『海の都の物語』(前編)

2020.06.04 Thursday

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    私には蔵書と言えるほどの本はありません。「本を手放すことは知識を捨てることだ」と言った人がいますが、私は躊躇なく処分します。とにかく家(部屋)が狭く、かつ同じ本を二度三度と手に取ることはまずありませんので。

    私自身がこの体たらくですから、素人が書いたものの運命など推して知るべし。だよね。と言うことで、長年私の手元にある本はほんの数冊に限られます。挙げてみると表記の『海の都の物語』の他には、『戦艦大和ノ最期』『海軍と日本』『日本の海軍』『紫禁城の黄昏』『パール判事の日本無罪論』『第二次世界大戦と日独伊三国同盟(海軍とコミンテルンの視点)』。何れも私のバイブルみたいなものです。その横にド〜ンと鎮座するのは『コウビルド英英辞典』。これは、ウン十年かけても遂にモノにすることができなかった英語、その悔しさの記念品です。一つの単語に対する例文が多いので、とても重宝してます。PCに入ってるのですが、敗戦の記念品はなかなか処分する気になれん(笑)

     

    塩野七生さんの傑作『海の都の物語』と出会ったのは昭和62年(1987)ですから、あれから30年以上経ちました。歳もよるもんです。艦乗り(ふなのり)として、多少の自信をつけて生意気になっていた頃です。当時、市ヶ谷台にあった海上自衛隊の学校で一時的に充電していた時、教官から熟読・精読を勧められたものです。この本のインパクトはとても強く、私のその後の勤務や考え方に少なからず影響を与えました。ということで、この在宅勤務(見栄を張ってますが毎日が日曜日)の機会に再度手に取ってみました。先ずは家の外に持ち出して埃を払ってから:

    因みに、前記充電後の艦隊勤務等を経て三年間(1993〜96年)を北欧で過ごし、この間に欧州15か国を観て周った(遊んだ)のですが、ついぞヴェネツィア(ヴェネチア)を訪問する機会がありませんでした。三年の年季が明けて帰国時に、「どうしても心残りだ」と家族を説得して念願を果たしました。観光地に変貌しておりましたが、その後の「海の都」に立ち感慨深いものがありました。これ(コロナ禍に伴う再読)を機会に、生あるうちにもう一度訪れてみたいとの思いが募っています。

     

    小生の能力で、しかもブログ(拙稿)のような短文で、この本の全てを紹介することなど到底不可能ですので、当時私が赤鉛筆で傍線を付したところだけ転写してみます。かなり長くなりますので、こらえ性のある方はお目を通してくださいませ。

    と、ここまで書いてアレッちょっと待てよ、それって著作権に抵触するんでないかい? 引用するにしても、常識の範疇でなきゃいかんやろ! 麻雀のレートは知らんけど。ということで頭を再整理・再構築することに。

     

    塩野さんの本には、田舎の夜空のように、まさしく綺羅星の如く金言が輝いています。傍線を付した箇所を数えてみると、前編だけでも30か所ほどありました。この中から「この一文」を選び出すのは、本当に難しいのですが何とか頑張ってみます。

    青字:引用 黒字:拙考

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    海水は流れていなければならない。いったんそれが澱みはじめるや、腐敗物がそこに沈澱し伝染病の源になる。

    物理的にはその通りですが、これは単に海水のことを言っているのではないでしょう。現役の頃、艦乗りの先輩から「艦(ふね)が三か月留まってる(停泊する)と、艦も人(乗組員)も腐る」と教えられました。組織も人も物も長期間動かなければ、長時間使わなければ、錆が出て本来の動きができなくなります。平家が源氏との闘いに敗れたのは、武人が公家化したためと言われております。ものの本に依れば、源氏に比べて軟らかいご飯を食べていたそうな。帰郷した際には、しばしば屋島の高台から源平の古戦場を眺めますが、その都度「明日への備え」について思いを致します。

    若い頃、交通事故に遭って右肩を骨折し一ヶ月ほど入院生活を余儀なくされました。この間右手を使えなかったので、右腕の筋肉がほぼ固着しました。以後の予定(人事)があるので早い時期にリハビリにかかったのですが、筋肉の一筋一筋をほぐしていくのは、本当に骨が折れる作業でした。この苦しみがトラウマになって、私の右肩には鉄板とボルト・ナットが入ったままです。MRIに影響を及ぼすということも聞きましたが、現在のところ日常生活には全く支障がありませんので持って逝こうと思ってます。何の話やねん(笑)

     

    この自給自足の概念の完全な欠如こそ、ヴェネツィアが海洋国家として大を為す最大の原因であった。国家は陸地型の国家と海洋型の国家に大別されると誰もが言う。私にはこの二つのタイプのちがいは、自給自足の概念のあるなしによって決めてもかまわないのではないかとさえ思われる。

    国家建設初期のヴェネツィアには、これと言った資源も土地もありませんでした。従って、この国が生きていくためには海を通じた交易しかなかった。四面環海の我が国も、基本的な地勢はヴェネツィアと同じです。ただ幸いなことに、大陸国家の肥沃な大地には遠く及びませんが、細々とであれば国民が自給自足できるだけの土地があります。我々は神様とご先祖に感謝しなければなりません。そのヴェネツィアが後年衰退していったのは、海洋国家でありながら大陸に手を拡げたことが大きな要因でした。小さな国にとって、大陸(土地)は禁断の果実のようです。

    翻って我が国の歴史を振り返れば、日本もヴェネツィアと同じ過ちを犯したことになります。当時の世界の趨勢がそうさせたのではありますが、欧米列強に乗り遅れるなと大陸に足を突っ込んでしまった。ヒタヒタと押し寄せる北からの脅威も、日本人の目を大陸に向けさせた。しかし大陸は、小さな島国にとって底なし沼の如しです。その結果、未曽有の犠牲を強いられました。我々は決して同じ轍を踏んではいけない。同時に、海という自然の恵み、強大な防壁を自ら捨てるような愚策を取ってはいけない。為政者も国民も、この国が海洋国家であることを正しく認識する必要があります。

     

    味方というものは、それが強国であればなおのこと遠くにあるほうが望ましい存在である。

    とても面白い斬新な見方です。日本では「遠い親戚より近い他人」と言いますが、敢えて言えば「近い他人より遠い親戚」でしょうか。国や軍隊で見た場合、そして人間の本性を考慮すれば上記の考え方は一つの真理を突いていると思う。同盟や不可侵条約なるものが、如何に脆弱であるかという意味において。もし仮に、我が国が北の大陸国家や西のそれと仲良くなったとすると、我々が枕を高くして寝れる日は一年のうちでどのくらいあるのだろうか。私には甚だ疑問です。子や孫たちには、間違ってもビクビクした生活をさせたくない。第二の香港にしてはいけない。

    戦争に敗けて米国に占領され、そして必然的に米国と手を結んだことは不幸中の幸いであったと言える。遠くにあっても、かつて互いに死力を尽くした相手であるが故に、今日では双方に友情があります。勿論、お互いの国家戦略はあってしかるべきです。

     

    ある事業が成功するかしないかは、その事業に人々を駆り立てるなにかがあるかないかにかかっている。つまり、感性に訴えることが重要なのである。・・・商売というものは、買い手が絶対に必要としている品を売ることからはじまるものである。

    買い手(一般市民)が絶対に必要とするもの、それを見極めるのは売る人の勘でしょうか。同時に、言い方は悪いですが、今は情報(宣伝)によって買う人たちが操作されますので、人々が「絶対に必要と感じる」又は「そう感じさせる」ことも大きなポイントになりそうです。時が経ち後から考えてみると、実はそうではなかったにしてもです。

    常識的に考えて、人間が対に必要とする究極のものは「食料」です。何を我慢できても、これだけは無理。例示の金言からは除いたのですが、「食糧の豊かな武士は、豊かでない者より、より勇敢に戦う」という一節があります。まさしくその通り。豊富な食糧は強靭な精神に優ることを、我々(日本人)は身をもって体験しています。心身を鍛え抜かれた軍人でさえそうなのですから、一般市民をや。

    しかし人間ってのは弱いですね。今回のマスク騒動を観るとよく分かります。我々はオイルショック時のトイレット・ペーパー騒ぎで十分に学習しているはずなのですが、頭では分かっていても体(感性)が動いてしまう。とにかく他人より早く入手しなきゃ、と誤った学習をしているのかもしれない。でもそれは連鎖を生みます。何十年か後に違う形の危機が迫ると、我々はまた同じことを繰り返すと思う。これは人間の本性だから仕方がない。理性が本性に勝てないことは、しばしばあります。だから、そうする必要がない、人々を間違った方向に駆り立てない仕組みを作ることが重要です。

     

    ビザンチン帝国とヴェネツィア共和国のこの微妙な関係も、1170年近くになってついに破綻をきたす。ヴェネツィアの力が、政治的にも経済的にもまた軍事的にも強くなりすぎたからであった。

    「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は抜かれる」と言った人がいます。大きくなりすぎて、周囲から危機感を持たれると根っこから断たれると言うこと。国も組織も人も同じ、生き物です。そして生き物には厄介な感情がある。その(感情)の世界では、正義とか道理という物差しは通じません。だから、出過ぎにないように生きるのは、一つの処世術かもしれない。ですが逆に、ソコソコに生きるのは難しい。並みのレベルでいいと思って生きて、並みになれる人は幸せです。通常は、懸命に生きてやっと普通のレベルですから。だから強くなり過ぎるくらいのところ、少し背伸びをして生きるのがいいのかな。しかも強い弱いは相対的な評価なので、地勢や周辺の情勢など自分が置かれている状況によっても違ってくる。覇権・覇者を目指す国が近くにある場合には、飲み込まれないよう、とにかく目配りが必要です。 

     

    はじめに立てた計画を着実に実行するだけならば、特別な才能は必要ではない。だが、予定していなかった事態に直面させられた時、それを十二分に活用するには特別に優れた能力を必要とする。

    この項だけは、何故か傍線だけではなくを付してあります。多くの金言の中でも、余程小生の琴線に触れたのでしょうか。ですが私は、むしろ「はじめに立てた計画」、即ち計画を持っていることを重視します。素案でも粗々(あらあら)でもいいから、とにかく計画を持っていること。計画を策定するということは既に動機づけができているということであり、動機づけができておれば計画に従って訓練をやる。そして、その結果によって計画の見直しを行い、次回は更にレベルの高い訓練をする。こういう地道な作業の蓄積がある組織や人と、そうでない場合ではイザという時に歴然とした差が出てきます。

    手前味噌ではありますが、東日本大震災における我々(自衛隊)の救援活動(作戦)は、とても円滑になされたと思っています。その要因のひとつは、我々が首都直下型大地震を想定した計画を持っていたこと、そしてこれを速やかに適用することができたことです。発災の主体(敵)を地震から津波に読み替え、被災地の位置を関東から三陸にシフトしただけ。大兵力を運用する基本は変わりません。と、号令をかけるだけの私はいとも簡単に言いますが、勿論、隊員は過酷な状況下で本当によくやりました。もしあの時、我々が「大規模災害派遣計画」なるものを持っていなかったら・・・と思うと背筋が寒くなります。

     

    エリート階級は、修道院の僧が神のために無償の奉仕をするように、与えられた名誉のためだけに奉仕すべきであると言う人がいるが、こういう人々はまったく人間の本性に対して盲目であると言うしかない。・・・やはり能力には、それにふさわしい公正な報酬が与えられてこそ、彼らもその才能をより以上に発揮する気持になるというものである。

    その通り。ではあるのですが、それが全てではないと思っています。今日では報酬は主として給与を指しますが、「名誉」は公正な報酬に含まれていいと思う。お金を貰えばいいと言うものではありません。名誉はお金の代替の一部になるが、お金は名誉の代わりにはなりません。お金で名誉を買うこともできません。お金で名誉(らしきもの)を入手しても、それは真の名誉ではないので心の満足は得られないと思う。しかししかし、報酬は極めて重要です。名誉でお腹が起きる(ゴメン:讃岐の方言です)ことはありませんし、家族を養うこともできません。塩野さんがおっしゃる通り、報酬と言う目に見える、正当な対価があってこそやる気も起ころうもんです。いくら時代が変わっても人間ですもの。そこんところのバランスですね。

     

    前編の締めはこれ:

    すべての国家は、必ず一度は全盛時代を迎える。しかし、全盛時代を何度も持つ国家は珍しい。なぜなら、一度の全盛は自動的に起こるが、それを何度もくり返すのは意識的な努力の結果だからである。

    まさに『平家物語』に言う、栄枯盛衰・盛者必衰の理(ことわり)です。奢れるもの久からず。千年続いたヴェネツィア共和国は、大陸国家の前に斃れ歴史に幕を閉じました。衰退の要因はいろいろあると思いますが、一言でいえば国家戦略の誤りと迷走。組織を維持・継続するためには、常にシャッフルが必要です。シャッフルしない組織は錆付きます。人も脳味噌も同じ。国家としてこれができるか否かは、所属する人々(国民)の民度とリーダーの資質(使命感+ものごとを俯瞰する能力)に依ります。リーダーだけでは無理だし、民だけでも成し得ない。車の両輪みたいなものです。

    この両方を育むのは、いつに教育の如何にかかっている、と言うのが私の持論です。勿論、そのような教育をできるか否かも民度に依ります。少年・少女の教育の在り様は国家百年の計です。これが、繁栄を維持するための戦略に繋がる。家庭における教育、小学校・中学校の教育、即ち幼少時の教えは人となりの形成に大きな影響を及ぼします。この任に当たる者(親や教員)は、責任の重さを銘記すべきです。さてこの国の教育は如何なものでしょうか?

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    後半に続く! 

     

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