北方領土

2018.01.04 Thursday

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    明けましておめでとうございます。お屠蘇気分に冷水をかけるような話で恐縮です。

     

    北方四島は納沙布岬と知床岬の東方、北緯43度20分から45度30分に位置する。北方四島と聞くと、土地勘のない人は歯舞・色丹・国後・択捉の四つの島と思いがちだが、歯舞は水晶島や志発島などからなる「歯舞諸島(群島)」である。日本がアジア大陸を扼する三海峡(宗谷・津軽・対馬)を手中に収めているのと同様に、オホーツク海と太平洋を分け千島列島の一部である北方四島は、ロシア太平洋艦隊にとって極めて重要な意味がある。

     

    納沙布岬からのぞめば手が届くほどの距離にある歯舞・色丹の安全保障上の価値は、国後島・択捉島、特に択捉に比べるとさほど高くはない。色丹水道や歯舞諸島の水道は可航幅が狭く、水深も20メートル以下で多数の浅瀬が点在しているため大型の艦船は航行できない。勿論、小さな島や岩であっても排他的経済水域(EEZ)などを考慮すれば、その島がいずれの国(日本又はロシア)に帰属するかは、大変重要なことであることは論を待たない。ここで言うのは比較の問題である。

     

    かつて(冷戦後の1993〜96年)北欧ノルウェーの日本大使館で勤務していたとき、国際問題研究所の若い研究員と親しくしていた。あるとき彼が「貴国の北方領土は返ってくると思うか?」と私に訊いた。私は即座に「もし自分がロシアの太平洋艦隊司令官であれば、絶対に手放さない」と応えた。海軍軍人であれば、誰だってそう思うだろう。オホーツク海では、SLBM(潜水艦発射型大陸間弾道弾)を搭載したロシアの原子力潜水艦が睨みを効かし、アメリカと対峙するロシア核戦力の一翼を担っている。この海はロシアにとって、まさに神聖にして侵すべからず。聖域なのである。従って、日本にとってこの問題(北方領土の返還)は大変難しい。

     

    世界の常識として、民族の血を流して得た土地は絶対に手放さないと言われる。終戦間際のドサクサに紛れて不法に占拠された日本の領土だが、我が国がこれを取り返すのは容易なことではない。先の大戦に敗北し、もし日本がアメリカではなくソ連に占領されていたならば、今頃我々はロシア語を話しているに違いない。勿論、日本の歴史は書き換えられている。GHQは日本を骨抜きにしたが、逆にバリバリの民族ができただろう。沖縄や硫黄島を返還したアメリカという国は、そういう意味においては純粋かつ誠実な国であるとも言える。

     

    ロシアの視点を踏まえると、日本が北方領土を再び手にするのは大変厳しい。そもそもロシアは、不法に占拠したとか、いずれ返還しなければならない土地、などとは露ほども思ってないだろう。なにせ相手は、50万の日本人を極寒の地に連行して奴隷の如く扱った国である。しかも、連れ去った民間人さえ「捕虜」と言って憚らない。とにかく、我々が考えるような尋常な相手ではないのだ。

     

    では日本は如何に動くべきか?

    先ずは国際政治の場でロシアを我が国と同じ土俵に乗せること。相手の不法性を訴えて、返還を要求し続けることである。そのための引き出し(策)は多いほどよい。最も有効な引き出しは、彼我の国力差である。国力の定義は難しいが、勿論経済力だけを指すものではない。クラウゼヴィッツは言った「戦争とは他の手段を持ってする政治の継続である」。この言葉を単純に、武力で取られたものは武力で取り返すと解釈してはいけない。ドラエモンの引き出しには、当然のことながら「軍事力(国防力)」もあるということだ。

    領土問題は妥協したら終わり。何千年かかろうと、日本民族が最後の一人になっても戦い続ける(返還を求める)。領土を取り返そうとする我々日本人には、その覚悟が求められているのだ。機が熟するのを待つ忍耐も必要。東西の冷戦時代、誰がソ連の崩壊を予期したか?世界の情勢、そして国際政治は常に動いている。

     

    方法論としては、取り敢えず二島返還という考え方もある。しかし、私はこの案には与しない。歯舞・色丹の奪還は、肉を切らせて骨を切ることにはならない。むしろ、それこそ我々が相手(ロシア)の土俵に乗ることになる。歯舞・色丹を手放しても、ロシアが痛手を被ることはない。国家間の約束や合意は、信義に反して反故にされることもあり得る。外交上のテクニックはあろうが、基本的には一括返還でなければならない。

    諦めてはいけない。妥協してはいけない。そうでなければ、故国を想い望郷の念にかられつつ、シベリアのツンドラに没した何万同胞の霊は浮かばれまい。

     

    シベリア帰りの亡父が晩年、絞り出すように言うのを一回だけ聞いた。「やっとの思いでナホトカにたどり着き、引き揚げ船に乗る直前に息を引き取った男がいた」。「岸壁の母」は、虚構(歌)の世界だけではないのだ。夢にまで見た故山:博奕岬(舞鶴)を目にすること能わず。嗚呼!

     

    【高嶋視のオフィシャル・ブログ】

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