防衛大学校卒業式

2017.03.20 Monday

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    ブログは概ね二週間に一回、木曜日に更新しているので、今回は番外編。

     

    昨日(3月19日)は防衛大学校の卒業式でした。数ある日本の大学のなかで防大は、総理大臣が出席される唯一の大学です。今年の本科卒業生は実に61期生、私は19期卒ですので隔世の感がします。歳も寄ってるはずですわ(笑)

    近年、防大では卒業式にOB(卒業生)夫妻を、クラス順に招待してくれます。今年は、私の一つ上のクラス(18期)が招待されたのですが、厚かましく先輩の末席に滑り込ませていただきました。勿論、正式に校長の招待状を頂いてますよ。

     

    安倍総理は訓示の中で、度々「最高指揮官」という言葉を用いました。シメも「自衛隊最高指揮官 内閣総理大臣 安倍晋三」でした。その意味を今、問いたいわけではありません。

    当事者である我々は勿論ですが、参会者があっと驚く発言がありました。総理は訓示の導入部(イントロ)で、次のような主旨のことばを述べられました。「ここに参列している先輩の、長年にわたる労苦と国家への貢献奉仕に敬意を表したい」。そして、自ら拍手するとともに、参会者にも促しました。満場の拍手に、夫人を含め我々は自然と椅子から立ち上がって拍手に応えました。諸外国の普通の国においては、軍の最高指揮官がベテラン(退役軍人)を称えるのは、ごく当たり前のことでありよく目にする光景です。

    しかし、今回の総理発言は、戦後の日本で画期的なことであったと思う。最高指揮官が公式の場で、任を終えた自衛隊OBを称えたのは、初めてのことではないでしょうか。卒業生がどの程度総理の発言を咀嚼したかは分かりませんが、国家防衛というバトンを手にした若人の胸にも響いたと思う。

     

    さて、この時期、いつも報道されるのが卒業生の、所謂任官拒否(数)です。防大を卒業しても自衛官にならず、他の仕事を求めて民間企業に就職したり、もっと専門的な勉強がしたいとの思いで他大学の大学院に進む人もいます。本件を批判的に見る人もいれば、そうでない人もいる。報道は、問題があると思うからなされているのでしょうが・・・。拙著『指揮官の条件』にも書いてます(P182)が、私は後者、全く問題ない、それがど〜したの立場です。おそらく少数派でしょう。勿論、程度の問題はあります。制服を脱ぐ者が半数にも達したら、それは組織(学校)の存在が危機に瀕しますし、学校の教育そのものが間違っていることになる。

    しかし、日本で最も統一された教育環境の中で、必ずしも金太郎飴でない学生が育つということは、その組織が健全な証左であり、ある意味素晴らしいことだと思う。教育を通じ、いろいろな考えの人間が育っていい。そして、組織の枠内に入りきらない不規弾(決まった方向に飛ばない弾のこと)が、日本の或いは世界の各界で活躍する。これは、決して国益を損なうものではないと思う。

     

    つい先日も、身体上の理由で早い時期に海上自衛隊(防大卒)を離れた、同郷の後輩と懇談しました。私の息子と同じ世代です。彼はその後、全く違った世界で会社を立ち上げ、溌剌と仕事をしていた。加えて、今後、自分ができる社会への貢献を模索している。優秀な男です。本人の資質や努力もありますが、このような人を育てたのは間違いなく防衛大学校です。

     

    卒業式で一点、気になることがあります。それは、何年か前から、任官しない者を卒業式に参列させていないこと。数年前、同窓会の仕事をしていて、そのことを初めて知りました。なんやねん。私には全く理解できない。そこまで日本人が「こんもに(讃岐弁で小さく)なったのか」。制服を脱ぐ者には、それぞれ理由があります。しかし彼らは、ある種の後ろめたさや、内心忸怩たるものを腹に収めて去っていく。同期生が陸海空自衛隊の真新しい制服に身を包み、正門から颯爽と巣立っていくのに対し、彼らは私服に着替えて裏門からそっと去っていく。下級生の時、親しくしていた先輩のその姿を窓越しに見たとき、私は涙がでそうになった。

    そうなった(式典から排除した)経緯や、いきさつを私は知りません。おそらく、議論の末にこのような結論を出したのでしょう。でも、なんか違ってないかい?「任官拒否」という言い方も、悪者扱いのような響きがあって好きではありません。

     

    写真は卒業生が帽子を投げて、駆け出していった後の様子。私がつけた写真のタイトルは「強者どもが・・・」。帽子を回収し片付けをするのは、もちろん一年生(笑)

     

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    『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』余話

    2017.03.16 Thursday

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      拙著『ソロモンに散った聯合艦隊(れんごうかんたい)参謀』が、間もなく店頭に並びます。正確に言いますと、店頭に並ぶか否かは本屋さんの胸三寸とのことです。出版業界も厳しいようです。

       

      この本は、縦糸に海軍と戦争を、横の糸に軍人家族の愛を描こうとしたものです。ただし、小説ではありません。私の母校(高校:旧制中学)の、そして海軍の大先輩の生涯を辿ったものです。主人公である「樋端久利雄(といばなくりお)」は、昭和18年4月18日、山本五十六聯合艦隊司令長官と同じ飛行機に乗っていて米軍機の追従・攻撃を受け、ブーゲンビル島に墜落し戦死しました。帝國海軍の宝と謳われた男の、あまりにも短すぎる人生でした。

       

      一年近く前に脱稿したのですが、引き受けてくれる版元(出版社)が見つからず苦慮しておりました。そんな時に、救いの手を差し伸べてくれたのは芙蓉書房の平澤社長でした。彼は静かに、しかし毅然と「世に埋もれた人物を発掘するのも、我々中小出版社の使命です」。本当に有り難いことです。私は現役の時から、いつも周りの人に助けられて生きております。

       

      主人公である、樋端久利雄の生涯を辿ろうと決心してから4年が経ちました。途中でいろいろ道草をしたので、本当に集中して向き合ったのは一昨年の春から昨年の春まで、およそ一年間です。私は現場を生きてきた人間ですので、まずは主人公が歩いた道と同じ道を歩くことから始めました。讃岐の生家〜中学校、西荻窪の自宅(借家)から海軍省(霞ヶ関)、などなど。大正・昭和初期の時代と現在では、道路や街並みが大きく変わっています。鉄道も進化しています。国会図書館で当時の地図をコピーして、でき得る限り、主人公が歩いた道を辿りました。国内については、私が知り得る全ての関係地所を訪ねました。時代考証には体力が要りますが、実際に歩いてみると、机の上では見えなかったものが見え、聞こえなかった声や音が聞こえてきます。

       

      生家から中学校への通学途上には、讃岐山脈から瀬戸内海に流れ込む大きな川(湊川)があり、この上に橋(湊橋)が架っています。橋の中程に佇んで川面を眺めていたとき、ふと視線を感じました。辺りを見回すと、川岸で羽根を休めていた「つがい」の白鷺が、優しい目で私を見ていました。このつがいは、間違いなく主人公と夫人だと思いました。彼は日本武尊(やまとたけるのみこと)と同じように、白鳥と化して故山に還った。ごく自然に「白鳥が還る日」という言葉が頭をよぎりました。小説ではないので、本の題名にはしておりません。

      ローカルな話で申し訳ありません。地元の方でないと、私が言ってる意味を理解できないと思います。

       

      補足説明します。主人公の故郷「白鳥(しろとり)」という地名は、その昔、日本武尊が白鳥となってこの地に舞い降りたことに由来します。地元には、日本武尊を祀る白鳥神社があります。由緒ある武運長久の神社です。かつては西の金比羅さん(金刀比羅宮)と並び称され、白鳥は門前町として栄えました。神社の入口には、芸者の検番があったほどです。

       

      私はこの本を、軍事もの・戦記ものに分類してほしくない。しかしながら、今日の国民にとっては馴染みの薄い、軍事用語が頻繁に出てきます。また、戦前の記録などを転写するときには、旧仮名遣いをそのまま、それこそ転写しました。時代の空気を伝えたかったからです。大変読みづらいと思います。でもそこは私のこだわりですので、ゴメンナサイするしかありません。

      全編18万字のなかで、こだわった文字があります。「聯合艦隊」の「」と「帝國海軍」の「」です。この二字だけは、どうしても譲れない。自分自身を納得させることができなかった。「合艦隊」とか「帝海軍」と書くと、なんか腰の周りがス〜ス〜するような感じ。かなりっていうか、相当時代遅れの人間です。

       

      勿論、これは私だけの感性ですので、他人様の出版物を批判するものではありません。芙蓉書房さんには、そんなことは何も言ってないのですが、そのまま採用してくれました。

      若い頃、艦乗り(ふなのり)の先輩が教えてくれました。「佐世保」の読みは「させほ」か「させぼ」か?

      答え1.てんで違う!

        2.ほぼ同じ!

      私は「点で違う」派です。

       

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      武官ってなんじゃい?

      2017.03.09 Thursday

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        突然ですが、駐在武官という言葉をご存知ですか?

         

        戦前・戦中は「大使館付武官」と言いました。今日の日本では、在外公館に派遣する自衛官を「防衛駐在官」と呼びます。自衛隊では略して「ボーチューカン(防駐官)」などと言ったりするのですが、ちょっと品がないので、この呼び方私は好きじゃないです。在京の大使館に居る各国の武官は「駐在武官」、あるいは「国防武官」とか「海軍武官」などと呼ぶのですが・・・。自分の国の軍人(自衛官)は「一等海佐」と言って、外国の軍人は「海軍大佐」って呼ぶのと同じ。訳わかんないけど、いろいろ事情があるので、まいいやな。

         

        私がオスロの日本大使館で勤務していたときのことです。海上自衛隊のある先輩(OB)が所用でノルウェーに来られ、私と会うために大使館に電話を入れたそうです。応対に出た現地採用の日本人女性が、「武官は外に出ております」と応じたとのこと。そう、在外公館では大使を始め館員のみなさんが、防衛駐在官のことをなぜか「武官」と呼びます。理由は知りません。昔からそう呼んでるのだと思います。大使館員が「武官・武官」と言うので、在留邦人や駐在している商社員も右へ倣えで、やはり私のことを武官と呼んでました。

        で、件の先輩と夕食をご一緒したのですが、彼は開口一番「君は武官なんだ〜」といたく感慨深げでした。ホントに些細なことなんですが、我が事のように喜んでいたお顔が強く印象に残っています。生涯、一度たりとも武官と呼ばれることなく退役した先輩にとって、一時的にせよ後輩が武官と呼ばれていることが、本当に嬉しかったようです。

         

        その防衛駐在官が外国に赴任するとき、どのような形で大使館勤務となるのか、絶対多数の日本人は関心もないし、ご存じないと思います。

        我々はまず、外務省に出向する。外務省の人間になるということです。従って、例えば私のように防衛庁(当時)から家のローンなどを借りている場合には、帳面上ですが受け入れ側である外務省が、一旦全額払ってくれます。そして、新たに外務省から借金することになります。余談ですが、その時外務省の担当官から「あなた借金王ですね」と笑われました。「いや〜それほどでも」(笑)。出国準備に結構お金がかかったのです。帰国した時には、この逆になります。面倒やな〜と思いましたが、帰国したときには金利が下がっており、図らずもこの制度の恩恵にあずかりました。

        それはいいのですが、外務省に行くと我々は、階級に応じて一等書記官とか参事官になります。私の場合は、一等海佐(大佐)になったばかりで出向したので一等書記官。一等書記官兼一等海佐の辞令をもらいました。ややこしいよね〜。なんじゃそりゃ、みたいな。勿論、私がよく言う「普通の国」では、そんなことはあり得ないでしょう。大佐は、どこへ行っても大佐です。そんなことしたら、身分を偽ってスパイ活動やってるんじゃないかと疑われますよ(笑)。

         

        日本の場合、なぜそんな面倒な制度になってるのかというと、戦前・戦中、陸海軍と外務省が別々に外交をやることがあった。外交の二元化は国益を損ねます。その大いなる反省、いわば負の遺産ですな。そのような弊害を回避するため、自衛官はいったん外務省の職員になる。防衛駐在官がする仕事は、全て大使が目を通す。という仕組みになっている。

        私が大使館勤務をしていた頃は、大使館と武官府が同じ敷地内にあっても、予算も通信も全て別立て(国防省と外務省)という国もありました。

         

        話は変わります。ついてきてくださいよ。ポンポン飛びますから。

        三年間の大使館勤務を通じて、私は任国(赴任している国)である北欧(ノルウェー)がとても好きになりました。惚れ込んだって感じでしょうか。もう二十年も経つのですが、フィヨルドをはじめとする、あの雄大な自然が脳裏に焼き付いています。冬に見るスター・ダスト、樹氷、結晶のまま手のひらに落ちてくる雪・雪・雪。夏のさらりとした心地よい風、などなど。休日には、白樺林のそばに佇む家のベランダで、VIVALDIを聞きながらブランチを取る。リスが小枝を走る。至福の時だったな〜。素朴な国民性も素晴らしかった。

         

        さて、中学生英語を駆使して自分が成果を上げたとは言いませんが、任国を好きにならないといい仕事はできない、という一面はあると思う。情報収集は、一にも二にも人間関係ですから。しかし、ここにひとつの盲点があります。任国や住んでいる人を好きになるのはいいのですが、余りにもはまり込んでしまうと、時として自分の立ち位置を忘れる事がある。本来は日本の国益のために仕事をしなければいけないのに、任国の事情を理解できるが故に、結果的に任国の利益、これ即ち、母国の不利益になることをやるおそれがある。勿論、win - win であればそれは素晴らしいのですが。たま〜にあるのではないでしょうか。こんなことが。

         

        私は似非(えせ)外交官でしたが、海外で勤務する人が心すべきことだと思います。

         

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