母の日

2019.05.23 Thursday

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    ブログには極力固有名詞を出さないよう心掛けているのですが、今回は丸めて表現するのも失礼なことかと思い、特別にかつ勝手にお名前を拝借させて頂きます。

     

    母の日の前日(5月11日)、東京第一法律事務所の内野経一郎弁護士が主催される「日本の母を讃える講演と歌の集い」(於:中野サンプラザ)に参加させて頂きました。この企画は今年で3回目であり、初回からお招きを頂いてたのですが、過去の二回は日程が合わなかっため今回が初参加です。参加者は比較的高齢の方が多く、若い人が少なかったのが残念でした。こんな機会を逃して勿体ない。一言で申し上げて、とても素晴らしい企画でした。プログラムには詩吟あり歌あり講演ありで、二時間があっという間に過ぎました。『かあさんが夜なべをして・・・(童謡)』や、さだまさし氏の『無縁坂』を参会者が合唱し、お母さんがご存命の方もそうでない方も、それぞれがそれぞれの母に想い(思い)を致したことでしょう。因みに、ピアノ伴奏は内野さんの奥様(音大出)が務められました。

    母を思う気持ちは年齢には関係ありません。一方母からみると、還暦を過ぎても子どもは子供です。我が子を虐待する両親や、親を手にかける子供の事件が後を絶たない今日、このような草の根の試みと優しい心の輪が日本全土に拡がることを切に願うものです。

     

    ゲスト・スピーカーの馬渕睦夫氏(元外交官・元防衛大学校教授)、王明理氏(台湾独立建国聯盟日本本部委員長)、そして我々の業界では知らない人はいない葛城奈海氏(ジャーナリスト)のお三方が、それぞれ母にちなむ話をされて参会者の胸を熱くしました。

    お三方の話はそれぞれ示唆に富み、大いに啓発されるものがありました。馬渕さんは話の中で「天皇陛下のお心は、まさに母のこころ」である旨を述べられました。そのお心は国民に対する無償の愛です。令和の時代もその後の時代においても、天皇陛下が国民を思われるお心は連綿と継承されるでしょう。我々はこのように素晴らしい国に生まれ生きていることを感謝し、本当に嬉しく思います。

    王さんは「緑綬褒章と人間の愛」について、ご自身のご先祖様を例に出して話されました。祖国のこと(政治的)にも、やんわりと触れられました。葛城さんは靖国の杜に眠る、先人が残した手記を素晴らしい語りで紹介してくれました。皆さんの話はいずれも感動的でした。

     

    私は折に触れて、「母なる海」と言う言葉を用います。私がかつて海で生きてきたことから、何年か前に友人が教えてくれた言葉です。海という文字には「母」が込められています。「母なる海」と称するもう一つの理由は、海の神である「わたつみ」に因ります。海上自衛隊の殉職隊員ご遺族の会は、「わだつみ会」といいます。どこからこの名前が付けられたのかは承知していないのですが、私は勝手に、国家に殉じて海の神(命)になられた人たちの遺族の集まりだから「わたつみ」だと解釈しております。彼らは志半ばにして、任務と国家に殉じられて神になり、この国と海を護ってくれています。

     

    映画などでは、特攻隊員が「天皇陛下ばんざ〜い(万歳)」と叫んで突っ込んでいくシーンがあります。右であれ左であれ、或る種の政治的な意図をもって、そうした映像を撮っていることもあると思います。しかし、これも馬渕さんが言われたのですが、実際は「おかあさ〜ん」だった。馬渕さんも私も実際に見たわけではないので真実のところは分かりませんが、生還を期さない・期することができない若い戦士たちは、「おかあさ〜ん」と叫ぶことによって母の懐に抱かれ、心の整理をつけることができたのではないでしょうか。そして、国家に殉じることへと自らを昇華させたと推察します。前回のブログで描いた藤田少尉のような境遇の方は、新妻や恋人の名前を発したかもしれません。いずれにしても、愛する人を心に描いて散っていったことは想像に難くありません。

     

    私の母は現在、体の自由が利かないため施設(特養)でお世話になっておりますが、幸いなことに顔の色つやも良く健在です。認知症が徐々に進んで中にはポヤポヤした話もありますが、私がその場を去る時には必ず「有り難う」「気をつけて帰りまい(帰りなさい)」、そして「無理せんでボチボチやりまい(ゆっくりやりなさい)」と言って、頷きながら不自由な手を振ります。小学校の六年間、家を出る時には必ず「ハンカチ持ったか? チリ紙持ったか?」と言われました。多分、母にとって私は小学生のままなのでしょう。

    田んぼの畔で未だ学校にも上がっていない子に、「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」と諭したのは母でした。母が長年に亘って愛用していた「相田みつを」の日めくりカレンダーにも、「かげぐちを いわれることを 知りながら ほめられればすぐ のぼせる わたし」とあります。か〜ちゃんゴメン、還暦過ぎてもチョビット調子がいいと、ついつい鼻が高くなる自分がいます。

     

    日本の、世界の絶対多数の母は偉大です。「母はみな偉大です」と言いたいのですが、「絶対多数」と但し書きを付けざるを得ない今日の、我が国の現状を誠に残念に思います。この絶対多数の範疇に入らない母親は、いったいどんな人種なのだろう? 私には想像がつきません。人間の仮面を被った異次元の生き物でしょうか。

    ある人(母親)が言いました。もし誰かの手によって我が子の命が奪われたら、それが許されない(犯罪である)と頭では分かっていても、相手も同じ目に合わせることを躊躇しない。母親はみなそう思う。殺されたのが夫(配偶者)であれば、そこまではできないし・・・しません(笑)。何故なら、一生子供に犯罪者の母を持たせることはできないから。

    そう言われても男は反論できません。死ぬ思いで子供を生み、無償の愛を持って育てたのは母だから。そこは男が冷静に考えるような、「血」ということだけでは説明できないものがあります。理論や理屈ではありません。女性に媚びる訳ではありませんし、ヨイショするわけでもないのですが、子供に関してはそれほどに女性(母)は大変だし、思い入れが男(父親)とは違う。即ち偉大だってことです。

     

    人間は等しく誰もが母から生まれ、そして母に還ります。年に一度でも、母を思う日があるというのは有り難いことです。もうちょっと親孝行しとけばよかったな〜。

     

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