小栗上野介

2018.03.01 Thursday

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    JR横須賀駅を出て左(海側)に歩を進めると、 ヴェルニー公園があります。この公園の名前を付けるときに、横須賀でどのような議論がなされたのかは知りませんが、私には釈然としないものがあります。ヴェルニーを言うなら「小栗」、少なくとも「小栗・ヴェルニー公園」ではないのか?実際、公園内には小栗さんとヴェルニー氏お二人の胸像が並んであります。小栗は発想・発案、ヴェルニーが実施という違いはありますが、なぜ日本近代化の星(小栗)よりも一介の技師(ヴェルニー)が優先されているのか、私にはよく分かりません。ヴェルニーは横須賀製鉄所の建設において、技術的な指導をしたフランス人技師です。勿論、彼の功績は偉大であり、それを否定するものではありません。

    因みに、この公園に立つと横須賀港を見渡せることができ(と言えるほど広くはないですが)、海上自衛隊とアメリカ海軍多数の艦艇を目にすることができます。ここ横須賀は、西太平洋・東アジアからインド洋を包含する海の守りの総本山。民間企業が経営する港内の巡航、通称「軍港ツアー」は、休日には予約しないと乗れないほど盛況です。

     

    現役のとき、小栗上野介(おぐり こうずのすけ)の墓に詣でました。この方こそ、横須賀のみならず我が海軍の大恩人でもあるとの思いからです。小栗さんの墓は、群馬県高崎の片田舎に佇む「東善寺」の敷地内にありました。小栗は単に横須賀というよりも、日本の夜明けに貢献した人物に列せられて何らおかしくない。能力的にも人物的にも勝海舟や坂本龍馬と並ぶ、或いはそれ以上の人と言ってもいいでしょう。同じ頃幕臣でありながら、勝が風を読み階段を駆け上がったのとは対照的に小栗は悲劇の人です。同じように悲劇の主人公である坂本龍馬は、司馬効果もありつとに有名ですが、小栗は教科書にも出てきません。判官贔屓ではありませんが、もっと世に知られて良い人物だと思います。

    因みに、後述の遣米使節に同航(太平洋横断のみ)した咸臨丸の勝(海舟)艦長は船酔いで任務遂行に至らず、太平洋往復を指揮したのは米海軍士官(ブルック大尉)でした。操船も米海軍の乗員に負った。日本人にとっては初の太平洋横断であり、それも致し方なかったでしょう。

     

    安政7年 (1860)、小栗は日米修好通商条約批准に赴く遣米使節の一員(監察:目付役)として渡米します。時に小栗豊後守忠順は34歳で使節の第三席でした。当時、パナマ運河はありませんので、ハワイ、アメリカの西海岸(サンフランシスコ)経由パナマに入港、陸路パナマ地峡を東に移動し、再び米国船を乗り継いでワシントンに至る。ホワイトハウスで米大統領に批准書を手交し任務を終えた一行は、その後大西洋・インド洋を経て帰国するという、およそ9か月にわたる大航海でした。使節一行は図らずも世界一周を行った初の日本人になった。

    小栗がアメリカで見たものは日本と欧米の国力の違いであり、その差は「鉄」にあると看破します。アメリカでは至る所で鉄が使われている。そして彼は、ワシントンの海軍造船所を見て確信します。日本の近代化を推進するためには、先ずは製鉄所を造らなければいけない。この閃きと見識が、後の横須賀製鉄所から造船所、そして海軍工廠へと繋がっていく。造船所を作るには、その前に船を建造する機械や工具が必要と考えた。
    帰国後、小栗は勘定奉行、軍艦奉行等として手腕を振るいます。株式会社の設立、郵便・電信制度の設立、新聞の発行、鉄道の建設、中央銀行・商工会議所の設立などなど、欧米で見聞したものを頭に描き提唱する。徳川幕府には、こんなにも先を見ていたスタッフがいた。私が小栗を、勝海舟や坂本龍馬を凌ぐ人物と言ってはばからない所以です。

    しかし彼が、これらの多く(殆ど)を目にすることはなかった。澎湃として討幕運動が沸き起こった時、江戸幕府の主戦を唱えた小栗は勘定奉行・陸軍奉行を罷免され、知行地の一つである倉渕(高崎)権田村に隠棲します。ここが岐路になった。官軍の追手は執拗に迫り、同地の川べりで斬首される。官軍はそれほどに、小栗の知性と能力を恐れていた。時勢とはいえ、日本は誠に惜しい人材を失ったものです。もし彼が明治維新後も存命であったならば、どれほどの大事業を成し遂げたでしょうか。新政府で辣腕を振るったであろうことは、容易に想像できます。或いは渋沢栄一に匹敵する、超える人物になったでしょう。

     

    唯一の救いは、帝國海軍に小栗の功績を認識する(認識できる)高官がいたことです。その人こそ、日本海海戦時の聯合艦隊司令長官東郷平八郎大将(後に元帥)です。東郷さんは凱旋後、日本海海戦で我が海軍が勝利できた第一の要因は小栗さんのお陰(横須賀造船所)、と小栗の遺族に感謝の意を伝えています。薩摩官軍の出自である東郷が、賊軍小栗の名誉を回復した。東郷さんもやはり人物です。小栗が無念の最期を遂げた跡には石碑があります。「偉人小栗上野介罪なくして此所に切らる」とある。日本の夜明けを見ることなく逝った、小栗の心中に思いをいたし手を合わせました。

     

    小栗上野介は、横須賀市民や海上自衛隊員が忘れてはならない人物です。横須賀では毎年小栗・ヴェルニー祭が行われています。主催者は何故か「ヴェルニー・小栗祭」と称しているようですが、私は「小栗・ヴェルニー祭」と言います。

    気楽に読める書では童門冬二の『小説 小栗上野介』(集英社)がありますが、何と言っても小栗の第一人者は、小栗をかくまった前述「東善寺」の住職・村上泰賢氏です。村上住職渾身の作『小栗上野介(忘れられた悲劇の幕臣)』(平凡社新書)は必見です。世に知られた、或いは教科書に出ている歴史とは違った、幕末・維新史を見ることができます。小栗が一時期を過ごした東善寺には、多くの資料が保管・展示されています。

     

    私はいつの日か、「小栗上野介」が大河ドラマになるのを夢見ています。

     

    【高嶋博視のオフィシャル・ブログ】

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