出会い

2016.09.22 Thursday

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    一年半ほど前のことです。

     

    若い友人から「高嶋さんが興味ありそうなテーマなので覗いてみませんか」と、神奈川県にある某大学(大学院)のセミナーにお誘いがありました。その日のテーマは『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)ですと言われば、私は肩を回します。『戦艦大和ノ最期』は昭和の平家物語とも評され、極めて格調の高い叙事詩です。私が生涯で最も強く影響を受けた1冊です。まだ生きとりますが。

    今ここで『戦艦大和ノ最期』との出会いを言いたいわけではありません。そのことは、拙著『指揮官の条件』

    <a href="http://www.umihiro.jp"target="_blank">に詳しく記してあります。

     

    セミナーで私なりの所見・意見を述べ、帰りの電車でやはりセミナーを傍聴(オブザーバー参加)していた、この大学の卒業生(OG)と並んで座ることになりました。これが本日のタイトル「出会い」です。

    彼女はシートに座ると、やおら鞄からファイルを取り出し資料に目を通しています。失礼とは思いつつ、ちらっと盗み見すると、見たことのない植物の写真がありました。しかも、資料の右上には「機密」の表示。仕事柄(経歴上)、とりわけ「秘」には敏感に反応する私です。不躾に「その植物なんですねん?」。すかさず彼女は、「日本でパパイヤを栽培する企画をしているんですよ」と言います。???。恥ずかしながら、パパイヤと聞いて頭に浮かんだのは、とても美味な台湾マンゴと、昔テレビでよく見かけた「もじゃもじゃ頭」の振付師の顔でした。情けない。

     

    たった15分程度の同席だったのですが、彼女は「北海道でも育つパパイヤを作りたい」と熱く夢を語りました。それを聞いて、ピ〜ンと閃くものがありました。先に電車を降りる彼女に、「あの〜大変厚かましいのですが、差し支えなければ、その資料を一部いただけないでしょうか」と、おそるおそる聞きました。

     

    話が長くなるので、その後の経過は端折ります。

    現在、実家(在讃岐)の畑には、多数の実をつけた二本のパパイヤがすっくと立っています。正直、現時点では「海のものとも山のものとも」分かりません。しかし、今までカンで生きてきた私は、このパパイヤに限りない未来を感じるのです。ちょっと大げさですが。

    ただひとつの不安は「えんがい」です。私の実家は日が暮れると、車の音も聞こえないホタルの里にあります。「塩害」などあろうはずがありません。そう「猿害」です。実家の庭には亡父が植えたキンカンの木が二本あり、昨年は殊のほか豊作でした。しかし、一粒として私の口には入りませんでした。私が家を空けているのをいいことに、ぜ〜んぶ「おさるさんチーム」にやられました。

    現在、多くのいえほとんどの、山間部の農家はサルとイノシシに泣かされています。生きていくのが難しい村になりました。

     

    話はころっと変わります。

     

    帝國海軍がミッドウェー海戦で敗れ、ガダルカナルからも撤退して、日本の敗北が明らかになりつつあった昭和18年4月(18日)、山本五十六聯合艦隊司令長官がソロモンに散りました。日にちをカッコ書きにしているのは、山本機が米陸軍のP-38(ライトニング)に撃墜されたのは4月18日ですが、実際に息を引き取ったのは翌19日の可能性があるからです。

    山本長官は、南方に展開していたとき、パパイヤをこよなく愛したと言われています。ブーゲンビル島の現地部隊は、長官の遺骸を荼毘に付した場所に、土饅頭を築いて急ごしらえの墓を作りました。そして、一対のパパイヤを植えました。部下に慕われた、山本長官らしいエピソードです。

    現在、山本長官とともにソロモンの露と消えた、一人の海軍士官(聯合艦隊航空甲参謀)の生涯を辿っています。取ってつけたように思われるかもしれませんが、彼がパパイヤに会わせてくれたと思っています。

     

    【眦菁郢襪離フィシャル・サイト】
    ⇒http://www.umihiro.jp

     

    博海堂

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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