ことのは

2020.07.30 Thursday

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    出 港:

    艦長「出港よ〜い(用意)」

    (ラッパ♪ and then マイク「しゅっこ〜よ〜い」)

    うんちく1:海軍のラッパは、艦長の命令を伝える一つの手段でもある。「用意」は出港の準備にかかれではなく、今まさに「出港するぞ」という艦長の意志を示すもの。

    (艦と岸壁を繋いでいる最後の舫を放つ)

    うんちく2:この時点で艦は法規上は航海状態になる。因みに、沖がかり(投錨)の場合には錨が地球を離れた時。

    艦長「りょうげん・ぜんしん・げんそ〜く(両舷前進原速)」

    (左右の推進機を12ノットに設定する。周囲の状況や気象海象により半速:9ノット又は微速:6ノット) 

    (艦がおもむろに動き出し、岸壁からそろりと離れる。徐々に行き脚(スピード)がつく)

    うんちく3:船は車のように瞬発で動くことはできない。ガスタービン・エンジンになってかなり短縮はしたが、それでも速力を指示してから機械が整定するまで、機械が整定したのち指示した速力になるまでには時間を要する。

    (岸壁で見送る人たちが手を振る。千切れるほどにハンケチを振る)

    航海長「艦長、帽振れします」

    艦長「了解」

    (マイク「ぼ〜ふれ〜(帽振れ)」)

    (乗員は右手で帽子を取り、天に突き上げてゆっくりと左右に振る)

    うんちく4:この時、腕が伸びてない(肘が曲がっている)と絵にならない。また、シャカシャカと小刻みに振ると趣を欠く。

    うんちく5:号令・命令に抑揚をつけるのは、錯誤を避けるため。

    (岸壁で見送る人々の姿が小さくなり、顔の識別が難しくなるころ)

    航海長「艦長、超長一声だします」

    艦長「了解」 

    (汽笛「ヴォ〜〜〜〜〜(超長一声)」)

    うんちく6:超長一声の時機は、早すぎても遅すぎてもいけない。タイミング(時間と距離)がズレた汽笛は場が白ける。

    うんちく7:艦長は艦の安全な出港(運航)に神経を集中し、儀礼的なことなどは部下に任せる。

    (艦が安全に出港したところで操艦の授受)

    艦長「航海長操艦、両舷前進原速、針路〇〇〇度」

    航海長「頂きました航海長、両舷前進原速赤黒なし、針路〇〇〇度」

    うんちく8:操艦権の授受は、艦の運航について責任の所在を明確にするもの。但し、部下に権限を委譲しても、指揮官(艦長)の責任は何ら軽減されない。「赤黒」:説明が長くなるので省略

     

    最近はコロナ禍により在宅時間が長いので、スマホやラジオ、ミニコンポなどで音楽を聴くことが多い。テレビは心臓と脳に良くないのでほとんど観ません。よく聴く音楽のジャンルは二つあって、ひとつは西洋音楽のクラシック。他方は、これとは全く異次元の世界である昭和の歌謡曲。余談ですが You Tube で目にする、昭和30年代に流行った青春歌謡のバック・スクリーン(映画)に出てくる日活の女優さんたち、清楚で溌溂としていて本当に美しい。言っちゃなんですが、今日の女優とはレベルが違います。

    歳が寄ったからそう感じるのか、昭和の調べに乗せたことば(歌詞)には含蓄があります。単なる言葉ではなく、まさしく詩(うた)です。素晴らしい曲は数多(あまた)ありますが、今までに目にした中で最も私の琴線に触れたフレーズ(歌詞)は、小生の出自に因るのかもしれませんが、石原裕次郎さんが唄う『北の旅人』です。この歌の三番の詞:空でちぎれるあの汽笛さえ 泣いて別れるさいはて港:と唄わせる部分。

    これが言いたくて、そして想像を掻き立てるために、冒頭で長々と出港風景を再現した次第。この詩を書いたのは女性です。私は船乗りですから細胞でこの詩を理解できるのですが、どうすればこんな「ことば」を紡ぐことができるのか不思議でなりません。彼女の感性には本当に驚かされます。この詩の意味は、汽笛(音)が大気中に霧散するという、物理的な現象を描いたものではない。いろんな解釈があるとは思いますが、「汽笛に乗せた船乗りの思い、声なき声が上空の風にちぎれる」と私は理解します。これを我々は、出港と同時に娑婆と縁を切ると言います。汽笛は単なる音ではなくて、心であり声なのです。だからその後に「泣いて別れる・・・」が続く。船乗りの経験はなくても、せめて岸壁で見送る立場になったことがないと、「汽笛が空でちぎれる」という言葉は出てこないと思う。作者は既に他界されており、この詩が閃いたときのことを訊けないのが誠に残念です。

     

    多少は文学的にもう一例:清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢う人 みなうつくしき

    与謝野晶子さんの有名な歌です。多感な高校生の時にこの歌に出会い、清水も祇園も知らない田舎の少年はときめきました。背景や深い意味は知りませんが、情景が鮮明にかつ生き生きと浮かびます。そして自分が、心地よい夜風に当たりながら祇園を歩いているような錯覚に陥ります。とりわけ「桜月夜」が秀逸だと思う。明かりが少ない夜の世界は、日中よりもよほど人々を感傷に耽らせます。いずれも実際に観たことはないのですが、編み笠を着けて練り歩く阿波の女性(踊り子連)は、手足の動きが絶妙で、襟足や裳裾に見え隠れする足首が実に艶かしい。かたやテンポがゆっくりしている(多分)、頭の上に山鹿燈籠をいただく肥後もっこすも、とにかく美しい。何といっても、頑なに伝統を維持・継承していることが素晴らしい。人を感動させる芸術や文化は、半ば永遠に生き残るのです。そうでないものは淘汰されます。生きているうちに、一度は実演を観たいと思う。

     

    更にもうひとつ:たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず

    この歌も高校時代に諳んじたものです。『一握の砂』のなかでも、特にこの歌が好きです。下手な説明は要らない:泣ける。この歳になると尚更です。

    斯様に、短い言葉に万感の思いを込める日本語は、世界に誇る言語であり文化でもあります。

     

    本旨とは全く関係ないのですが、近年(平成以降)の所謂「演歌」はどれも旋律が殆ど同じかつ単調、歌詞も似たり寄ったりで新鮮味を感じません。歌い手さんの熱意は伝わりますが、残念ながら聴いても感動がない。唄っているご本人(だけ)が感動しているように見えます。恐らくはこれが、音楽好きの多くの若者(若くない人も)が離れていった大きな要因だと思う。演歌を聴くと気分が悪くなる、と言い放つ人さえいます。それは極端にしても、我々が浪曲を聴くような印象でしょうか。異論はあるでしょうが、歌う技術は現在の歌い手さんの方が、昔の大方の歌手よりもよほど進化していると思う。問題の所在は、旋律と詩にあると思います。

    戦後、数多の歌い手が世に出ましたが、多少の振幅周期を繰り返しながら、大衆の歌謡曲はデフレ・スパイラルに陥った。歌い手も歌も消耗品になった。分岐点(頂点)は藤圭子さんだったと思う。昭和の歌謡曲は、一人の天才少女に始まり一人の天才少女で終わったかに見えます。いずれにしても、関係者や好きな方々(私もそうです)には申し訳ないですが、このまま推移すれば演歌は、ごく一部のファンがただ懐かしむだけのマイナーな音楽になると思う。昭和世代がいなくなると、民謡や浪花節や浪曲と並ぶでしょう。現在のポピュラーな音楽も、遠からず同じ運命を辿るはずです。深みがないだけに、寿命は更に短いと思う。組織も文化も芸術も、そして人間も、シャッフルしないと錆付いて衰退します。そして人心は離れます。

     

    前回のブログ(追記)で、表現力について言及しました。例えば「言葉」と描くと読んだ人は堅く感じ、「ことば」と書けば優しくてまったりした空気がある。「ことのは」と表現すると、何となく優雅な印象を受けます。同じ音や読みでも、漢字で書かれものとひらがなを見るのでは読む人の印象が違ってきます。「ことば」は簡単に使うことができますが、使い方がとても難しい。使いようによっては、修羅場を生むこともあります。言葉は感情の発露ですから。

    私の場合、昔から特に話し言葉において失敗を繰り返しております。とりわけ調子の良い時が危ない。私の口から出た言葉が、どれほど多くの人たちに不快な思いをさせてきたか・・・。誤解が生じて、人間関係が壊れたこともあります。人間はなかなか成長しないな。「人間」と他の人を含めて一括りにするのは、これまた失礼な話です。反省が足りないから同じ過ちを繰り返し、何度も痛い目を見ることになる。いえ、それなりに反省はするのだから、個人の能力の問題だな。

     

    どうでもいいことの単なる「おしゃべり」も、それはそれでその人の能力だと思います。ですが、物事や自分の考えなどを流ちょうに表現・説明するためには努力が要ります。政治家が街宣車の上で滔々と演説したり、コメンテーターと称される人たちがメディアを通じて立て板に水を流す如く喋っているのを聴くと、内容は別にして正直すごいなぁと思う。私にはとてもできません。口数が多くて時に墓穴を掘る人もいますが、それを恐れて口を閉じると、こいつの頭の中は空っぽだと思われる。長きにわたって日本では、寡黙であることが美徳だとされてきましたが、かなり前から情況は変わっています。今では「沈黙はバカ」或いは「黙ってたら損をする」、みたいな空気が蔓延している。確かに、外(自分以外)に向かって発信しないと、余程気心が知れている人でない限り、その意図や考え方や人間性を理解してもらえないことは多い。「男は黙って・・・」は通じない社会になりました。昭和は遠くになりにけり。

    命中率の良い話し方、即ち時機を得てポイントを突いた発言をするのはとても難しい。私のように、打つ弾が少ない上に命中率が悪いと、それはまた救いようがない。死ぬまで勉強ですな。冒頭で例示したような軍事用語は、言葉として洗練されています。実動部隊には、命令や報告などを速やかに、最小限の言葉・文字で、明快かつ正確に伝えることが求められます。自ずから、使用する言葉は研ぎ澄まされたものになるのです。

     

    今回も、あっちに飛んだりこっちに飛んだりの投稿になりました。ご容赦ください。

     

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