦後述懐して曰く:

        ・・・軍人はバカと石頭の集団とばかり思っていたが、樋端中佐が起案する文書は完璧で文句のつけようがない。質問に対する説明は丁寧で、しかも軍事専門家として理路整然としている。それでいて謙虚でおごり高ぶるところは微塵もない。これが本当の海軍の秀才かと頭が下がる思いがした。・・・

        斯様に樋端さんは、人格識見ともに兼ね備えた稀有な人材でしたが、私は彼を天才と呼ぶのには違和感があります。即ち、彼は努力の人でもあった。中学時代には、学校への登下校時に歩きながら本を読む。家に帰ると農作業が待っている。その合間に、庭の柿の木に登って英語を暗唱する。なぜか? 木に登って勉強すると、居眠りをすると落下するので自然と集中できるから。夜は油代が勿体ないので、遅くまでは勉強できない。後年、本人が当時を振り返って「あの頃はまさに蛍の光・窓の雪の世界だった」と。

         

        海軍大学校の学生時代、樋端さんは空母の運用について提案します。当時、教官の一人に小澤治三郎大佐(最後の聯合艦隊司令長官、中将)がいました。後年、空母運用の第一人者と言われた提督です。彼は「空母の使い方(作戦)については樋端に教えて貰った」と述懐しています。

        もう御一方、大西瀧治郎中将。この人は特攻の生みの親と言われ、多くの若い命を死に至らしめたと責任を感じて、終戦時に自決した人です。大西さんは山本(五十六)さんと同じように航空機推進派ですが、彼の空母+航空機作戦の理論的な裏付けは樋端さんがやった。樋端さんが大西さんに直接仕えたことはないのですが、大西さんの陰の参謀と言われています。

        更に、このときの樋端さんの発想は、現在、世界第一級の米海軍が採用している空母打撃任務群の原型と言えます。私には、今封切中の映画「アルキメデスの大戦」の主人公(菅田将暉が演じる東大出の天才数学者:海軍技術少佐)と樋端さんがピッタリ重なります。勿論、樋端さんはバリバリの兵科将校ではありますが。

         

        支那事変における飛行長としての戦績:略

         

        聯合艦隊航空参謀:

        昭和17年11月20日付、樋端さんは聯合艦隊航空甲参謀に補されます。司令長官は山本(五十六)さん。この人事には、山本さんの強い引きがあったと推察しております。理由を挙げて説明します。

        1.樋端さんの岳父(井上繁則)は、山本さんと海軍兵学校の同期(32期)です。山本さんは井上さんに「貴様の婿を借りるぞ」と事前に仁義を切ります。この仁義は「自分はいずれ逝く。婿さんについても(戦死を)覚悟してくれ」と言う意味です。井上さんは「こういうご時世だ。覚悟はできている」と応じています。

        2.樋端さんの聯合艦隊航空参謀への補職は二回目であり、私の経験からして、これは通常あり得ない人事です。即ち、同じ配置(航空参謀)で、しかも自分より序列後任の者の後を襲うと言うことは、ある意味降任・降格に等しいからです。従って、山本さんにとっては「樋端でなくてはならなかった」ということ、即ち余人を持って代え難しの人事です。次の作戦参謀へ、という含みがあったと考えます。

        3.山本さんの国葬が終わって数日後、山本禮子夫人が樋端邸を弔問して千代夫人に「大切な人を道連れにして申し訳ありません」と詫びました。禮子夫人は戦後(昭和37年)も、樋端家に弔意を表しています。この年、練習艦隊が初めて赤道を南下するとの情報を得た禮子夫人は、出港準備中の練習艦隊を訪れて「これは樋端航空参謀への追悼文です」「ブーゲンビル島の近傍を通過する際に海に投げ入れて下さいませんか」と白い封筒を艦長に託しました。これ即ち、山本さんは生前、自分の参謀として樋端さんを引っ張ることを、しばしば禮子夫人に話していたのは間違いないでしょう。

         

        ではなぜ、山本さんは樋端久利雄に白羽の矢をたてたのか? 一言で言えば樋端さんは「山本さん好み」だった。具体的には:

        1.聯合艦隊は既にじり貧の状態にあり、戦勢を回復するためにエースを登板させた。

        2.地球儀で国際情勢を判断する・できる山本さんは、遠からず日本は負けると思っていた。従って、聯合艦隊の後始末のため、もう一歩踏み込んで言えば、海軍の敗戦処理のために樋端さんをもってきた。 

        というのが私の推理です。

        そして、昭和18年4月18日、山本さんが岳父井上さんに告げたことが現実のものになります。

         

        前々回のブログ『海軍と日本』関連:

        歴史にif(もしも)は通じないが、もし樋端さんが生き残って戦後の復興にどれほど貢献されたかと思うと、歯ぎしりする思いです。そして樋端さんと南原さん(元東大総長)、同郷の二人が対談したなら・・・東讃(旧制大川中学)が生んだ不世出の二つの知性、類まれな二つの頭脳が膝を交えた時、どのような話の展開になるのだろうか? 

        最近、そんなことを思います。

         

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        Workaholic

        2019.08.01 Thursday

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          突然ですが、一所懸命に働くのは何か間違ってますか? 一生懸命に働くってことは、可笑しいことでしょうか?

          この疑問に対する私なりの結論を急げば、世界に誇る日本人の高い民度は、とにかく懸命に働くことによって向上し維持されてきたし、今後もそうであって欲しいと思う。

          よく例に出されるのが、戦後の廃墟から立ち上がった奇跡の復興です。特に経済復興。「どこかに故郷の香を乗せて・・・」の世界です。完膚なきまでに叩かれながら、それでも立ち上がって、わき目もふらずに働いてきた結果です。中には負の成果や忘れ物もありますが。またご一新後の急速な発展や近代化は、勿論、日本の夜明けを牽引した先人の先見性に刮目すべきですが、基本的にはこの小さな列島に住む民衆、この国の民の「向上心と働く意欲」によって導かれたものでしょう。いくら将来を見越した立派な旗振りがいても、それに応じて汗をかく大衆がいなきゃ国家のゴール(国家目標)には届きません。

           

          小国民が最近の「働き方改革」と称する議論やこの国の昨今の風潮を危惧するのは、一生懸命に働くことが何か「悪いことをしている=悪」みたいな空気があることです。多様な意見があってもいいと思いますが、国全体の大きな流れがそうなるのはちょっと危ない。大多数の国民がこぞって、「汗水流して働くなんてバカみたいだ」「アホらし」「そこそこに働いとけばいい」みたいな感覚になると、国の成長は頭打ちになるはず。勉強でも仕事でも、何をやったって同じ程度の潜在能力なら、他人(ひと)より努力した方が勝つにきまってます。

          直接的には本件とリンクしませんが、何年か前に過労死が大きな社会問題になりました。今だに、ちょくちょく同じような例が報道されます。生身の人間が体と頭を使って仕事をするわけですから、適正な労務管理は働く者にとって極めて重要です。でも過労死は、働くこと自体が主たる原因でもたらされるものではない。懸命に働くことが悪いのではなく、上司や管理者が部下に対して人間の肉体的・精神的な限界を超えてまで働くことを(半ば)強要すること、或いは自らの意志でそうする(過剰に働く)こと、またそういう環境や空気が職場で醸成されていることが間違っている、ということです。人間は機械(鉄人)ではないので、(一日)24時間働き続けることはできません。しかも辛抱できる限界は、人によってマチマチです。このような労務管理の問題を、日本人の美徳である「誠実・勤勉」と同列に扱ってはいけない。どうもそこを混同して議論しているような気がします。

           

          徹夜で仕事をするのは邪道、現役の時からそう思っています。仕事の効率が極めて悪い。そして、長期戦には絶対に耐えられない。でも日本人は「徹夜で頑張ること」が好きですよね。それが美しいことみたいに思っていて、徹夜で頑張ったと聞くと琴線に触れるものがある。しかしそんなことして、継続的に成果を出せるわけがないのです。私が見た限りアメリカ人(軍人)は、絶対にそんな仕事の仕方をしない。必ず仕事と休息・休養を交互に入れます。我々が一日(24時間)交替の当直を組むときには、彼らは半日交替とか8時間交代にする。日本人よりもずっと理に叶った、人間の生理を尊重したやり方です。日本人は拳を揚げて「頑張るぞ〜」みたいな、精神論や勢いで頑張ろうとしますが、彼らはあくまでも理論的に組み立てようとする。だから過労死なんてあり得ないわけです。その結果、日本は集中力があるので短期決戦には強いが、長期戦になると息が切れる。軍における労務管理の問題は、日本がアメリカに敗れた要因の一つだと思う。

          ただ、時には(ここぞという時には)ぶっ続けての仕事を余儀なくされることもあります。要するに、汗をかく人(作業者)に如何に効率よく、しかも快適に仕事をしてもらうか(させるか)を管理者は常に考えなければいけない。ゴールを明示することと適正な労務管理は、リーダーの必須要件です。

           

          ゴメン!言ってることが支離滅裂になってきたので、自分のことに話を転化します:

          と言いながら私は仕事が好きです・・・多分。目の前にある仕事自体が好きです。好きな仕事を選んでやっているから、ということもあるかもしれません。仕事をすること、即ち体を使って(ほんのチョビット頭も使って)行動し、その成果物として何かが転がる(動きだす)ことが好きなんだと思います。汗をかいて何がしかでも良い結果が出ると、心が爽快になります。事の大小や得られるお金の額などは、あまり関係ありません。勿論、成果は大きいほど宜しい(笑)。しかし、ほんの些細なことであっても達成感ですね。そして生きがい。仕事の達成感と言うのは、何ものにも代えがたい。生きる喜び、生を実感すると言っても差し支えないと思います。だから大した事でなくても、全力投入する。私のこのような姿勢・生き方は、敵がどんなに小さなターゲットであっても執念を持ってせん滅を図る、ミリタリーの性(さが)かもしれません。

          大した努力をしてもないのに、成果が得られることが稀にあります。これはギャンブルで当てるようなもので、たとえ得られるものが大きくても心の喜びは小さい。やった〜と声には出るかもしれませんが、じわじわと来る心の満足感はありません。

          私の発想が、所謂ジコチュウ(自己中心的)であることは否定しません。僅かな名誉欲もあるでしょう。でも自己中だろうが何だろうが、些かでも社会に貢献できるのであればそれで宜しいがな。

           

          退役して多くの民間人と付き合い観察して分かったのですが、大きな仕事(ここでは取り扱う事業のレベルや金額を指します)をする人・できる人は常人とは着眼が違うんだよね。私のようにチマチマしたことなんか目標にしてない。パパイヤ1個が5百円で売れた〜みたいな(笑)。でもね汗をかいて得られたものは、たとえ小さくても達成感があるんですよ。私は日本の子供たち・地域の子供たちに、農を通じてそんな経験をさせたいと思っています。

          表題と全く関係ない話になっとる(笑)

           

          さてWorkaholic :日本語では「仕事中毒」とかあまり有り難くない訳をされますが、私が信頼する英英辞典でも次のように説明しているので、欧米でもいい言葉ではないようです。少なくとも尊敬されてる風情ではないですね。人間の尊厳を重視する欧米ですから、当然そういう見方になるのでしょう。

          A workaholic is a person who works most of the time and finds it difficult to stop working in order to do other things.

          それは分かる、でも素朴な疑問です。ノーベル賞を受賞するような研究者や金メダルを取ったオリンピック選手や世界的な大きなプロジェクトを成し遂げた人などなど、歴史に刻まれるような成果を出した人の、血がにじむような努力は当然のことながら世界中から称賛されます。でありながら一般庶民のこと(働きバチ)になると、何故素直に受け入れられないのだろう・・・?

           

          繰り返します。老兵(Old Sailor)が心配することでもないのですが、国民の一人ひとりが使命感を持って誠実に、一心に働くことを笑ったり否定したりしてると、いつかこの国は「日本」という国名ではなくなりますよ。よしんば生き延びても、二流国・三流国に落ちぶれてるはず。

           

          明日への向上心をなくした国、そして働く努力を忘れた民族や国に栄光はありません!

           

           

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          海軍と日本

          2019.07.18 Thursday

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            此処のところ少し時間があったので、『海軍と日本』(池田清:中公新書)を再読した。私はそれほど読書が好きではないし勉強も嫌いな方なので、同じ本に何回も目を通すことはまずない。しかしこの本と『戦艦大和ノ最期』(吉田満)だけは、折に触れて開いてみる。少し考えが違う所もあるが、この二冊は私のバイブルとも言える貴重な蔵書である。現役の時には、仕事に迷いが生じた時や、行くべき方向を見失いかけた時に紐解いた。

            著者の池田清さんは海軍兵学校73期、海軍中尉で終戦を迎え、戦後東京大学(法学部)に学んだ後、長年に亘り東北大学で教鞭を取られた政治学者である。

             

            恥ずかしながら、私がこの本の存在を知ったのは『戦艦大和ノ最期』に比べるとかなり遅い。平成9年(1997)、前年にノルウェーから帰国し練習艦隊(首席)幕僚の配置に就いていた。この年、練習艦隊が大阪に寄港した際に宝塚(歌劇団)の小林公平さんに、任官したばかりの初級士官に対する講話をお願いしていた。私も拝聴のお相伴にあずかり、後輩の最後列で話しを聴いた。小林さんは講演の中でこの本を紹介され、若い幹部に是非読むようにと勧められた。早速、一冊求めて出国前に一読した。小林さんご推薦の通り、とても示唆に富むものだった。不勉強でそれまでこの本の存在を知らず、不明を恥じるばかりであった。しかし仮に若い頃に読んでいても、手強くて中身を咀嚼するまでには至らなかったと思う。

            因みに、小林さんは海軍のご出身(海兵75期)で、そのご縁で海上自衛隊、特に練習艦隊は「宝塚」と懇意にさせて頂いている。練習艦隊は遠洋航海に出る前に、実習幹部を海洋と艦に慣らせるため(慣海性の涵養)内地(国内)巡航を行っており、大阪又は神戸には毎年寄港する。その際に催される地元の歓迎レセプションでは、「すみれのは〜な〜・・・♪」が会場に響き渡る。帝國海軍の遺産と縁は有り難いものである。音楽学校の躾けを含む教育には、海軍の伝統が反映されている(と仄聞する)。

             

            今回この本をひも解いたのは、近々のうちに地元で拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』の主人公、樋端久利雄について講演を行う予定があるので、もう一度自分の知識と考え方を整理したかったからである。拙著三冊に描いている私のものの見方や考え方は、多分にこの本『海軍と日本』と『戦艦大和ノ最期』の影響を受けている。とりわけ『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』、即ち樋端さんの生涯は帝國海軍の勃興と衰退そして終焉に繋がるので、必然的に『海軍と日本』に重なるのである。

            大変生意気な言い方ではあるが、拙著『ソロモン・・・』で私が描こうとしたのは樋端さん個人の評伝だけではない。出来栄えは別にして、樋端さんの生涯を通じて縦糸に戦争と海軍を、横糸では時代に翻弄された軍人家族の愛、即ち「戦争と平和の意味」を問おうとした。しかしノンフィクションであることの制約もあり、にわか作家の付け焼刃ではゴールに届くはずもなかった。

             

            『海軍と日本』は、全編を通して帝國海軍の批判に満ち満ちている。これでもかこれでもかと、帝國海軍の組織や人の脆弱性、そして錯誤を抉り出している。あの米内さん(最後の海軍大臣)や山本(五十六)さん(聯合艦隊司令長官で戦死)とて例外ではない。この本が世に出た当時(昭和56年:1981)は、まだまだ海軍の諸先輩がご存命だったので、こと(帝國海軍滅亡の要因)の本質を突く著者に対する風当たりは強かったのではないか。それでいて池田さんの論考に、不快感や違和感を抱くことは全くない。この謂わば帝國海軍糾弾の書は、戦後の、国際情勢や世界の常識を顧みない歴史観や平和論とは明確に一線を画している。池田さんの長年に亘る研究と説得力ある筆致に加え、生き残ったが故に負う苦悩、そして帝國海軍に対する池田さんの思いが行間のそこここに読み取れるからである。弾の下をくぐった人はみな、生涯を通じて死と生の意味を問う。この本は、滅亡した帝國海軍と国難に殉じた戦友への鎮魂歌のように聞こえる。序文で彼は、自らの思いを次のように記している。

            ・・・海軍の身内にいたがゆえに、私の眼には部外者にない辛辣なものがあるかもしれない。本書を執筆しながら、私はこの海軍的体質をまぎれもなく私自身が備えていることにいや気がさした。むしろ沈黙するか、海軍を賛美するほうが、私にとっては容易であったろう。・・・

            現在の私自身も、彼の思いを共有している。

             

            本書の最後の項に、母校(香川県立三本松高等学校:旧制大川中学校)の大先輩である南原(繁)さん(元東大総長)と池田さんの対談(取材)が載せられている。「先生が海軍に期待したものは何だったのでしょうか?」の問いかけに南原さんは:

            ・・・陸軍の独走にブレーキをかけうる政治勢力は海軍しかいないというのが、当時の私の考えでした。だがこの期待は裏切られました。・・・昭和期の海軍は・・・せっかく先輩が築いた良識的な海軍の伝統を崩していったといえます。・・・

            もし樋端さんが生き残って戦後、同郷の士であり中学校の先輩でもある南原さんと膝を交えたならば、話はどのような展開になったであろうか? 片田舎の中学4年生にして、近い将来(20数年後)太平洋において日米両海軍が衝突すると看破した樋端さんの知性と、我が国の最高学府である東大総長の頭脳がどのように対峙するのか? 不謹慎ではあるが興味は尽きない。 

             

            この本の最後で著者は、次の言葉を残している。

            ・・・亡びたとはいえ、海軍の残した大きな遺産は、今後の日本の歴史の上にも影響してゆくことであろう。海軍はもっと長い目でみて、その真価がわかるのかもしれない。・・・

            翻って、帝國海軍の伝統や考え方をほぼそのまま受け継いだ新生海軍(海上自衛隊)は、幸い一度も戦火を交えることなく齢を重ね67年になる。あと10年経つと帝國海軍と肩(歳)を並べる。その時我々は、池田さんの問いかけや思いにどれだけ胸を張って応えることができるだろうか。これからの10年は、とても重要な十年になるような気がする。

             

            『海軍と日本』は教訓の宝庫であるが、中でも『此の一戦』(水野広徳)から引いた次の言葉は、今なお、そしておそらく将来も、万国に通じる真理である。

             国大といえども、戦いを好むときは必ず滅び、天下安しといえども、戦いを忘るる時は必ず危し。

             

             

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            追伸 現役の頃、一度池田さんにお会いして話を聞きたいと思っていたが、忙しさにかまけて叶わなかった。会いたいと思う人がいれば、行きたいと思う所があれば、思い立ったその時が好機、万難を排して足を運ぶべきだと反省している。