美しく老いる

2018.11.08 Thursday

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    人生百年が射程内に入りつつある現在、如何に老いるかが大きなテーマになっているような気がします。若い時には勿論、そんなことを考えることも感じることもなかったのですが、身内の老いや死に直面し、かつ自分自身の老化というものを少しずつ実感すると、自然とそんなことを思うようになりました。遠い昔に憧れていた女優さんが御年相応に老けていく姿を観ると、あんなに綺麗だった人もやっぱりお婆さんになるんだ、と少し寂しくなったりします。自分は少年のままなのです(笑)。

     

    現役時代に多くの人(隊員)を観てきたせいか、人に会い人を観るのが大好きです。他人様の、特に目(瞳)を観るのはとても楽しい。嫌な性格です。それでなくても目つきが悪いと言われてますので、誤解されないよう自分なりに注意はしております。男性・女性を問わず、たまに涼しい目をした人生の大先輩にお会いすると、本当に嬉しくなります。つい最近も、80歳の素晴らしい先輩(男性)にお会いする機会がありました。若い頃には、大変な苦労をされた方らしい。現在は億のお金を動かす事業家であり、若い人と回るゴルフではドラコン賞を取る。とてもクールな目をしておられました。内面の美しさは、言葉で言わなくても目に出ます。こういう人には憧れます。

    昔は「人間40(歳)を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言われたものですが、言い得て妙ですね。ただ、今日ではかなり寿命が延びてますので、40のところは50〜60に置き換えても良いと思います。

     

    男だって女だって、誰だって若い頃は「それなり」に綺麗に見えますが、人生の折り返し点を過ぎ、晩年に至ってもなお美しく居られるというのは素晴らしい。この「美しい」は、beautiful or good looking のことではありません。何と言ったら良いのでしょうか、謂わば先に述べた「涼しい」でしょうか。英語で言えば、文字通り cool になるのかな。反対語は「暑苦しい」(笑)。占い師じゃないのですが、顔を観れば、もっとはっきり言えば瞳(目)を一瞥すれば、その人の生き方が大体わかります。どんな風に生きてきたのか、今をどのように生きているのか。どんなに美人・男前でも、どんなにお金持ちでも、どんなに社会的地位があっても、或いはその逆の場合であっても、その人の生き方や生き様は必ず顔と目に出ます。言葉は注意すれば取り繕うことができますが、目はどうしても無理だな。因みに私の場合は、とても腹黒くてせこい人間ですから、他人からはずるい人間と見られているはず。と自覚してます。こればっかりは、隠しようがありませんので。

    人の顔は年齢に応じて、正確を期すると、人生に応じて変わっていくと思う。同窓会なんかで感じるのですが、子供の頃や生徒の時にはノーマークだった(ちょっと表現が悪いね)、全く注目されなかった人が、数十年経つとビックリするほど輝いていたりします。そういう人を観ると、ああこの人は良い人生を送っている、幸せに生きてるんだなぁと思います。残念ながら逆の場合もあります。

     

    現役の人事教育部長の時には、仕事柄多くのご夫婦を観てきました。或る階級の人が退役する場合、海上幕僚長が昼食会を催してご夫妻を労います。人事教育部長は人事担当者として食事会のお相伴にあずかります。私は長い間この配置におりましたので、数多くの先輩ご夫妻をじっくりと観る機会が何回もありました。そして、驚くべき発見をしたのです。内緒で教えますね。英語では just between you and me (ここだけの話)。それは、殆どのカップルが兄妹(姉弟)のように見えるということです。嘘だと思うなら、ご年配の方はまず相方さんのお顔をまじまじと観て、そして次に鏡を見て下さいませ(笑)。納得できるはずです。

    何十年もの間、同じものを食べ、同じ空気を吸い、同じようなことをしていると、自然とそうなるのだと思います。当然、考え方や価値観も似てくる。なぜか?私の推察によれば、そうしないと、或いはそうならないと長年一緒には居れない、ってことだと思う。

     

    離婚の経験がおありの方には、大変失礼な言い方ですがご容赦下さい。別れる理由はカップルによって千差万別でしょうが、仮に双方ともにどれだけ努力したとしても、結局、同志にはなれんかった。ってことではないでしょうか。スミマセン、生意気なこと言って。他意はありません。浅学菲才の推論に過ぎません。

    時々耳にする、例えば「〇〇さんちの奥さんはとても良い方なんだけど、旦那さんはちょっとね〜」とか、或いはこの逆パターンのような言い方・見方があります。でもね、人生そんなこたぁ〜ありませんよ。私は人に冷たいですから・・・そんなことは信じません。勿論、長年連れ添った夫婦であっても、多かれ少なかれ見解の違いはあります。立ち居振る舞いだって違う。生身の人間ですから、当然のことです。また、少なからずどちらかが(或いは双方が)折れて、我慢して生きていることもある。でもね、根っこは「おんなじ」だよ。繰り返しますが、そうでなきゃ一緒には生活できませんし、ましてや同志にはなれん。昔と違って、「お疲れさまでした」のハードルは随分低くなってますから。夫婦の形は、いろいろあると思いますが・・・。

    違うかな〜?でも私はそう思う。

     

    なんかドンドン話が趣旨(表題)から逸れてきた(笑)。逸れついでに、もひとつ。

    初級幹部に任官して、遠洋練習航海で南米数ヶ国を訪問しました。若かりし昭和51年(1976)のことです。その際、ブラジルなどで移住した多くの日系人にお会いしました。当時は、一世の方も随分おられました。不思議なことに、その方たちの多くが現地人のように見えた。日本語で話すから分かるけど、黙ってたら現地の人と区別がつかない。その土地で長い間生活していると、そこに溶け込むのでしょうか。ただ日焼けしていると言うだけではなく、一種の同化ですね。そうならないと生きてゆけないから、意図しなくても自然にそうなるのだと思います。無意識のうちに同化していくのでしょう。一世にしてそうですから、言葉もその国になっている二世・三世をや。

    実は私にも同じような経験があるんですよ。たった三年ですが北欧で生活して、帰ってから暫くはよく言われました。

    「ハーフですか?」(北欧系がちょっとね)

    「日本語で宜しいですか?」(讃岐弁なら多少は)

    グダグダ言って、結局それが言いたかったんかい(笑)。

     

    主題に戻り、残された時間の中で、お腹に溜まったヘドロを如何にして吐き出すか。凡人には難しい。そのまま持って逝くのかな。

     

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