戦争と平和

2019.05.09 Thursday

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    世の中は10連休とかで大騒ぎでしたが、こちとら365連休の身には何のこともありません。

    新しい年号「令和」になって初のブログです。だからということではないのですが、僭越なタイトルで申し訳ありません。

     

    先日(4月中旬)、筑波海軍航空隊(筑波空)記念館に行ってきました。山本(五十六)さんの海軍甲事件(聯合艦隊司令長官搭乗機撃墜・戦死事案)の特別展示がなされている旨を友人が教えて下さり、以前から見学したいと思っていたのですがやっと叶いました。海軍甲事件につきましては、拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』でもかなりの紙数を費やしておりますので、どのような資料が展示されているのか大変興味がありました。拙著に追補する事実関係の発見には至りませんでしたが、筑波空に関する資料が多数展示されており、また現存する司令部庁舎を見学して大変勉強になりました。

    筑波空は昭和9年(1934)に霞ケ浦航空隊の分遣隊として発足し、操縦教育を開始しております。その後独立して、実動部隊になりました。従って、戦争末期にはこの地から多くの特別攻撃隊員が出撃して、南の海に空に散りました。記念館には特攻隊員が残した手紙や手記なども展示されています。中でも私にとって衝撃的だったのは、藤田暢明少尉(徳島県出身の予備学生:東京農大)に関する展示でした。藤田少尉にはかねてから意中の人があり、若い二人は結婚を強く望んでいました。しかし少尉の両親は、いずれ未亡人になる花嫁を不憫に思い二人の結婚を許しません。息子(藤田少尉)は、再三にわたり両親に結婚の許しを乞います。そして出撃の前日、遂に両親は若い二人の願い(結婚)に同意(許可)します。翌日早朝、藤田少尉を涙で見送った許婚者は、その足で藤田少尉の実家(徳島)に急ぎます。そして、藤田少尉の遺影と結婚式を挙げたと言います。見送りに行った際に二人で撮った写真とともに、結婚式の写真も数点展示されています。

    特攻隊員には一人残らずそれぞれに物語やドラマがあると思いますが、藤田少尉のようなケースは聞いたことがありません。おそらく他に類を見ないでしょう。涙無くして見ることはできませんでした。

     

    プロイセンの戦略家クラウゼヴィッツが残した有名な言葉に、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」があります。この言葉は今なお一つの真理として生き続け、世界中の戦略家や政治家そして戦士に影響を与えています。上記の藤田少尉夫妻は、時の情勢(政治と戦争)に翻弄されました。遺影と結婚された花嫁さんが、戦後どのように生きられたかは知る由もありませんが、お二人の死と生はとてつもなく尊い。なぜなら、今日の我々日本人はこのような人たちの「生と死」の上に、先人の尊い犠牲の上に生を繋いでいるからです。今日、平和を享受している我々は、先人の犠牲やご苦労に胡坐をかいてはいけない。日本の歴史が今後何百年・何千年続くか分かりませんが、国難に殉じた、戦場に散った多くの先人のことを我々は語り継がなければいけない。それは、今に生きる我々に課せられた義務だと思う。今日、全国各地で営まれている慰霊祭への参列者は高齢化し、人数も減少しています。このままでは、いずれ近いうちに慰霊祭の実施を断念せざるを得ない状況に陥るでしょう。今こそ家庭、学校、社会が先人について子供たちに教え、後世に繋いでいくべきではないのか。

     

    今一度、「平和は如何にしてもたらされるか」について考えてみたいと思います。

    例えば上記の藤田少尉ご夫妻のケースは間違いなく理不尽であり、持って行き場のない悲しみや怒りがこみ上げてきます。ご時世と一言で括るには、とてもやるせない。個人の努力や能力ではどうしようもない、運命に翻弄された若いお二人です。しかしその運命は、世の中の誰かによってもたらされているのも確かです。将来、この国から一人たりとも戦争未亡人を出してはいけない。そのためには、政治外交問題の解決を武力(戦争)に訴えてはいけない。これは先の戦争において、多大な犠牲を払って我が国が得た最大の教訓です。

    しかしです。国家間の問題を武力に訴え武力で解決するのと、武力を持つこととは全く次元が違う話です。私は出自に関係するかもしれませんが、空想的な平和論には与しません。今日の国際情勢において、自分(自国)以外の全ての他を信頼し、無防備によって自国の安全が確保できる、平和がもたらされるとは到底思えないからです。国家権力である武力(国権を発動する一手段としての軍事力)は、国家間或いは地域の戦争や武力紛争を惹起しないためにこそ必要であり保有するもの。しかし、一朝有事においてはこれを用いる政治と国民の覚悟、そしてこれ(政治=国民の期待)に応じ得る軍の実力が備わっていなければならない。

    そこが重要なところです。前回のブログで言った、自らが力の空白(真空地帯)にならないと言うことです。戸締りをしないのは個人の勝手ですが、犯罪を誘引するのは自明です。周りのご家庭にも迷惑をかけることになります。

    日本の領域が真空になること、それは国家の滅亡を意味します。老兵の空元気でもありませんし、ハッタリでもありません。それが国際情勢の厳しい現実です。

     

    平和を創造してこれを享受するためには、相応のコストとリスクを甘受しなければならない。藤田少尉夫妻のような犠牲者を二度と出さないために、我々国民に求められているのはこのコストとリスクです。安全保障と国防は相手があってのことであり、現実を踏まえた議論をし、現実に沿った対応措置が求められる。独りよがりのタナボタで、平和の配当を得ることはできません。株を購入するのには、コストとリスクがつきものです。株券を買わない人に配当金はありません。

     

    もういい加減、神学論争は終わりにしたいものです。

     

     

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