海軍と日本

2019.07.18 Thursday

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    此処のところ少し時間があったので、『海軍と日本』(池田清:中公新書)を再読した。私はそれほど読書が好きではないし勉強も嫌いな方なので、同じ本に何回も目を通すことはまずない。しかしこの本と『戦艦大和ノ最期』(吉田満)だけは、折に触れて開いてみる。少し考えが違う所もあるが、この二冊は私のバイブルとも言える貴重な蔵書である。現役の時には、仕事に迷いが生じた時や、行くべき方向を見失いかけた時に紐解いた。

    著者の池田清さんは海軍兵学校73期、海軍中尉で終戦を迎え、戦後東京大学(法学部)に学んだ後、長年に亘り東北大学で教鞭を取られた政治学者である。

     

    恥ずかしながら、私がこの本の存在を知ったのは『戦艦大和ノ最期』に比べるとかなり遅い。平成9年(1997)、前年にノルウェーから帰国し練習艦隊(首席)幕僚の配置に就いていた。この年、練習艦隊が大阪に寄港した際に宝塚(歌劇団)の小林公平さんに、任官したばかりの初級士官に対する講話をお願いしていた。私も拝聴のお相伴にあずかり、後輩の最後列で話しを聴いた。小林さんは講演の中でこの本を紹介され、若い幹部に是非読むようにと勧められた。早速、一冊求めて出国前に一読した。小林さんご推薦の通り、とても示唆に富むものだった。不勉強でそれまでこの本の存在を知らず、不明を恥じるばかりであった。しかし仮に若い頃に読んでいても、手強くて中身を咀嚼するまでには至らなかったと思う。

    因みに、小林さんは海軍のご出身(海兵75期)で、そのご縁で海上自衛隊、特に練習艦隊は「宝塚」と懇意にさせて頂いている。練習艦隊は遠洋航海に出る前に、実習幹部を海洋と艦に慣らせるため(慣海性の涵養)内地(国内)巡航を行っており、大阪又は神戸には毎年寄港する。その際に催される地元の歓迎レセプションでは、「すみれのは〜な〜・・・♪」が会場に響き渡る。帝國海軍の遺産と縁は有り難いものである。音楽学校の躾けを含む教育には、海軍の伝統が反映されている(と仄聞する)。

     

    今回この本をひも解いたのは、近々のうちに地元で拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』の主人公、樋端久利雄について講演を行う予定があるので、もう一度自分の知識と考え方を整理したかったからである。拙著三冊に描いている私のものの見方や考え方は、多分にこの本『海軍と日本』と『戦艦大和ノ最期』の影響を受けている。とりわけ『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』、即ち樋端さんの生涯は帝國海軍の勃興と衰退そして終焉に繋がるので、必然的に『海軍と日本』に重なるのである。

    大変生意気な言い方ではあるが、拙著『ソロモン・・・』で私が描こうとしたのは樋端さん個人の評伝だけではない。出来栄えは別にして、樋端さんの生涯を通じて縦糸に戦争と海軍を、横糸では時代に翻弄された軍人家族の愛、即ち「戦争と平和の意味」を問おうとした。しかしノンフィクションであることの制約もあり、にわか作家の付け焼刃ではゴールに届くはずもなかった。

     

    『海軍と日本』は、全編を通して帝國海軍の批判に満ち満ちている。これでもかこれでもかと、帝國海軍の組織や人の脆弱性、そして錯誤を抉り出している。あの米内さん(最後の海軍大臣)や山本(五十六)さん(聯合艦隊司令長官で戦死)とて例外ではない。この本が世に出た当時(昭和56年:1981)は、まだまだ海軍の諸先輩がご存命だったので、こと(帝國海軍滅亡の要因)の本質を突く著者に対する風当たりは強かったのではないか。それでいて池田さんの論考に、不快感や違和感を抱くことは全くない。この謂わば帝國海軍糾弾の書は、戦後の、国際情勢や世界の常識を顧みない歴史観や平和論とは明確に一線を画している。池田さんの長年に亘る研究と説得力ある筆致に加え、生き残ったが故に負う苦悩、そして帝國海軍に対する池田さんの思いが行間のそこここに読み取れるからである。弾の下をくぐった人はみな、生涯を通じて死と生の意味を問う。この本は、滅亡した帝國海軍と国難に殉じた戦友への鎮魂歌のように聞こえる。序文で彼は、自らの思いを次のように記している。

    ・・・海軍の身内にいたがゆえに、私の眼には部外者にない辛辣なものがあるかもしれない。本書を執筆しながら、私はこの海軍的体質をまぎれもなく私自身が備えていることにいや気がさした。むしろ沈黙するか、海軍を賛美するほうが、私にとっては容易であったろう。・・・

    現在の私自身も、彼の思いを共有している。

     

    本書の最後の項に、母校(香川県立三本松高等学校:旧制大川中学校)の大先輩である南原(繁)さん(元東大総長)と池田さんの対談(取材)が載せられている。「先生が海軍に期待したものは何だったのでしょうか?」の問いかけに南原さんは:

    ・・・陸軍の独走にブレーキをかけうる政治勢力は海軍しかいないというのが、当時の私の考えでした。だがこの期待は裏切られました。・・・昭和期の海軍は・・・せっかく先輩が築いた良識的な海軍の伝統を崩していったといえます。・・・

    もし樋端さんが生き残って戦後、同郷の士であり中学校の先輩でもある南原さんと膝を交えたならば、話はどのような展開になったであろうか? 片田舎の中学4年生にして、近い将来(20数年後)太平洋において日米両海軍が衝突すると看破した樋端さんの知性と、我が国の最高学府である東大総長の頭脳がどのように対峙するのか? 不謹慎ではあるが興味は尽きない。 

     

    この本の最後で著者は、次の言葉を残している。

    ・・・亡びたとはいえ、海軍の残した大きな遺産は、今後の日本の歴史の上にも影響してゆくことであろう。海軍はもっと長い目でみて、その真価がわかるのかもしれない。・・・

    翻って、帝國海軍の伝統や考え方をほぼそのまま受け継いだ新生海軍(海上自衛隊)は、幸い一度も戦火を交えることなく齢を重ね67年になる。あと10年経つと帝國海軍と肩(歳)を並べる。その時我々は、池田さんの問いかけや思いにどれだけ胸を張って応えることができるだろうか。これからの10年は、とても重要な十年になるような気がする。

     

    『海軍と日本』は教訓の宝庫であるが、中でも『此の一戦』(水野広徳)から引いた次の言葉は、今なお、そしておそらく将来も、万国に通じる真理である。

     国大といえども、戦いを好むときは必ず滅び、天下安しといえども、戦いを忘るる時は必ず危し。

     

     

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    追伸 現役の頃、一度池田さんにお会いして話を聞きたいと思っていたが、忙しさにかまけて叶わなかった。会いたいと思う人がいれば、行きたいと思う所があれば、思い立ったその時が好機、万難を排して足を運ぶべきだと反省している。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    雑草の如く

    2019.07.04 Thursday

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      今回も生意気そうなタイトルで申し訳ありません。でも中身は軽いです(笑)

       

      以前に「母の日」と題するブログを公開しましたが、私は今、母(みたいなこと)をやっています。ご先祖が残してくれた土地(田んぼと畑)で、パパイヤなるものの栽培を始めて3年になります。100本ほどの子供たちです。 一本一本に表情がありとても可愛い。しかしにわか母ちゃんは毎年大ボケをこいて、子供たちに可哀そうな思いをさせています。

      初年度は親戚筋のプロの助言に従わず、台風や大水に備えた排水を準備していなかったため、多くの子供たちが台風一過溜まった雨水が熱湯となり根こそぎやられました。次年度(昨年)は前年の教訓に鑑みて( 本人はLessons Learned を活かしたつもり)、排水用の溝を作り、しっかり盛り土をして植え付けました。これで万全と思ったのですが、あに図らんやこの盛り土が裏目に出て、根がしっかりと大地に張ることができず、繰り返し襲ってきた台風によって何割かが風で倒されました。

       

      根と言えば、ちょっと横道にそれますが、先般北海道に旅した時にビックリ仰天のトマトを見ました。写真で分かるように水耕栽培です。説明してくれた女性職員によると、土は根が伸びるのを阻害するのだそうな。それを解決するため水耕栽培にする、即ち根を自由に伸ばせてやるとドンドン成長してたわわに実をつけるとのこと。昨年の11月末に蒔いた一粒の種から芽を出したトマトが、現在では下の写真のように成長して既に大量の実をつけていました。昨年の場合、種を蒔いて350日目(10月末日)が最終日で、一年間に計1万7千個の実をつけた由。一粒の種からですよ。エエエ〜なんとなΣ(・□・;。

      植物にとって最も重要な環境であり、栽培には必須要件だと思っていた土が、実は栄養を取り込む根の成長を阻害する要因にもなっていたとは。目から鱗でした。な〜んか考えさせられる一本のトマトでした。トマト恐るべし。「えこりん村」の知恵恐るべし。

       

      さて我が家業に戻って今年は三年目の浮気、じゃなかった三度目の正直、勿論盛り土は止めて地球(大地)にガッツリと植え付けました。植え付けの数か月前には、大量の堆肥を入れて土造りをしております。何故かと言いますと、使用している田んぼの半分は15年ほど前の大雨(大洪水)で流され、故に土地が大層痩せており、昨年はその辺りの成長が悪かったためです。よし!これで今年こそ準備万端、いけるぞと意気込んだ。でどうなった(so far)?

      4月の下旬に植え付けて10日ほど経つと、二倍の堆肥を投入したエリアの子供たちは何となく元気がありません。ハッと気が付いて、慌ててこの子たちを他の場所に移植したのですが、時遅く一部は根腐れを起こして逝ってしまいました。力を振り絞って何とか生きている子たちには、私なりに最大限の手を施しておりますが、子供を産むまでにリカバリーできるかどうか予断を許さない状況です。

      これを要するに、素人が詰めの甘い仕事をして毎回(毎年)失敗し、残念ながら未だ安定生産・安定供給には至っておりません。今年の失敗を子育てに例えるなら、離乳食になったばかりの赤ちゃんに「いきなりステーキ」をガンガン食べさせたような感じでしょうか。そりゃ消化不良を起こしますわな(後知恵ですが・・・)。

      それでもめげない「にわか農家」は、販路の拡大に余念がありません。或る訪問先の社長さんにこの話をすると、大笑いされました「未だ安定生産できてないってことですよね」。「出直してこい!」と顔に書いてあった。

       

      斯様に我がパパイヤ君はとてもナイーブで弱っちいのですが、対照的に周辺の雑草は大量の栄養(肥やし)をグイグイ吸収して、えらい勢いで成長しています。踏んだり蹴ったりで、泣くに泣けない状態です。でもそこで思ったのは、決して他人のせいにするわけではないのですが「元々雑草であった植物を、人間が都合のいいようにいじくり回して(品種改良)実を大きくしたり、できるだけ多くの実がなるようにしたり、或いは人間の口に合うように美味しい葉や根や果実にしてきた。その歴史と過程を通じて、本来その植物が持っている強いDNAを削ぎ落し、この子たちの体力を低下させているのではないのか・・・。これを人間(子ども)に当てはめてみると、栄養価が高い(と思われる)もの・美味しいものをドンドン食べさせ、子供の意志や性格そして能力に拘わらずお尻を叩いて塾や習い事に通わせ、そして腫物に触るように大事に大事に育て、少しでも偏差値の高い学校に行かせようとする。勿論、我が子の将来や幸せを願ってのことなのですが。この成長過程を通じて唯一受験という競争社会だけは経験するのですが、本来人間が持っている強さを後退させているのではないか。と思ったりするのです。ちょっと思考が飛躍しすぎてますか?

       

      別の視点:肥やしをやり過ぎた(栄養過多の)個所は別にして、全く同じ条件で同じ日に植え付けたにも拘わらず、それぞれ個々の成長には多かれ少なかれ違いが出てきます。私は同じ条件にしていると思ってやっているのですが、微妙に土の肥え(痩せ)具合や含まれているバクテリアなどが違っているのかもしれません。或いは、種や苗の出自(DNA)に関係するのかもしれない。おそらく、いろんな要素が複合的に組み合わさって個人差が出てくるのでしょう。斯くの如く農という業は、奥の深い仕事であることを痛感する今日この頃です。

       

      帰省している間はほぼ毎日、田畑や土手(岸)に生えている雑草と格闘(草刈り)します。夏場には1か月も放置すると、30センチほど伸びます。流石に昔のように鎌で刈ることは殆どありません。円盤の刃をエンジンで回転させる手持ちの草刈り機と、ゴルフ場で使っているような草刈り機を使っています。お陰様で最近、足腰や腕っぷしが少し強くなりました。農園経営(と言えるほどでもないですが)の副産物です。で草刈りを終えて、或いは休憩のために中断してズボンや上衣を見ると、雑草の実がいっぱいくっついてます。最初の頃はうっとうしくて嫌だなと思いつつ取っていたのですが、最近は「こんな雑草でも、何とか食らいついて子孫を残そうとしている。その姿が何とも健気で愛おしい」と思うようになりました。一年後には、この執念の雑草に手を焼くことになるのですが(笑)

       

      何方かが言っておられました「人間の究極の目的は子孫を残すこと」。然るべき機能と力(身体的+知的+精神的)がありながらそうしない(子孫を残そうとしない)生き方を選択する、即ち自然の摂理と神に反する(と私は思っています)動物は、霊長である人間だけなのではないかな。人間以外のあらゆる生き物は、子孫を残すために懸命に生きている。なかには、役目を果たすと息絶える種もある。人間は少しばかり賢くなり過ぎたのかな・・・?

      ま何れにしても、子供は雑草のように育つのが良いような気がする。名もない草のように、困難に食らいついて生きて欲しい。そして、神から頂いた生を全うして欲しいと思う。どんな人であっても、みんな等しくいつかは枯れていくんだよ。

       

       

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      一隅を照らす

      2019.06.20 Thursday

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        先日、仕事で実家(讃岐)から大阪に行きました。今なお365連休中の私ですが、前後の予定(草刈りですが・・・なにか?)が詰まっているので日帰り出張です。以前のブログで使った「365連休」、他人様のパクリなんですが結構受けました(笑)。お腹を抱えて笑った人もいました。

        讃岐から阪神方面に行くのは、瀬戸大橋(明石〜鳴門ライン)ができて本当に便利になりました。高速バスを利用してたった3時間です。昔は高松から連絡船で瀬戸内海を横断し、宇野(岡山)に出て国鉄(JR)宇野線で岡山まで行き、そこで新幹線に乗り換える大回りでした。運賃もしっかり取られました。できた当座は、瀬戸大橋が三つも必要か(?)と思った時期もありましたが、バブル期の産物に感謝感謝です。銭はあるときに使うべし(笑)

         

        高速バス最寄りの停留所は「高速津田」と言います。眼下には平山郁夫画伯の作品にもある、美しい松原(海岸)が広がる。私が子供の頃(夏場)には海の家なども設置され、大勢の海水浴客で賑わっていました。何故か分かりませんが、今はやや寂しい状態のようです。ですが阪神方面行のバスは、各社が競って結構本数が多い。下(一般道路)のローカル・バスなどよりも、余程頻繁に走ってます。さてはいつものことですが、早めにバス乗り場に到着して気持ちを落ち着かせる。とにかく、時間と心に余裕がないと気が済まない性格です。家人には嫌われますが、洋上勤務40年で培われ習い性になってしまいました。因みに、前の晩に明くる日の行動予定を、名刺大の小さなメモに書き込んで持ち歩きます。

         0700 潅水

         1300 懇談(〇〇) 

         1400 道の駅:バタールX1  

             ・

             ・           

        みたいな(笑)

         

        乗り場(bus stop)には小さな小屋(待合所)があります。今日の話は、その「高速津田(停留所)」で見た驚くべき光景です。些細なことではありますが、久し振りに感動しました。待合所の中には、大きく「禁煙」の張り紙があります。だからでしょうか、情けないことこの上ないのですが、待合所の周辺には吸い殻が散乱しておりました。同郷の身として誠に恥ずかしい。田舎に行くほど喫煙人口(比率)は多いような気がします。近場の多く(絶対多数)の飲食店は分煙どころか、当たり前のようにテーブルの上に灰皿が、時には重ねて置いてあります。店内に入ると煙草臭でムッとする。ですから田舎のカフェ(喫茶店)には入りません。美味しいコーヒーを飲みたいから。と言いながら、コンビニで格安のコーヒーを買い車の中で飲むのですが。

        さて、待合所横に捨てられた吸い殻を目にして、正直「ここでタバコを吸うか・・・?」と思いました。すぐ裏には樹木があり、山林火災の恐れもあります。風で飛んだのでしょうか、樹木の中にも吸い殻が見えます。

        高速バスがひっきりなしに来ます。しかし殆どのバスは、予定時刻よりも10〜15分程度遅れてきます。大概の運転手はバスに乗ったまま少し待って、お客さんが居ないと判断するとそのままバスを出す。乗るべきバスに気が付かなくて、乗り遅れた人は自己責任ですね。

        一台のバスが、予定時間を少し遅れて到着しました。私が乗車を予定していた前の便です。この運転手さん、お歳は30代の後半とお見受けしました。停留所に着くとサッとバスを降りて、シュッシュと素手で吸い殻を拾い集めるではないですか。そして待合所の中を覗き込んで「ご乗車はありませんか?」と確認したのち、運転席に戻って車を出しました。カッコよかったですね。一連の行動が実に洗練されており、当たり前のように吸い殻を拾い集めた。集めた吸い殻は、バスに置いてあるゴミ袋にでも捨てたのでしょうか。なかなかできることではない。

        彼の行動を見て、ただ文句だけに止まった自分の思考を誠に恥ずかしく思いました。最近の若い者はとか、逆に年寄りはとか、男はとか女はとか、とにかくごく一部の人を観てグループ全体を評価しがちですが、人間性には年齢や性別は関係ありません。学歴や職業などは全く関係ありません。比較して申し訳ないのですが、前回のブログで描いたお二方(先生と俳優)に比し、この運転手さんは余程人間的に優れている(私見です)。その行為にパフォーマンスなど全く見えません。彼は誰が観ていても・観ていなくても、同じことをしたでしょう。とにかく、さりげない行為が素晴らしかった。もし私が、この方が勤務する会社の社長であったなら、全社員の前でその善行を披露し表彰する。

        出掛に爽快な気分になったためか、その日の仕事は珍しく納得のいく出来になりました(自己採点)。運転手さんの名札を確認する時間がなかったのが誠に残念ですが、有り難うと申し上げたい。

         

        拙著『指揮官の条件』(講談社現代新書)で、究極の場(有事)において最も信頼できる戦闘員は、「日頃から誠実」で「与えられた任務に忠実な人」であると描きました。私自身を含め、多くの人間は「俺が・私が・・・」となります。鼻が高い人や功を焦る人は信頼性に欠けます。与えられた仕事をカッチリこなす人、人間として誠実であること。社会貢献においては、これに勝るものはないと思う。なお社会貢献は、公務員の専管事項ではありません。どんな仕事、どんな職業であっても、何らかの形で社会に貢献しています。こういう人が家族を守り地域を守り、そして国を護ることができる。と私は思っています。他人のやることにグダグダと、ピント外れの文句ばかり垂れて、何ら具体的な改善策を提示しない・できない人、自らが汗をかこうとしない人には辟易とします。

        生意気言うようですが、そういう人には大きな仕事は任せられません。でも、この手の人間が多くなっているような気がします。今日の日本では。

         

        国政選挙が近そうです。批判のための批判には、もううんざりです。この人に本当に日本の将来を託していいのか、この人がホンマに地域の代表選手でエエのか、よく吟味したいものです。

         

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        言葉の難しさ II

        2019.06.06 Thursday

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          最近、つくづく言葉の難しさ、特に言葉を使って人とコミュニケーションするのは大変難しいと感じております。今更ではありますが、母国語である日本語でさえです。対面して一対一の時もそうですが、大勢の前で話をするのは結構緊張します。ともすれば一方通行になりがちな講演や講義は、自分が意味するところ・意図することを、言い方悪いですが口先だけで理解して貰うわけです。それには、それなりの体力(事前の準備)と技術が要ります。過去に何回か講演などをやらせて頂いたのですが、最初の頃は貧弱な話術の補助として Power Point  やDVD(映像)を使ってました。しかし何回か経験を積むと自分自身に対して欲が出てきて、或いは何がしかの謝礼を頂きながら補助手段に頼るのは何とも情けない。この口(言葉)だけで、聴いてくれる人を納得させたいと思うようになりました。しかし悲しいかな、実際ににやってみるとこれはかなり難しいことを実感し、現在は相も変わらず PP のお世話になっています。別に映像をを使うことが、悪いことだとは思ってないのですが。

           

          つまることでも・つまらないことでも、井戸端会議で話をするのは気楽です。しかしそんな時でも、自分の意見や考えを通そうとする(他に納得させようとする)と、ましてやそこに多少でも利害が絡むような話の場合には、言葉を選ばなければならない。これにお酒が入ると、話がこじれることがままあります。そこで話は突然お酒に飛ぶのですが:

          そもそも酒を飲みながら、重要案件について議論すること自体がNGですよね。お酒が入った時には、他愛もない世間話がいいですね。因みに、お酒が好きな人には偏見だと叱られるのですが、あくまでも個人的な意見として、酒(アルコホール)は毒素の一種だと思っています。だからと言って、決して嫌いではないですよ(念のため)。生まれつき、アルコールの分解能力が劣っているだけです。努力して強くなろうとも思っていません。正確には、かつてそういう時期もあったのですが諦めました。ゴルフと同じで素質がない。なお、元々お酒が弱い人が練習して多少強くなり、舌におもねて長年飲み続けるとどうなるか? 大概の人が体を壊してます。

          一般論として、お酒が入ると気が大きくなったり、時には正体を無くすることもあります。毒素が脳に回ってるわけ。嘘か本当か知りませんが、前の晩に自分が何を言い何をしたか全く記憶にありません、な〜んて平気で言う人がいます。仮にそうであっても(私は信じませんが)、それは人間として普通の状態ではないと思うし、平常はその人がどんなに賢くて誠実で立派であっても信頼性に欠けます。

           

          最近も酒を飲んだ勢いで民間の方に「戦争と領土」について問いかけ、世間からタコ殴りにあっている(糾弾されている)先生(国会議員)がいます。四面楚歌とはこのことですね。こと(発言内容)の是非や、その後のご自身や周りの対応・措置については敢えて言及しませんが、仮に発言がどんなに正論であったとしても、聴いた人を納得させるのは難しい。事の良しあしは、時代や時の空気、場所、聴いている人の能力などによって違ってきます。十年前には正論であったものが、今では通用しないこともあります。しかし彼のケースは、何とも情けない話です。何が情けないかというと、本人はもとより、そういう人を選んだ有権者・選挙民、即ち我々国民も誠に情けない。「選挙で選ばれた人は、皆さん偉い!」というのが私の持論です。当選者の後ろには、大勢の支持者がいるからです。選ばれた人の資質を問うならば、選んだ人の民度も問われて然るべきではないでしょうか。よく国会で叫んでますよね。任命責任です。ひとりこの方のみならず、もっともっと首をひねらざるを得ない方がおいでになるような気がします。

          他人様のことを言ってる場合ではありません。かく言う私も、少しお酒が入るとカラ元気が出てくるタイプです。お恥ずかしい限りですが、何回反省しても治りません。ほんの少しアルコールが入ると饒舌になります。多分、あっちに行くまで治らんのでしょう。お酒は私の天敵です。上手に付き合わないといけません。

           

          因みに、私は「民族や国民が血を流して獲得した土地を、取られた側が取り返すのは容易なことではない」と思っています。北方領土はこれには該当しないですが、もしかしたら件の先生も私と同じお考えかもしれません。しかし、じゃ戦争か?ってことにはならんでしょう。それはあまりにも短絡に過ぎる。ならば我慢しろとかホッカムリしとけ、という話ではありません。問題の解決にはいろんな選択肢があります。時期と時機の問題もある。遠大な戦略が必要だと言うことです。議論は大いにすべきですが、軽々に「戦争」を語って欲しくない。間違っても、酒を飲んで発する言葉ではない。これは、長年国防の最前線にいた人間の生の声です。

           

          言葉と言えば、「空母いぶき」なる映画に出演している有名・高名な俳優の発言がネット上で物議をかもしています。震源地が芸能人ですから、多くの責任ある人・ない人(絶対多数はこちら)が左右に分かれて言葉の応酬を続けている。私も好きな俳優であっただけに、残念な思いがしてなりません。もし彼が封切られる映画の宣伝効果を狙って発したものであれば、なかなか「したたか」な戦略家ですが、おそらくそうではないでしょう。発言者とこれを掲載した出版社、即ち発信者の確信犯のような気がしますが・・・如何でしょうか。政治的な発言は、如何様でも宜しい。個人の考えですから。日本はそれが許されている、有り難い国です。

          ですが、上記先生の発言もこの俳優の発言も、立場は違いますが一線を越えている。一言でこれを表現すれば、如何にも「軽い」。言いたいことを言って聞く人を納得させ、そして聞いた人の賛同を得ようとするならば、両者とももう少し深みのある発言になるはずです。社会的地位のある人、発する言葉に影響力がある人だけに残念な結果です。

          ああ、映画ですか? 未だ観てません。そもそも劇場映画は殆ど観ませんが、本騒動で(観る)気力を失ったと言うべきでしょうか。

           

          斯様に他人様を批判するのは、いとも簡単です。他人を批判したり噂話をする、そこにお酒が入るととても愉しい。場も盛り上がり、あっという間に時間が過ぎます。しかし誰かを批判すると言うことは、自分もどこかでお返しをされている(と思ってまず間違いありません)。この狭い日本社会です。「此処だけの話(just between you and me)」は通じません。ここだけの話➡ここだけの話でドンドン拡散するのが常です。じゃああ、言いたいことも言わずに我慢するのか? それもストレスが溜まりますね。折角言葉を操る人間に生まれて生きているのだから、言語・言葉を使って自らの信念(みたいなもの)を吐露し、時には他人様のことも言ってみたいし権力も批判してみたい(と思う)。しかし、そこには必ずリスクが伴います。ややこしい発言をする場合には、そのリスクを甘受する覚悟が求められる。選挙で選ばれた人や人気が出てなんぼの人は、特にそこのところを自覚する必要があります。それは本人がどうのこうのではなく、言葉の重みが一般庶民とは違うからです。

           

          最後にもひとつ。言葉はどちらかと言えば、過激な表現が庶民・大衆受けします。同じような主旨のことを言っても、大人しい言葉で語るのと激しい言葉を使うのでは、受け取る側の反応が違います。過激でしかも、キャッチ・コピーみたいな短いセンテンスが受ける。聞いた方(ほう)は、何となく分かったような気がするんですね。即ち、言葉の中身よりも外見・外観で決まることが多い。残念ながら私は、日本人的な日本人ですから過激な発言は不得手です。怒り心頭であっても、できるだけ丸めて表現しようとする。そもそも「争い」が好きではない。ですから、人前で話をしてもブログを書いても、言葉にパンチがない。中身の進化・深化はさておき、この辺りが課題ですね。勉強します。

          もう遅いか・・・。

           

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          母の日

          2019.05.23 Thursday

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            ブログには極力固有名詞を出さないよう心掛けているのですが、今回は丸めて表現するのも失礼なことかと思い、特別にかつ勝手にお名前を拝借させて頂きます。

             

            母の日の前日(5月11日)、東京第一法律事務所の内野経一郎弁護士が主催される「日本の母を讃える講演と歌の集い」(於:中野サンプラザ)に参加させて頂きました。この企画は今年で3回目であり、初回からお招きを頂いてたのですが、過去の二回は日程が合わなかっため今回が初参加です。参加者は比較的高齢の方が多く、若い人が少なかったのが残念でした。こんな機会を逃して勿体ない。一言で申し上げて、とても素晴らしい企画でした。プログラムには詩吟あり歌あり講演ありで、二時間があっという間に過ぎました。『かあさんが夜なべをして・・・(童謡)』や、さだまさし氏の『無縁坂』を参会者が合唱し、お母さんがご存命の方もそうでない方も、それぞれがそれぞれの母に想い(思い)を致したことでしょう。因みに、ピアノ伴奏は内野さんの奥様(音大出)が務められました。

            母を思う気持ちは年齢には関係ありません。一方母からみると、還暦を過ぎても子どもは子供です。我が子を虐待する両親や、親を手にかける子供の事件が後を絶たない今日、このような草の根の試みと優しい心の輪が日本全土に拡がることを切に願うものです。

             

            ゲスト・スピーカーの馬渕睦夫氏(元外交官・元防衛大学校教授)、王明理氏(台湾独立建国聯盟日本本部委員長)、そして我々の業界では知らない人はいない葛城奈海氏(ジャーナリスト)のお三方が、それぞれ母にちなむ話をされて参会者の胸を熱くしました。

            お三方の話はそれぞれ示唆に富み、大いに啓発されるものがありました。馬渕さんは話の中で「天皇陛下のお心は、まさに母のこころ」である旨を述べられました。そのお心は国民に対する無償の愛です。令和の時代もその後の時代においても、天皇陛下が国民を思われるお心は連綿と継承されるでしょう。我々はこのように素晴らしい国に生まれ生きていることを感謝し、本当に嬉しく思います。

            王さんは「緑綬褒章と人間の愛」について、ご自身のご先祖様を例に出して話されました。祖国のこと(政治的)にも、やんわりと触れられました。葛城さんは靖国の杜に眠る、先人が残した手記を素晴らしい語りで紹介してくれました。皆さんの話はいずれも感動的でした。

             

            私は折に触れて、「母なる海」と言う言葉を用います。私がかつて海で生きてきたことから、何年か前に友人が教えてくれた言葉です。海という文字には「母」が込められています。「母なる海」と称するもう一つの理由は、海の神である「わたつみ」に因ります。海上自衛隊の殉職隊員ご遺族の会は、「わだつみ会」といいます。どこからこの名前が付けられたのかは承知していないのですが、私は勝手に、国家に殉じて海の神(命)になられた人たちの遺族の集まりだから「わたつみ」だと解釈しております。彼らは志半ばにして、任務と国家に殉じられて神になり、この国と海を護ってくれています。

             

            映画などでは、特攻隊員が「天皇陛下ばんざ〜い(万歳)」と叫んで突っ込んでいくシーンがあります。右であれ左であれ、或る種の政治的な意図をもって、そうした映像を撮っていることもあると思います。しかし、これも馬渕さんが言われたのですが、実際は「おかあさ〜ん」だった。馬渕さんも私も実際に見たわけではないので真実のところは分かりませんが、生還を期さない・期することができない若い戦士たちは、「おかあさ〜ん」と叫ぶことによって母の懐に抱かれ、心の整理をつけることができたのではないでしょうか。そして、国家に殉じることへと自らを昇華させたと推察します。前回のブログで描いた藤田少尉のような境遇の方は、新妻や恋人の名前を発したかもしれません。いずれにしても、愛する人を心に描いて散っていったことは想像に難くありません。

             

            私の母は現在、体の自由が利かないため施設(特養)でお世話になっておりますが、幸いなことに顔の色つやも良く健在です。認知症が徐々に進んで中にはポヤポヤした話もありますが、私がその場を去る時には必ず「有り難う」「気をつけて帰りまい(帰りなさい)」、そして「無理せんでボチボチやりまい(ゆっくりやりなさい)」と言って、頷きながら不自由な手を振ります。小学校の六年間、家を出る時には必ず「ハンカチ持ったか? チリ紙持ったか?」と言われました。多分、母にとって私は小学生のままなのでしょう。

            田んぼの畔で未だ学校にも上がっていない子に、「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」と諭したのは母でした。母が長年に亘って愛用していた「相田みつを」の日めくりカレンダーにも、「かげぐちを いわれることを 知りながら ほめられればすぐ のぼせる わたし」とあります。か〜ちゃんゴメン、還暦過ぎてもチョビット調子がいいと、ついつい鼻が高くなる自分がいます。

             

            日本の、世界の絶対多数の母は偉大です。「母はみな偉大です」と言いたいのですが、「絶対多数」と但し書きを付けざるを得ない今日の、我が国の現状を誠に残念に思います。この絶対多数の範疇に入らない母親は、いったいどんな人種なのだろう? 私には想像がつきません。人間の仮面を被った異次元の生き物でしょうか。

            ある人(母親)が言いました。もし誰かの手によって我が子の命が奪われたら、それが許されない(犯罪である)と頭では分かっていても、相手も同じ目に合わせることを躊躇しない。母親はみなそう思う。殺されたのが夫(配偶者)であれば、そこまではできないし・・・しません(笑)。何故なら、一生子供に犯罪者の母を持たせることはできないから。

            そう言われても男は反論できません。死ぬ思いで子供を生み、無償の愛を持って育てたのは母だから。そこは男が冷静に考えるような、「血」ということだけでは説明できないものがあります。理論や理屈ではありません。女性に媚びる訳ではありませんし、ヨイショするわけでもないのですが、子供に関してはそれほどに女性(母)は大変だし、思い入れが男(父親)とは違う。即ち偉大だってことです。

             

            人間は等しく誰もが母から生まれ、そして母に還ります。年に一度でも、母を思う日があるというのは有り難いことです。もうちょっと親孝行しとけばよかったな〜。

             

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