そもそも国防とは何か(日報問題)

2018.04.07 Saturday

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    またまた大上段に構えたタイトルで恐縮です。本ブログは隔週に公開しておりまして、また政治の経験も知識もないので時局問題には極力手を出さないように、言及しないようにしております。よって今回は番外編です。「もう我慢でけん」みたいな。

     

    これが時局と言えるのかどうかよく分からないのですが、所謂「日報問題」です。今日の日本は、国家としての自助努力と日米同盟によって、戦後どの国とも一度たりとも戦火を交えることなく、我々国民は平和の配当を享受しています。自助努力と同盟の核になるのは軍事力、即ち自衛隊と米軍ですが、我々の自助努力には防衛力以外のさまざまな努力、日本人の英知が含まれると考えております。誠に幸運なことでもありました。

    一方で現在、一部の国民やメディアは、あたかも鬼の首を取ったかのように「日報にっぽうニッポウ」と喧しい。こう言うと、私の出自からして防衛省や自衛隊を庇おうとしていると思われるかもしれませんが、そうではありません。むしろ心情的には逆です。逆という意味は、担当部局を一言でいえば「詰めが甘い」。現役時代には数々の失敗を繰り返してきた、私が言うのもおこがましいのですがこれに尽きる(と思う)。勿論、部外者ですので、ことの詳細については承知しておりません。念のため。

     

    さて、本件の何が問題なのか?

    そもそも、自衛隊の行動記録(日報)を全世界に公開するのかという問題。とりわけ、今問題になっている日報は、一部外交も絡むであろう、海外で実任務に就いていた部隊の記録です。大袈裟に言えば、或いは大袈裟でもなく、大なり小なり日本の防衛政策や安全保障に関わっている。某省の文書書き換えなどとは、本質的に異なる問題です。自国の軍隊の行動を、白日の下に曝す国などありますか。基本的に秘密ですよ。勿論、偵察衛星で人や車の往来まで確認されている。そういう時代であっても、軍隊の動きは原則として秘匿されるべき。それは単に、現在の状況を関係国に把握されるということだけでは済まないからです。或る国の軍隊の現在を知ることによって、将来を占うことができる。日本と言う国が、安全保障上今後どのように動こうとしているのか、を予測することができる。勿論、公開された日報の1〜2ページで予測できるわけではない。いろんな情報の積み重ねで見えてくるのです。「情報」とはそういうものです。

    周辺諸国や日本に関心のある国は、現在日本で行われている議論や報道を高みの見物、或いは笑って見ているでしょう。我々が隣の国の政治の状況を笑っているのと同じ構図、です。と同時に、あぶりだされる情報の収集・分析に努めている。

     

    民間の企業においても、しっかりした会社は社員に日報の提出を求めるでしょう。今日、どこに営業に行ってきたか、その成果はどうだったか、などなど。それを競合他社に公開しますか?

    別な視点でいえば、大会社の社長や会長は社員全員の日報を見ますか?もし、そうしている社長がおれば、その方はスーパーマンか、或いは会社の将来や長期戦略などは考えていないのどちらかでしょう。

     

    ないと言ってた日報が、あそこにもあった・ここにもあったと、小出しに出てくる。これは当局が、意図的にやっているのではない(と推察する)。技術の発達に制度が追い付いていない、ということ。同じような問題は昔からあります。

    人間は敵を倒すため、或いは知的好奇心から、画期的な技術を手にしてきました。地球上に人間が存在する限り、これからもそうでしょう。しかし、その技術を安全に運用・活用するためには、或る種の規制や決まり事が必要になってくる。例えば、車(自動車)が急速に普及し、一人一台の時代になった。街中に車が行き交う。必然的に、車両事故・人身事故が頻発します。その結果を得て、これはいかんということで交通信号を作ったり、道路交通法を整備したり。そうやって、少しずつ交通事故が少なくなってきました。本当は或いは理想的には、車を作るのと並行して法律などを整備すればいいのですが、人間の知恵はなかなかそうはいかない。やってみないと分からないこと、所謂後知恵もあります。

    この「日報」について言えば、上記「技術」という括りにはパソコンなどITの他、海外派遣という新たな任務や新しく作った組織なども含まれる。用意周到に準備したつもりではあっても、どこかに抜け穴や思いが至らないところがある。人間がやることだから。だから仕方ないとは言いません。我々は言い訳の利かない組織ですから。「想定外でした」は通用しない世界です。 

     

    この(日報)問題は、シビリアン・コントロールに関わるという声もある。そうかな・・・論点が違ってないかい?

    シビリアン・コントロールと言えば、思い出すことがあります。平成19年(2007)1月、防衛庁は念願の省への昇格を果たしました。市ヶ谷の大講堂において行われた記念式典において、大勲位(中曽根元首相)が祝辞の中でシビリアン・コントロールの意味を説かれた。勿論、参会者は皆さんそんなことは承知しているのですが、大勲位が「釘を刺した」ということ。参列していた官僚は、複雑な思いで祝辞を聞いたことでしょう。

     

    我々艦乗り(ふなのり)には、次のような先人の教えがあります「頭より先に艦(ふね)を走らせるな」。緊急事態においては走りながら考えることもありますが、走りながら考えるのと頭より先に艦を走らせるのは根本的に違います。

     

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