故郷に向かいて言うことあり

2019.03.28 Thursday

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    郷里の元分校の横に、立派な地神が祀られています。たまたま帰郷している時に春のお祭(神事)がありましたので、参加させて頂きました。「地神」は私の古里では「じじんさん」と呼ばれ、春と秋の彼岸の時期に神事(お祭り)が執り行われます。春は田植えを目前にして今年の豊作を祈願し、秋には収穫に感謝するという趣旨です。昔からやっていることには、すべからく意味があるのです。現在は大字の4つの自治会が持ち回りで運営(神事)を担当してますが、自治会の中にはたった5〜6世帯のところもあり、周辺の掃除やお供え物の飾りつけなど、高齢者には骨が折れる作業です。還暦をとっくに過ぎた私ですが、村では甲板士官みたいなペーペーです。しかし最近は結構帰郷しておりますので、村のお年寄りたちもやっと私の顔と名前を憶えてくれました(笑)。

     

    話は変わります。ついてきてね。

    その「じじんさん」の近くに、一つ(正確には二つなのですが、ここで言及するのは一つなので・・・)の石碑があります。拙宅(実家)のご近所(二軒先)に、陸軍中将近藤新八さんのご実家があるのですが、その方(近藤中将)ご夫妻、主として奥様を称える碑です。ご実家には蔵があり、村の名家に数えられています。近藤中将は私と同郷と言うだけではなく、現三本松高等学校(旧制大川中学)の大先輩でもあります。大正2年3月の卒業ですので、拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』の主人公樋端久利雄の8年先輩です。

    中学を終えると陸軍士官学校(28期)に進み、陸軍大学校(41期)へと歩を進めた俊秀です。終戦時には広州(中国大陸)に展開する、第130師団を率いていました。戦後、いわれなきB級戦犯に問われ刑場の露となる。地元では若い頃(大佐)の奉天及び新京憲兵隊長の経歴が災いしたと仄聞しましたが、師団長として体を張って部下の帰国・復員を図ったのが実態のようです。少し国内が落ち着いた昭和28年に、国会の全会一致で名誉回復がなされ法務死に認定されました。この「全会一致」が意味するところは大きい。今の国会では想像もつかないですが、当時の野党にはそれだけの見識があったと言うことです。

     

    グダグダ説明するよりも、碑文を転写した方が理解が早いと思います。以下の通りです。

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    顯彰碑

    昭和二十二年十月 中華民國広東省広州市に於て節義に斃れし 故陸軍中将従四位勲二等 近藤新八(享年五十五才)未亡人近藤元子氏(当年九十六才)広島県佐伯郡大野町在住より古里大川町に対し学校教育助成基金 一金七千五百萬円也の篤志御寄付を賜れり

    夫人は山口県萩市 和田家の生まれ 大正十五年三月近藤新八大尉と結婚 戦中戦後の動乱の中を生き抜かれ 自ら原爆症に悩まされつつも 不幸にして殉職されし方々遺族の相談相手となり また軍人遺族会の指導に献身され 祖國復興に尽くされたり 正に日本婦道の亀鑑とも申すべき刀自なり

    戦後五十有余年 風靡改過

    世界人類の恒久平和と大川町の未来を託する子弟の健やかな成育を希求する徳星を頌しここに南川(新八雅号)の地に建碑して永く敬仰顕せんとす

    平成九年丁丑 清秋    大川町長 十河昭五 

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    碑の裏面には、「元第130師団長 近藤新八中将副官 福永光司」と彫られています。余計なお節介ではありますが、師団の前に「元」は要らないと思う。他業種の方には何のことか理解できないでしょうが、副官は永遠なのです。

     

    ご家庭の事情もあったかと推察するのですが、それにしてもどうですか・・・この夫人の振る舞い。明治の女です。親戚筋も偉い。夫人の寄付行為に反対するでもなく、これを咎めるでもなく。今日の世知辛い世の中で、一般庶民が億に近いお金を子供の教育に役立てて欲しいとポンと寄付する。正直言って私には、この金額の十分の一でも難しい。仮に私がそう言っても、連れ添いや子供らがどう思い、どう判断するかですね。しかし近藤夫人の判断は、一つの指標になります。あっちに行くときに、資産が残っておればですが・・・。日々の生活に汲々としている私には、とても期待できそうにない。

    なお、近藤夫人の篤志は基金化され、その一部を活用して地元の小中学校には「近藤元子文庫」が設置されています。蔵書は一万冊を超える。

     

    この地神さんの敷地内に、もう一つ重要な記念碑(柱)があります。昭和63年5月、香川県の満濃池森林公園で行われた全国植樹祭に御来臨になられた、皇太子殿下(今上天皇陛下)と皇太子妃殿下(皇后陛下)のお手まきによる松の横に建てられています。碑の一面には「第三十九回全国植樹祭開催期日 昭和六十三年五月(以下地中に埋没:おそらく二十二日)」とある。もう一面には「皇太子殿下お手まき クロマツ 皇太子妃殿下お手まき(以下地中に埋没:おそらくアカマツ)」と記載されています。

    私は以前からこの柱(碑)が気になって仕方がない。ペンキが剥がれて、文字の判別が難しくなりつつある。傾き、そして朽ちなんとしている。このやんごとなき二本の松の一本は、松くい虫が猛威を振るった時に枯れてしまったとのこと。碑は当局ではなく、大字(地元)が建立したとのことです。自治会長に「新たな碑を建てるよう市に打診してみては如何ですか?」と申し上げたところ、「市の財政は厳しく、僅かな予算でも削ろうとしています。まず無理でしょう」とのこと。平成の御代が平和裡に終わろうとしている現在、何とかできないものかと思っています。

     

    もう一件あります。欲張りで申し訳ありません。

    私が学んだ、そして私の両親も学んだ山の分校(現在は青年の家として活用)に二宮金次郎(尊徳)の像があります。例の薪を背負って歩きながら、本を読んでいる姿像です。この像は分校が廃校になるときに、当局(町役場)が撤去すると言ったらしいのですが、地元民が反対して残されたものです。私は帰郷の度にこの像を見に行き、先人は良いことをしてくれたとの思いを強くします。で何が気になってるのかと言いますと、写真で分かる通り薪の部分が破損していること。いつ破損したのかは知らないのですが、また何方の発案かも知らないのですが、本物の薪を背負って貰ってます。それは誠に微笑ましかったのですが、今では多くの薪が朽ち落ちてしまいました。これも何とか修復したい。焼き物ですので、それほど値が張るとは思えないのですが・・・。

     

    私は貧乏性ですから持ち物でも何でも、価値あるもの・使えるものは修復・修理したいと思う。百均で買った傘でさえ、傘の何倍もする修復材を購入して使っているほどです。バリバリの貧乏性。ではなく正真正銘の貧乏(笑)。

     

     

    【眦菁郢襪離フィシャル・サイト】

    http;//www.umihiro.jp

     

    博海堂

     

    追伸 神事である「じじんさん」に多くの村人が集まっている時、一台の街宣車が「〇〇の国政報告会を〇〇から〇〇で行いますので是非ともお集まり下さい。憲法改正がどうたらこうたら・・・」と大音量で直ぐ横の道路を往復した。選挙が近い。ご本人が乗っておられたとは思いませんが、彼は千載一遇のチャンスを逃した(と思う)。たった1分間車を止めて、ポケットマネーで百円のお賽銭を祀り、そして「ご一同さま、お疲れ様です。〇〇です。宜しくお願いします」と頭を下げれば、好感度かなりアップしたのではないかな。参列者は口々に言ったものです「(喧しくそこいらじゅう走ったって)みんなここに居るのに・・・」。 

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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