人間は足で生きる葦である

2020.01.16 Thursday

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    再度、健康関連の私見です。歳が寄ると、どうしてもそっちに思考が行きます(笑) 

     

    昨年のことですが、知り合いの社長と懇談していた時に含蓄のある話を伺いました。

    社長曰く「(人間の)老いは足から来ると言うが、その理由(わけ)は人間が野生だった(動物)時代に遡る」。即ち、動物は腹が減ったら餌を摂りに行き、何がしかの餌にありつければ食する。彼らは食物を保存する術を知らないから、狩りや採取の一回一回が生きるか死ぬかの真剣勝負になる。餌を確保することができなければ、空腹を抱えるしかない。そして当然のことながら、生き物だから経年によって徐々に老化し体力が落ちてくる。即ち、足を使った餌狩りが不可能になれば、死んでいかざるを得ないのです。この摂理は草食・肉食に関わらず、餌をゲットするためには強靭な足を持っていることが必須要件であることを示しています。周りの動物をざっと見ても、みな素晴らしい足を持っています。家で飼っている猫が、ひょいひょいと身長の何倍もある高い棚に飛び上がるのを見て感心しきりです。

    人間は働かざる者食うべからずと言われるが、動物は食べ物を得ることができなければ他に食われるか枯れていくのみです。以上のことから、老化=足の劣化そして死に至るということになります。人間は他の動物に比べて格段に優秀な頭脳を持ち進化し続けていますが、どうやら野生時代の足のDNAは持ち続けているらしい。今後何千年、何万年と人類が生き延びたとしても、おそらくこの構図(関係性)は変わらないような気がします。

     

    翻って上記を踏まえると、世の中が便利になればなるほど足を使う機会が減少しているのは、人間にとってとても危険なことではないのか。移動手段の変遷を考えてみると、A地点からB地点に移動するためには先ずは足を使った。と言うよりも、それしかなかった。これが野生の動物時代。それが基本だった。そして次に、馬や牛やラクダなどに乗って移動することを考え付いた。即ち、人間よりも体力・脚力に優れる動物の使役です。これを発想した人、動物を意のままに操る術(すべ)を考えついた人はすごい。車の原点ですよ。そして、人の力に負うものではあるが人力車や自転車が発明された。ほどなくして、原動機の付いた自転車(日本語のバイク)や自動車が登場します。さて、遠い将来の移動手段はどうなるのだろう。どう間違っても、人間が電波や光に乗ってケーブルの中をシュッと移動することはないだろうから、これ即ち足の役割は、多少或いは大きく減少しても基本的には変わらないと言うことになります。

    因みに、フィットネス・クラブなどで自転車(らしきもの)に乗ってせっせと漕いでいる人を見ますが、なんでお金を出して前に進まない自転車に乗るんだろう? そんな時間があるのであれば一駅前に降りて歩けば、或いはちょっとした用事や買い物などには歩いて行けば一石二鳥(経済と健康)なのに・・・と思ったりします。何時まで経っても貧乏性ですな。私の場合、概ね3キロメートル以内であれば歩いて用を足すことにしています。時間はかかりますが、年金生活者の特権です(笑)  

     

    現役時代のことです。印度洋に展開している時、指揮官には訪問国の部隊指揮官や駐箚大使表敬など陸上での仕事もままありますので、現地のエージェントを通じて車と運転手を借り上げました。このドライバー君がまぁ飛ばすのなんのって。後部座席に乗っていて、何度も足を踏み込んだものです。しかも、携帯電話で大声で話しながらの片手運転です。我慢強い私も遂に堪忍袋の緒が切れて、「もう少しゆっくり走れ。運転中は絶対に携帯電話をさわるな。この二つが守れないのであれば、もう貴様の会社は使わない」と脅したほどです。先方は「分かりました、分かりました」と言うが、最後まで改善することはなかった(笑)

    今考えてみると、普通の国では ”自分の足➡牛馬など➡人力車➡自転車➡バイク➡自動車” というように、陸上の移動手段にも歴史がありますが、(当該国には誠に失礼ながら)ラクダ(牛馬)から一気にオートマの自動車に進化したような感じかな。時を同じくして携帯電話という優れものが突如出現し、この二つの文明の利器を同時に手にした。携帯電話で誰かと話しながら車(自動車)を運転するのが、楽しくて仕方がないという風情ではありました。お客さんを乗せているなんて感覚は全くなく、子供がゲームで遊んでいるのと同じように、とにかく楽しそうに見えた。外国人の私が多少脅したくらいで、彼らが最高の楽しみを手放すわけがないのです。

     

    さて、何千年何万年と続いてきた足のDNAを勘案した場合、文明の発達につれて足を使う機会が劇的に少なくなるということは、逆に人類の劣化を年齢的に徐々に早めることになるのではないか。若い時から足が劣化すると言うことは、健康年齢のエンドが早くなる、即ち早く老いるという仮説が成り立ちそうな気がする。一方で今後も医学の発達は進化を続け、人間の寿命が更に延びるのは間違いない。そうなると問題は、いつまで健康で人間らしい生活ができるか(健康寿命)ということになりますが、その一つの指標は二本の足でしっかり歩くことができる、だと思うのです。経年劣化で足が不自由になったら、仮にいくら頭が冴えていても、それは健康寿命の範疇には入らない。一般論として、足が弱ってくると敏捷性が低下するとともに、自然と頭の方も劣化してきますね。生物はそうなってるのでしょう。

    そう遠くない将来、多くの日本人が100歳まで生きると推察できますが、例えば健康寿命が85〜90歳であれば、ではその差10年・15年は何なのかということになります。そう考えると、文明の発達や科学の発展に疑問を感じてしまう。

    人間が神の意志に背かないためには、科学というものにどこかで線引きをする必要があるような気がする。例えて言えば、どれほどディジタルが発達しても、これだけはというアナログは残さなければいけない。それは単にノスタルジーということではなく、人間の叡智として残すべきではないかと思うのです。

     

    ということでアナログ老人は飽きもせず、家人には笑われながらも、毎日せっせとスクワットをやり徒歩を励行する。”PPK・PPK” って呟きながら!

     

     

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