安全とリスク

2018.07.05 Thursday

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    安全とリスクの関係は、危険な仕事に従事している人のみならず、人間にとって永遠のテーマです。例えば、交通事故を恐れていては車を運転することはできません。この日本においては毎年、何万人と言う人が命を落としているにも拘わらずです。今日では家の外に出るだけでも、何らかのリスクを伴います。従って、人間はそこのところ(安全とリスク)の折り合いをつけながら生きてゆくことになります。技術革新によって、安全に配慮した新しい機械や情報技術が開発されても、予期しなかった新たなリスクが生じるのが常です。

     

    私は半生を洋上で過ごしましたので、「人や艦(ふね)の安全を確保しつつ、リスクを甘受する判断」を常に求められてきました。「常に」というのは、決して大袈裟な表現ではありません。海は生き物であり、人に優しい時もありますが人間に牙をむくことも度々あります。

    一つの例を挙げてみます。海上自衛隊では時々体験航海というのを行います。何か月も前から、一般市民(国民)の希望者を募ります。当日は数時間、湾の内や沿岸を航海して、我々の仕事や海上防衛に対する理解を深めてもらいます。商船やフェリーとは違う醍醐味や珍しさもあり、体験航海は大変評判が宜しい。お客さんは楽しいのですが、艦長以下乗組員はそれはそれは大変です。何日もかけて、細々(こまごま)とした計画を立案します。一日の航海が終わるとグッタリです。いえプロですから、航海するのはなんてことありません。大変なのは、お客さんの安全を確保するために、どれほど気を使いどんだけ汗をかくかということなのです。

     

    さて、予定した航海の日が近づいてくると風雨を伴う低気圧が発生し、体験航海に影響がありそうな情勢になったとします。お客さんは何か月も前から、護衛艦に乗るのを大層楽しみにしています。中にはわざわざ有給休暇を取って、遠路泊りがけで乗りに来る人もいます。もしかしたら、その人の人生でたった一度の経験になるかもしれない。そう思うと受け入れ側は、間違ってもお客さんに怪我をさせるようなことがあってはならないと考える。無理をして出港したはいいが風雨激しく、波が甲板を洗って船酔いの人が続出した、或いはお客さんが怪我をした。これでは目的(広報)を達成できないどころか、マイナスの広報になりかねません。

     

    野外で行う行事は天候によって、我々のように相手が海の場合は更に気象・海象によって、その成果が大きく違ってきます。天候の状況が怪しい時、指揮官は「やる」か「やらないか」を決心しなければならない。一つの選択肢は「中止」です。小学生が遠足を待つように楽しみにしていたお客さんも、「安全のため」と言われると文句は言わない。「安全」という言葉は、謂わば切り札です。お客さんの安全を重視して、リスクを回避したことになります。簡単な決心のようですが、部隊(艦艇)の行動を取り止めるのには勇気が要ります。決して、安易に決断しているわけではありません。素人判断の「この程度で中止かよ」という不満、このような小さなリスクは、当然受け入れなければならない。

    もう一つの決心は、多少波があっても、即ちリスクを負ってでも出港するという選択肢。その場合には、乗員に更なる負担を強いることになります。甲板上で紫外線を浴びながら、心地よい潮風に当たって景色を眺める。この代案として、艦内でお客さんが楽しめる、更に艦艇や海に対する理解を深めてもらう企画が必要になります。乗員は静かな海での航海(接遇)よりも、もっともっと疲れる。リスクを負いながら目的を達成しようとするからです。

     

    いずれを取るかは、指揮官の決断次第です。決心する際の最も有効な物差しは、その人(指揮官)が持っている経験と、経験に基づく知識です。経験と知識があれば自信をもって判断し、毅然として部下に「中止」或いは「やれ」を命ずることができます。リスクを負ってでも「やれ」の場合には、指揮官の「腹(はら)」が必要です。決心・決断の結果が凶(マイナス)と出た場合、全ての責任を引き受けるというハラです。であるので、ともすれば安全パイ(行動の取りやめ)を選択しがちです。

     

    軍事組織の厳しさは、人の命(いのち)と言う、究極のリスクを負いつつ任務を遂行しなければならないことです。指揮官には、困難と思われる情勢下においても、「やれ」と命じる厳しさが求められます。一方部下には、粛々と指揮官の命令に応じ得る、強い心と技能が必要です。このような使命感を持った、そして任務に堪え得る一人の戦士を養成するのには時間がかかります。時間がかかるということは、お金もかかるということです。世界中の絶対多数の国の独立と安全は、このような国軍の兵士によって維持されています。日本も例外ではありません。勿論、戦士(軍人)だけが国防を担っているわけではありません。国民一人ひとりの国家観や自らの手で国を護るという志が、あらゆる分野において国を支える力になります。

     

    如何にも重たそうな話ではありますが、実は特段難しいことではありません。自分自身を護る・家族を護る、大切な人を護ることも、基本的には国を護るのと同じではないでしょうか。

    話が飛躍しますが、そういう意味においても子供の教育は本当に重要だと思っています。

     

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