言葉の難しさ II

2019.06.06 Thursday

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    最近、つくづく言葉の難しさ、特に言葉を使って人とコミュニケーションするのは大変難しいと感じております。今更ではありますが、母国語である日本語でさえです。対面して一対一の時もそうですが、大勢の前で話をするのは結構緊張します。ともすれば一方通行になりがちな講演や講義は、自分が意味するところ・意図することを、言い方悪いですが口先だけで理解して貰うわけです。それには、それなりの体力(事前の準備)と技術が要ります。過去に何回か講演などをやらせて頂いたのですが、最初の頃は貧弱な話術の補助として Power Point  やDVD(映像)を使ってました。しかし何回か経験を積むと自分自身に対して欲が出てきて、或いは何がしかの謝礼を頂きながら補助手段に頼るのは何とも情けない。この口(言葉)だけで、聴いてくれる人を納得させたいと思うようになりました。しかし悲しいかな、実際ににやってみるとこれはかなり難しいことを実感し、現在は相も変わらず PP のお世話になっています。別に映像をを使うことが、悪いことだとは思ってないのですが。

     

    つまることでも・つまらないことでも、井戸端会議で話をするのは気楽です。しかしそんな時でも、自分の意見や考えを通そうとする(他に納得させようとする)と、ましてやそこに多少でも利害が絡むような話の場合には、言葉を選ばなければならない。これにお酒が入ると、話がこじれることがままあります。そこで話は突然お酒に飛ぶのですが:

    そもそも酒を飲みながら、重要案件について議論すること自体がNGですよね。お酒が入った時には、他愛もない世間話がいいですね。因みに、お酒が好きな人には偏見だと叱られるのですが、あくまでも個人的な意見として、酒(アルコホール)は毒素の一種だと思っています。だからと言って、決して嫌いではないですよ(念のため)。生まれつき、アルコールの分解能力が劣っているだけです。努力して強くなろうとも思っていません。正確には、かつてそういう時期もあったのですが諦めました。ゴルフと同じで素質がない。なお、元々お酒が弱い人が練習して多少強くなり、舌におもねて長年飲み続けるとどうなるか? 大概の人が体を壊してます。

    一般論として、お酒が入ると気が大きくなったり、時には正体を無くすることもあります。毒素が脳に回ってるわけ。嘘か本当か知りませんが、前の晩に自分が何を言い何をしたか全く記憶にありません、な〜んて平気で言う人がいます。仮にそうであっても(私は信じませんが)、それは人間として普通の状態ではないと思うし、平常はその人がどんなに賢くて誠実で立派であっても信頼性に欠けます。

     

    最近も酒を飲んだ勢いで民間の方に「戦争と領土」について問いかけ、世間からタコ殴りにあっている(糾弾されている)先生(国会議員)がいます。四面楚歌とはこのことですね。こと(発言内容)の是非や、その後のご自身や周りの対応・措置については敢えて言及しませんが、仮に発言がどんなに正論であったとしても、聴いた人を納得させるのは難しい。事の良しあしは、時代や時の空気、場所、聴いている人の能力などによって違ってきます。十年前には正論であったものが、今では通用しないこともあります。しかし彼のケースは、何とも情けない話です。何が情けないかというと、本人はもとより、そういう人を選んだ有権者・選挙民、即ち我々国民も誠に情けない。「選挙で選ばれた人は、皆さん偉い!」というのが私の持論です。当選者の後ろには、大勢の支持者がいるからです。選ばれた人の資質を問うならば、選んだ人の民度も問われて然るべきではないでしょうか。よく国会で叫んでますよね。任命責任です。ひとりこの方のみならず、もっともっと首をひねらざるを得ない方がおいでになるような気がします。

    他人様のことを言ってる場合ではありません。かく言う私も、少しお酒が入るとカラ元気が出てくるタイプです。お恥ずかしい限りですが、何回反省しても治りません。ほんの少しアルコールが入ると饒舌になります。多分、あっちに行くまで治らんのでしょう。お酒は私の天敵です。上手に付き合わないといけません。

     

    因みに、私は「民族や国民が血を流して獲得した土地を、取られた側が取り返すのは容易なことではない」と思っています。北方領土はこれには該当しないですが、もしかしたら件の先生も私と同じお考えかもしれません。しかし、じゃ戦争か?ってことにはならんでしょう。それはあまりにも短絡に過ぎる。ならば我慢しろとかホッカムリしとけ、という話ではありません。問題の解決にはいろんな選択肢があります。時期と時機の問題もある。遠大な戦略が必要だと言うことです。議論は大いにすべきですが、軽々に「戦争」を語って欲しくない。間違っても、酒を飲んで発する言葉ではない。これは、長年国防の最前線にいた人間の生の声です。

     

    言葉と言えば、「空母いぶき」なる映画に出演している有名・高名な俳優の発言がネット上で物議をかもしています。震源地が芸能人ですから、多くの責任ある人・ない人(絶対多数はこちら)が左右に分かれて言葉の応酬を続けている。私も好きな俳優であっただけに、残念な思いがしてなりません。もし彼が封切られる映画の宣伝効果を狙って発したものであれば、なかなか「したたか」な戦略家ですが、おそらくそうではないでしょう。発言者とこれを掲載した出版社、即ち発信者の確信犯のような気がしますが・・・如何でしょうか。政治的な発言は、如何様でも宜しい。個人の考えですから。日本はそれが許されている、有り難い国です。

    ですが、上記先生の発言もこの俳優の発言も、立場は違いますが一線を越えている。一言でこれを表現すれば、如何にも「軽い」。言いたいことを言って聞く人を納得させ、そして聞いた人の賛同を得ようとするならば、両者とももう少し深みのある発言になるはずです。社会的地位のある人、発する言葉に影響力がある人だけに残念な結果です。

    ああ、映画ですか? 未だ観てません。そもそも劇場映画は殆ど観ませんが、本騒動で(観る)気力を失ったと言うべきでしょうか。

     

    斯様に他人様を批判するのは、いとも簡単です。他人を批判したり噂話をする、そこにお酒が入るととても愉しい。場も盛り上がり、あっという間に時間が過ぎます。しかし誰かを批判すると言うことは、自分もどこかでお返しをされている(と思ってまず間違いありません)。この狭い日本社会です。「此処だけの話(just between you and me)」は通じません。ここだけの話➡ここだけの話でドンドン拡散するのが常です。じゃああ、言いたいことも言わずに我慢するのか? それもストレスが溜まりますね。折角言葉を操る人間に生まれて生きているのだから、言語・言葉を使って自らの信念(みたいなもの)を吐露し、時には他人様のことも言ってみたいし権力も批判してみたい(と思う)。しかし、そこには必ずリスクが伴います。ややこしい発言をする場合には、そのリスクを甘受する覚悟が求められる。選挙で選ばれた人や人気が出てなんぼの人は、特にそこのところを自覚する必要があります。それは本人がどうのこうのではなく、言葉の重みが一般庶民とは違うからです。

     

    最後にもひとつ。言葉はどちらかと言えば、過激な表現が庶民・大衆受けします。同じような主旨のことを言っても、大人しい言葉で語るのと激しい言葉を使うのでは、受け取る側の反応が違います。過激でしかも、キャッチ・コピーみたいな短いセンテンスが受ける。聞いた方(ほう)は、何となく分かったような気がするんですね。即ち、言葉の中身よりも外見・外観で決まることが多い。残念ながら私は、日本人的な日本人ですから過激な発言は不得手です。怒り心頭であっても、できるだけ丸めて表現しようとする。そもそも「争い」が好きではない。ですから、人前で話をしてもブログを書いても、言葉にパンチがない。中身の進化・深化はさておき、この辺りが課題ですね。勉強します。

    もう遅いか・・・。

     

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