順風にあっては細心に

2020.01.02 Thursday

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    明けましておめでとうございます! 令和2年、実質的な令和時代の始まりが、皆様にとりまして佳い年でありますように。そして、皇室の弥栄をご祈念申し上げます。

     

    客年は有り難いことに(?)長期間に亘ってお花見をさせて頂きました。しかし残念ながら、美しいでもなく癒されるでもなく、誠に見苦しい花見でした。花見の場所は千鳥ヶ淵ではありません。全国から集まる選良が居並ぶ国会での議論と、これに呼応するメディアの対応です。あ〜でもないこうでもないと花見談義にうつつを抜かしている間隙を縫って、どこぞのミサイルが頭上に落ちてこなかったのは不幸中の幸いでした。また、虎視眈々とその機会をうかがっているご近所が、力(軍事力)によって我が国の領土を侵さなかったのも誠に幸運なことです。因みに、海・空においてはしばしばジャブを入れられております。更には、日本にとって死活的に重要な資源の搬送が危険な状況に曝されている最中、お花見の話で盛り上がっているとは大変喜ばしくも幸せなお国ではあります。

    我々庶民がこのように、他人様の揚げ足取りを半ば楽しみながら能天気に生活しておられるのは、卓越した船長の指揮の下でこの国の舵取りがしっかりとなされているからでありましょう。ご心労が続いているためか、最近船長はお疲れのように見えます。と同時に、ひたすら国の安全と安寧を求め昼夜を問わず尽力されている、当局や関係者のお陰であることも我々国民は忘れてはなりません。盆も暮れも正月もなく世界の各地で、日本国・日本国民の安全を護るために尽力されている皆様には感謝の言葉しかありません。 

     

    さて花見(桜見物)は我々日本人に与えられた特権であり、文化の一つとも言えるのではないでしょうか。この国に住む人は皆、老いも若きも貧しきも富める者も等しく全国各地で、その恩恵に浴することができます。中には所謂(桜)前線と共に南から北へと移動し、一年に何度も花見をする追っかけもいるほどです。そんな方がちょいちょいいます。

    今一度振り返って、花見をして或いは桜を見る機会を作為することのどこが悪いのか? 無学な私にはよく分かりません。時折飲み過ぎてトラになったり、はしゃぎ過ぎて周りに迷惑をかける輩もいますが、酔いが醒めたころにお灸をすえればいい程度の些細なことです。従って、上記の答えは「なんの問題もないっしょ」。と言うよりも、皆で大いに花見を楽しみましょうよ。かかる視点からすれば、昨年大騒ぎになった・大騒ぎしていた問題は実に他愛もない案件ではないのか、と思えるのです。少なくとも立法府において、口角泡を飛ばして議論するような案件でないことは間違いない。いわんや政局に関わる、或いは政局にする事案ではないでしょう。百歩譲って、議論するにしても優先順位はとても低いと小国民は思っております。

     

    でもな〜んかすっきりしない、問題の所在は何処にあるのだろう? 

    一つは、この花見の経費が公費で賄われていることに起因する。交通費まで出せとは言いませんが、会場の使用料から料理代まで一切の経費をホスト(ホステス)が引き受けたならば、或いは会費制で催されるなら、他人がとやかく言う筋は全くありません。それだけの力(経済力や人を呼ぶ力など)があるということで終わる話です。公費を使うと言うことは(国家予算の規模で見れば些細な金額でしょうが)国民や法人から徴収した税金の一部を充当すること。メディア(報道)の影響もあるのでしょうが、であるから多くの国民が「説明不足或いは納得できない」と感じている。ただ敢えて一般論として言えば、その人が納めている税金の額と批判・非難の声の大きさは反比例しているようにも感じます。庶民の深層心理には、昨年よく使われた言葉「上級国民」に対するやっかみもあるでしょう。それとは関係なく、国民から集めたお金を使うからには、とりわけ「遊興」に使う場合には一円まで明瞭会計であるべし。当然、私(わたくし)に使うことは許されません。

    以上は建て前であり原則論です。

     

    もう一点は程度の問題です。過ぎたるは猶及ばざるが如しと言いますが、我々日本人には「程々」という概念があります。花見の問題も例えば何十人とかせいぜい数百人程度であれば、あれほどの騒ぎにはならなかったはずです。これが何千人・何万人になると、「何やってんの?」となる。何事もこの「程々」を超えると怨嗟の的になりますし、痛くもない腹を探られることにもなる。だから庶民感覚の程々を超越する場合には、それなりの細かい詰めが必要です。最も重要で細心の注意を要するのはお金(経費)です。よくありがちですが、指揮官が「よきに計らえ」でやってると大概の部下は当然「よきに計らい」ます。中には親分のおこぼれにあずかろうとする者も出てきます。それを誰かに指摘されて帳簿を確認したら、とんでもないことになってた、ってなことになりかねません。

    だから内に指摘してくれる者がいる人は幸せです。そう言う人を一般に女房役と言いますね。日本の家庭では昔から、奥さんがその辺りはしっかり手綱を締めてコントロールしてきた。だから「女房役」という言葉があるわけです(多分)。勿論この役割は、別段女性に限られるものではありません。組織のNR2でもスタッフでも親父さんでも、身近にいる人であれば誰でもいいわけです。要するに、指揮官(自分の親分や旦那)を裸の王様にしないということです。「いくらなんでも、この人数は多すぎますよ」「招待する範囲がちょっと拡がり過ぎてます。もう少し厳選しましょう」「行事が変質し形骸化してます。今一度原点に返りましょう」などと、直言する人・できる人が一人もいなかったのかな・・・。招待される人数が限られるほど、被招待者が感じる嬉しさや有難味は増します。そして、ホスト・ホステスの権威や評判も高まろうもんです。これが千人・万人になると、個々はone of themに埋没します。家庭でも大小の組織でも、お金を含め諸事が上手く回っている時にはどうしても華美になりがちです。僭越ではありますが、この際いろいろな行事の見直しをしたら如何でしょうか。

    上記の形骸化という言葉は、とても重要なキーワードです。利益を出す必要がない役所にありがちなことです。常に黒字(儲け)を追求する民間では、通常あり得ないよね。そんなことしてたら、瞬く間に赤字になって破綻しますから。私の古巣(海上自衛隊)では組織として、そこのところ(形骸化)を厳しく戒めておりました。隊員の命がかかってますから。

     

    と言って、花見なんか止めちまって、そのお金をドコドコの困っている人たちや組織に廻してほしい・廻すべき・・・という意見があります。SNSでもちょくちょく見かけますが、私はその考えには与しません。お金が足りなくて困っている人や組織、お金を欲しい人は山ほどいます。ですが、そこは単純にはいかない。優先順位をつけるのも、なかなか難しい。だからと言って困っている人みんなに按分してたら、一人一円になってしまう。そこはきちんとした仕分けが必要だし、それこそ程度の問題はありますが、花見は花見でいいじゃないですか。ホストはいやしくも一国の代表であり、民主的な手法で国民が選んだ日本の顔なのですから。そして何よりも、日々国家・国民の行く末を案じ、命を削りながら諸外国の代表とやりあっているのですから。

     

    お屠蘇の力を借りて駄文を連ねました。今年もこんな感じで行きますが、引き続きご交誼を賜りますよう宜しくお願い致します。

     

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