体罰と指導

2020.10.22 Thursday

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    今日の我が国では、虐めや体罰の問題が一向に止まりません。先般も某市立中学校の教員(柔道部顧問)が、男子生徒に暴行して重傷を負わせたとの報道がありました。メディアで目にする限りでは、暴行に至った理由が誠に稚拙でお話になりません。被害者の生徒二人が柔道部でストックしているアイスクリームを無断で食べたので、指導(?)のために体罰を与えた由。当該県はどういう物差しで教員を採用し、教育現場では教員の指導をどのようにやっているのかと疑問を抱きます。そこいらの、酔っぱらったあんちゃんの喧嘩と何ら変わらない。人の教育は国家百年の計であり、教員はとても重要で崇高な使命を帯びています。限られたごく一部の者ではありましょうが、教員の劣化を心底憂えるものです。

    かく言う我々も他人様のことを笑ったり憂えている場合ではなく、恥ずかしながら、古巣の自衛隊(特に海上自衛隊)でも似たようなことが偶に起きます。かつて人事に携わった者としては、内心忸怩たるものがあります。

     

    体罰と虐めは、いろんな切り口から考えることができます。

    先ずは体罰・暴力=虐めと指導の切り分けです。問題が顕在化する場合は、教える側が「指導と暴力の違い」を明確に理解していないことが多い。子供や部下を指導する者を指導する立場にある人は、口を酸っぱくしてそこを説いているはずですが、なかなかこれを理解しない・できない輩がいます。ではそのような、理解できない人間がなぜ存在するのか? そこがポイントです。

    行動の主体、即ち指導する側を観ると、自分がやられたことがない、或いは肉体的苦痛をもってする指導を受けた経験がないので、匙加減、即ち手加減とか人間が肉体的に精神的に堪え得る限界が分からない人が多くいる。経験がないというのは、或る意味とても怖いことです。知らないままに行動するから無意識に度を越し、結果として行き過ぎた指導に至ることが多い。

    しかし上記は、指導者側に何らの邪念や悪意がない場合のことです。虐めとなると、これには主体者の胸の内にドロドロしたものが内在します。そして行動の結果は、そのドロドロが顕在化したものです。これはもう指導でも叱るでもありません。己の怒りを感情に任せてぶちまけているだけです。そこには、子供や部下を育てたいという愛情の欠片もありません。簡単に言えば、叱っているのではなく怒っているだけ。この「愛情」はとても重要なキーワードです。冒頭に例として挙げた教員は、生徒に対する愛情など全く持ち合わせていなかったと思う。 

    人間がやることですから、教育などの現場においては、使命感にあふれてまれに行き過ぎた指導があるかもしれない。しかし指導と虐めの分岐点は、そこに愛情(こころ)があるかないかです。教えられる側がそれをどう受け止めるかにも因るのですが、お互い人間ですからそこのところ(愛情の有無)は分かるのです。基本的に片思いはありません。

     

    客体側で見ると、大きい要因は少子化問題です。今日の日本の出生率は1.4前後と言われます。これ即ち、大雑把に言って子供さんの3人に一人は独りっ子であり、兄弟姉妹がいないまま成長し大人になるということです。すれば当然のことながら、多くの家庭(祖父さん祖母さんを含め)において、子供は宝ですから大切に大切に育てられます。今時、子供が悪いことをしても手を出す親は殆どいないでしょう。私自身も、自分の子供に手を出したのは生涯で一回しかありません。それどころか、教員がほんの少しでも自分(親御さん)の気に入らない指導をしようものなら、たちまち学校にクレームがくる時代です。教員の腰も引けようもんです。子供に手を出すのはNGですが、親や先生はここぞという時には毅然とした態度で接しなければいけない。そうしないと子供には、この程度はやっていいんだという甘えが芽生えます。決して子供に責任はありません。明らかに親など大人の責任です。私などは、我が子を叱る場合、口汚く教えるよりも頭にゴツンとやる方がお互いにスカッとしていい、と思ったりします。誤解を恐れずに言えば、脳に訴えるよりも体に覚えさせた方が効果的な場合もあります。

     

    少子化の更なる問題点は、子供にとって最初の社会である家庭で競争相手がいないこと。食欲で言えば、そこに美味しそうな饅頭やケーキがあっても誰かに横取りされることがない。親の愛情も常に独り占めです。そうすると、本人の性格にも因りますが、堪え性がない、外からのプレッシャーに弱い人間ができます。加えて、お腹がすく(ハングリー)という感覚を持ったことがない、常に満たされた状態の、良く言えば伸び伸びとした大人ができます。これが良い方向に伸びればいいのですが、そうならない場合も多い。虐めや暴力は犯罪であり、それを認めることは絶対にできませんが、多少の外圧をはねのけるだけの力がない子供・大人に育てられ人は誠に不幸と言うしかありません。両親には誠に失礼ですが、私は物心ついてからだいたいお腹を空かして育ちました。これがとても良かった、と今では思います。ですから、防衛大学校はとても厳しい学校(組織)でしたが、私にとっては或る意味快適な生活空間だったのです。学問の方は、航空工学を専攻しただけに超低空飛行に終始しましたが。

     

    中国はかつて一人っ子政策を採り、そのツケが今来ています。将来も余波は残るでしょう。翻って我が国では、国策ではないが多くの家庭が一人っ子、謂わば家庭策を採用しています。このツケは、国力としての人口問題に加えて、より深刻な人間(日本人)のメンタルに効いて来る(既に来ている)はずです。かかる観点からも、少なくとも二人の子供は持って欲しいと思う。自分はそうしなかったのですが、4〜5人おれば更に宜しいかと。しかし経済的にも時間的にも、特に働いている母親(女性)の負担は甚大です。政府は百年先を見て、どっか〜ンと思い切った政策をぶち上げて欲しいものです。

     

    軍隊と体罰について:

    鈴木貫太郎さんが海軍兵学校校長の時に、生徒間の鉄拳制裁を止めさせようと腐心されたのは有名な話ですが、帝國陸海軍では、特に戦争中は鉄拳制裁や暴力をもってする指導を良しとする空気があったと思います。現在は違いますが、大なり小なり陸海軍の伝統を引き継いだ自衛隊にも、過去には同じ空気があったと思う。本件に関し、私がいつも例に出すのは米海兵隊です。アメリカの海兵隊は世界最強の軍隊です。その海兵隊において、鉄拳制裁の醜聞など聞いたことがありません。これ即ち、暴力をもってする、恐怖に訴える指導教育には何ら正当性がないということです。明言します。鉄拳制裁で強い軍隊が構築されることは絶対にありません。

     

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