コロナ禍再考

2020.04.23 Thursday

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    今回の新型コロナ・ウイルス禍は、戦後の復興期を経て今日の繁栄を享受してきた我々日本人に大きな課題を突きつけています。国と国との関係や国家の経済活動・産業構造の在り方を、今一度立ち止まって考えてみる機会を与えているような気がするのです。経済問題について能書きを垂れるほどの知識や情報を持ち合わせておりませんが、国家安全保障の観点から、現在の我が国経済の在り様に一抹の不安を感じてきました。また農家の出であるからでしょうか、食糧の安全保障についても若い頃から問題意識がありました。今では殆ど使われませんが、一時期「総合安全保障」という言葉が流行りました。この言葉は屋上屋です。国家の安全保障はそもそも、全ての国力をもってする「総合体」ですから。自衛隊は実力組織として国防の中核を担いますが、安全保障は防衛省・自衛隊の専管ではありません。

     

    三年ほど前のことです。都内の或る製造会社が、生産拠点の一部を中国に移転することを計画していると仄聞して大変驚きました。この会社の内外情勢を見る目や、情勢判断はどうなってるのだろうか。かの地に進出して久しい一部の企業が、東南アジア諸国(ベトナムやインドネシアなど)に再移転しつつあるこの時機に・・・今から行くのか? 一周どころか3〜4週遅れてないかい、正直そう感じました。全部ではないにしても、生産拠点を今大陸に移すのはリスクが大き過ぎる。これが私の見方でした。全く状況は異なりますが、かつて日本は大陸に手を出して抜き差しならない状況に追い込まれた。そんな思いが頭をよぎりました。傍観する立場だったので、その後、実際に移転したのかどうかは承知しておりません。

    戦後、我が国の繁栄にシンクロ(同期)して国民の給料は右肩上がりでした。いきおい多くの企業が生産拠点を賃金の安い国や地域に移転するなど、労働力を彼ら(発展途上国)に負うようになりました。それはそれで、移転先の雇用を促進し我が国の高い技術を供与するなど、途上国にも多くのメリットや貢献があったと思います。しかし安全保障の観点からすれば、産業の空洞化は決して好ましい状況ではありません。平時(何もない時)には win-win で ”よかったよかった” ですが、一旦今日のような危機が生起すると、資材や部品を他国に負っているリスクが顕在化します。お金儲け優先のツケは、いつかどこかで回ってきます。

     

    便宜置籍船を始め、外航船舶の在り方にも疑問がありました。現在、日本が海外と行う交易(物流)の99.8%は船舶に負っています。島国の貿易立国である日本にとって、それは当然のこと。問題は便宜置籍船というやり方です。これも平時はいい。しかし、いざ有事や危機が生起した時、外国人船員を信用しないということではないのですが、外航船乗員の絶対多数を占める外国人に、果たして日本への忠誠を担保することができるのか? どのような契約になっているのかは知りませんが、リスクは極めて大きいと思う。有事において死活的に重要な物資や食料が、仕向地ではない日本以外の港に向かう、このような事態は何としても回避しなければいけない。海軍は一義的に通商の保護に任じますが、海上自衛隊が現在の能力・規模で全ての日本関連船舶を保護、即ち管理できるか? 私には甚だ疑問です。

    因みに、軍事力特に海軍力についてはしばしば勘違いされるのですが、例えば百隻の艦隊を擁している海軍が、有事に即100隻を投入できるかと言えば答えはNOです。保守整備あり乗員の教育訓練あり、他の地域や任務への充当ありで、どんなに無理をしてもせいぜい三分の二です。有事であれば、戦闘による減耗も考慮する必要があります。長期戦になれば尚更です。 

     

    農水省の資料(平成30年)によれば、我が国の食料自給率はカロリーベースで37%、生産額ベースでは66%です。このデーターにはいろいろな解釈があるようですが、少なくとも年々農業従事者が減り耕作地が減少しているのは間違いありません。実家の周りを一瞥しても、耕作地は半分どころか三分の一もありません。自宅がある副都心の埼玉では、毎日のように畑が宅地になっています。一年も経つと周辺の風景が変わってしまう。留意すべきは二点。まず土地を開墾して作物を作る、或いは他に転用した田畑を再度作物ができるようにするには大変な労力と時間を要すること。もう一点は工業製品や加工品と違って、穀物や野菜の栽培には時間を要すること。栽培に突貫工事はありません。子育てと同じです。マスクやトイレット・ペーパーのように、工夫すれば努力すれば短時間で生産できるような代物ではないと言うことです。

    田畑から採れる食材は、人間が食して生きていく上で最も重要なもの。こう言うと語弊がありますが、肉がなくても魚がなくても、もっと言えばパンやチーズがなくても、最低限米と味噌と野菜さえあれば日本人が餓死することはありません。食卓の事情は大昔に戻り十分な栄養は期待できませんが、短期間(数年)であれば凌ぐことができます。ギリギリの世界のことを言っておりますので、誤解なきよう。

    およそ愉快な話ではないのですが、生きてさえいれば道は開けます。農業を活性化して食料の自給率を上げるとともに、職人のようにきめ細やかな日本の農家が作った食材を輸出できれば、安全保障上のアドヴァンテージ(加点)にもなります。

     

    好んで江戸時代のような鎖国に戻る必要はサラサラないのですが、またそんなことできようはずもありませんが、この国が独立国家として生存し日本人が日本人として生きていくためには、危機管理の在り方を再構築するのは勿論のこと、今回の事態を踏まえて経済や産業の在り方も見直す必要があるのではないでしょうか。コロナ禍は誠に腹立たしい限りですが、我々(絶対多数の日本人)にも「油断」があったと思います。いまさら言っても始まりませんが、「春節」が大きな分岐点だった。その道の素人が軽々に物申すのは慎むべきですが、我が国の対応、特に初動においてボタンの掛け違えがあったとすれば、その原因は次の何れか若しくは全部です。

    \気靴ぞ霾鵑なかった(情報の欠落) / ⊂霾鵑鯑手したが分析を間違えた / 正しい情報を得て的確な分析を行ったが情勢判断を誤った

     

    金儲け優先、効率優先で発展してきた日本ですが、この危機において国家の土台・根幹に関わる脆弱性が露呈した格好です。まだまだ先になりそうですが、この災禍を乗り越えた暁には、日本人の叡智を集めて既存の仕組みや枠組み或いは制度を見直し、新たな繁栄に繋がる方途を見出したいものです。

    坂本龍馬の言葉を借りるならば、再度「この国を洗濯する」時機が来ていると思う。

     

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