NHKの番組から

2018.12.06 Thursday

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    NHKラジオ(AM)第一放送に「すっぴん」という番組があります。週日(月〜金)の午前中に放送されており、とても楽しい番組なので私も時間がある時には聴いております。女性アンカーと曜日ごと日替わりで登場する、著名な相方さんとのやり取りが大変愉快な番組です。特に女性アンカーのカラカラとした笑い声や、忌憚のない話しぶりが多くのファンを引き付け、同局の人気番組になっているようです。ただ今時ですから、また放送の時間帯からしても、聴いている人の絶対多数は私のように比較的時間に余裕のある年配層や、ちょっと変わった主婦層(アッと失礼)に限られているように思います。

    番組は毎日異なるテーマについて、視聴者の声などを披露しながら進行していきます。時には勉強になるテーマもあり、ナルホドと思わせて会話が進むこともありますが、大概は罪のないやりとりに終始するので気軽に聴ける番組です。

     

    と思ってました、先日までは。と言いますのも、一ヶ月ほど前のことです。登場した金曜担当の某作家先生が堀越英美氏の『不道徳お母さん講座』なる本を紹介・引用しつつアンカーとやりとりをしてました。30分間ほどだったでしょうか。お二人の話しを(私の言葉で)要約すると、「浦島太郎」や「桃太郎」の話を俎上に上げて、「日本のおとぎ話は、歴史をたどれば時の権力や国策(富国強兵など)によって都合よく歪められ、今日に至っている」ってな感じでした。件の先生が何かを読んでる様子でしたので、その何たら講座なる本に描かれているのでしょう。興味をそそられるタイトルですが、何となく不道徳そうなので未だ読んでません(笑)。それを、お二人が驚きの声を上げつつ、半ば茶化しながら愉しそうに(私にはそんな風に聞こえました)話を進めてました。深入りはしなかったですが、ほんの軽く皇室にも触れてました。

     

    今日我々が目にするものの中には、歴史を遡れば確かにそういうものもあるでしょう。時代は今とは違います。今日では、例えば私のように何の力も権威もない者が書いたものでも、百年後にどこかのフォルダーに残っている可能性もあります。ですが、おとぎ話のように何百年・何千年と、長きにわたって伝えられ残ってきた多く(殆ど)の話は、おそらくは力(権威)に因るもの、力あってのものでしょう。勿論、長きにわたって一般庶民の間に伝え伝えられてきたものもあるはず。でも僅少ではないでしょうか。

    おとぎ話ではないですが、例えば先月の「勤労感謝の日」は、文字通り勤労に感謝する日として、今日広く国民の間で定着しています。絶対多数の日本人 worker(主婦を含め) は、今日は今日こそ休んでいいんだと思うでしょう。現在の国の形が続く限り、「勤労感謝の日」として受け継がれていくと思う。残念ながら。そして、実はこの祝日はGHQという時の絶大な権威・権力によって、名称の変更を余儀なくされたもの、名称だけではなく本質も全く異質なものになった、という認識は庶民の中から消えてなくなる。

    いずれにせよ、この日の番組の脚本やシナリオにはある種の意図が感じられる、と思ったのは私だけでしょうか。公共の電波は、不特定多数のいろんな階層の人が聴きます。私のようなひねくれ者は???と思いながら聴きますが、中には或いは多くの人は、この例で行くと、おとぎ話はどれも大なり小なり政府や権力者の都合がいいようにねつ造されているのか・・・と感じるはず。敢えて言えば、脚本を書いた人・それを伝える人の、そのような見解・見方を刷り込まれているのではないか、と勘繰ったりします。はなから権力は悪・軍事は悪であり民衆の敵、みたいな言いぶりが気になりました。私の思い過ごしであれば良いのですが・・・。

     

    話は変わります。大分前ですが拙著『指揮官の条件』(講談社現代新書)に関するネット上のコメント(書評)を拾ってみたことがあります。すると文中の「教育勅語のどこが悪い」に対して、全編については賛同の意を表しつつも「ここ(教育勅語)だけはいただけない」旨のご指摘がありました。勿論、多様な見方があって当然なのですが、現在多くの日本人には「戦前のものは全て悪、道徳教育は悪、ましてや教育勅語など・・・」という刷り込みがなされているような気がしてなりません。声を大にしてそう訴える人もいますので。上記、拙著を指摘された方はそうではないと思いますが、教育勅語を目にしたことも読んだこともない人が、「教育勅語」と聞いただけで拒否反応を起こす。統計を取ったわけではありませんが、そういう日本人は多い。と言うよりも、今日殆どの日本人はそうではないでしょうか。

    このような状態はある意味怖い。なぜかと言うと、言ってることは戦前と全く逆ですが、やり方はほぼ同じだから。昭和16年12月19日付の某大手新聞、第一面には「長期戰もとより覺悟 戰時經濟に不安なし」のヘッドラインが躍っている。

     

    このような日本人の民族性、即ちメディアや政治に扇動され易い国民性を、近隣諸国や同盟国はどう見ているのでしょうか。

    私の拙い推察によれば、違った意味ではありますが、私と同じように「危ない国・危ない国民」と観ている(のではないか)。民衆は(誰かによる)扇動の仕方、或いはその時の空気によって大きく動く、大転換する恐れがあるからです。たとえ今は、自分たち(近隣諸国)にとって都合が良い空気になっていても、ちょっとした何かをトリガーにして大きく振れる可能性がある。そうなると、自分たちに向かってくるエネルギーはとてつもなく大きい。みたいな分析がなされている、のではないでしょうか。逆にこのような国民性を利用しようと、外から(残念ながら内からも)画策する輩(国や組織)もいます。要注意です。

     

    勿論、うがった見方です。しかし、つい数十年前には米国と言う大国に牙をむいた国です。その前には、有色人種として初めて白人と干戈を交え、しかも勝った国なのです。更には、完膚なきまでに打ちのめされても、短時間で再興する力を持っている。

    物事は正面だけから見るのではなく、裏や斜めや、いろんな方向・角度から観察する必要があります。相手があって自分の行動方針を定めるときには、特に多方面からの検討が求められます。ひとつの方法・やり方としては、相手は自分をどう見ているのか、相手が自分であればどう出るか、と考えてみること。そのためには、相手のことがよく分かってないとできません。国と国の喧嘩も夫婦げんかも、基本的には同じようなものかも(笑)

     

    テレビの在り様は、この先20〜30年で画期的に変わるような気がします。大宅壮一さんが初期段階で看破したように、テレビは既に「一億総白痴化」という大目標(?)をほぼ達成したわけで、当然淘汰と衰退の時代に入る。でもラジオが生き残っているように、人々にとって必要なものは残ります。テレビが時代を席巻していた頃、ラジオを聴いているなんて恥ずかしくて言えない空気がありました。テレビも既にその序章にあります。テレビと新聞で得た知識だけで時局や世相などを話そうとすると、ピント外れで若い人たちからは相手にされない時代になる。実はもう、その過程にあるのですが・・・。彼(彼女)らは疑問に思ったことは、ネットで裏を取りますからね。

     

    さてNHK(テレビ)さんですが、私は天気予報と教育番組(Eテレ)にのみ、その存在意義(?)を見出しております。天気予察は民間会社も随分進化しているので、既に必須ではなくなりました。でも、Eテレは結構面白いですよ。今日の料理とか趣味の園芸とか健康ものなど。毎日の生活に役立つ内容を、これほど纏まって配信しているところはない。そこでひとつの提案ですが、国内外の「事実関係に限定(論評は要りません)」したニュースと災害情報をEテレに引っ越し、ここ(Eテレ)だけ国営化しては如何でしょうか。勿論、国営ですから国民がしっかり監視する。

    すれば、随分経費を削減できると思うのですが・・・?

     

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