阿波探訪

2020.07.02 Thursday

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    帰郷時にお隣の阿波徳島を訪ねました。近くにある名所は「何時でも行けるので今でなくても」と思うのが常で、思いついた時に行かないとなかなかチャンスがありません。と言うことで、かの有名な阿波踊りさえ未だに観たことがありません。此度、郷里の同級生が「草刈りの合間にどうか」と案内してくれるというので、喜んでご一緒させてもらいました。同窓生(同級生)ってのはホントに有り難いものです。

     

    ずっと行きたいと思いながら叶わないままだったのが、平家一族が落ちて住み着いたと言われる「祖谷」です。釈迦に説法ですが、祖谷は「いや」と読みます。小学校の遠足で鳴門(渦)や大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)には何回か行ったのですが、大歩危の直ぐ近くでありながら祖谷(平家関連)は観た覚えがありません。当時の先生たちは、何を優先して行先を決めてたのだろう。歴史にはさほど関心がなかったのか。或いは当時は、遠足が課外授業だと言う認識が希薄だったのかな。源平は讃岐にも大いに関係がある話であり、こういう所にこそ行くべきだと思うのですが。余談ですが山の分校の遠足は、観光バスを仕立ててPTA(今でいう保護者会)会長など一部の有志(希望者)も同行していたように記憶してます。走行中はみんなでマイクを回して、ちょっと背伸びして流行りの歌(歌謡曲)など歌いながら。のどかな時代でした。

     

    屋島の合戦で義経の軍勢に敗れた平家の一部は、陸路阿讃山脈を越えて阿波に落ちました。屋島からこの祖谷までは、100キロメートル以上はあるでしょう。勿論徒歩ですから、戦いに敗れ傷心の中で食糧もなく急峻な山越えは大変な逃避行だったはず。何故私が平家の落人に大層興味があるのかと言えば、屋島から東へそして南へと、祖谷まで落ちていく途上で「一人抜け二人抜け、一部の人は讃岐の集落に住み着いた」という(私の怪しげな)仮説は、あながち的外れではないと思うのです。ですから私が生まれ育った土地(讃岐の山間部)には、わずかではありますが京都の文化と思われるものが残っています。例えば住民は私のように人格穏やかで(笑)、言葉もおっとりしています。そこで恐れを知らない私は、もっと大胆な仮説を組み立てております。『平家物語』では壇ノ浦で入水したとされている安徳天皇が、実は生存されていて小生が生まれた集落を終の棲家とされた、と。この件については以前のブログでも描いた記憶があり、「また始まった」と言われますのでここで止めときます(笑)

     

    友人の車で小歩危・大歩危を通過し、心躍らせつつ「平家屋敷」を訪ねました。コロナ禍の影響でしょうか、我々の他に見学者はありませんでした。ですから、気兼ねなくゆっくりと観ることができました。「平家屋敷」は藁ぶき屋根(茅葺きだったかも?)の小さな家で、山中にひっそりと佇んでおりました。その外見は私が生まれ育った家とほぼ同じであり、とても懐かしい人に会ったような気持ちになりました。この屋敷は安徳天皇の御典医堀川内記、今でいう侍従医の子孫が住んでいた家の由。頂いたチラシ(簡単な説明書)には、彼(内記)は平家滅亡時に入山し、周辺の薬草を採取して地域医療に貢献したとあります。医者がこの地に住み着いたと言うことは、やんごとなきお方がおられたとの伝説も一理あるような気がします。天皇はご幼少ですから、普通に考えて、取り巻きが医者は手放さないでしょう。

    屋敷(家)内にはいろいろな展示物がありますが、最も私の目を引いたのは「赤旗」(残念ながら複製)でした。赤旗と聞くと直ぐに違うものを連想しますが、平家の軍旗が赤旗であることは知らんかった。戦場には常にこの赤旗が翻り、平家の権勢と衰退の象徴でもあったのでしょう。因みに、源氏の軍旗は「白旗」の由。貰った小冊子(観光ガイドブック)に、義経が白旗を山頂に立てて兵の士気を鼓舞した、との説明書きを見て???と思ったのですが、納得です。現在の赤旗・白旗とは全く意味が違うんだね。ただ、紅白歌合戦を始めとする、紅組と白組の対抗形式はここから転じているらしい。

     

    積年の思い(希望)が叶ったのですが、正直、この「平家屋敷」は私の期待とはちょっと違ってました。ここを訪ねれば、源氏との闘いやその後の平家、落人が歩いたルート、或いは落人と原住民(阿波の人々)との関係などなど、彼らが如何にして当地で生きたかが分かると思ったのですが・・・。「平家屋敷」というネーミングに、私が過剰に期待したからでしょう。部外者が敢えて苦言を呈すれば、「平家屋敷」と言うからには、また入館料を取るからにはもう少し整備されては如何か。一千万円ぐらいでいいから、ポンと出す篤志家はおらんのかいな。絢爛豪華な美術館の柱一本分くらいで整備できるのでは・・・。今回は時間の関係で行けなかったのですが、東祖谷にある「歴史民俗資料館」も併せて見学すると、私の感想はまた違ったものになったと思う。

     

    平家屋敷から15分ほど緩やかな峠を越えて車を走らせると、かの有名な「葛(かずら)橋」です。平家屋敷で若干心が沈んだこともあってか、これは期待以上の見ごたえでした。庶民は正直ですね。平家屋敷は閑散としてましたが、こちらは結構(それなり)の人が訪れており車の整理係もいました。

    敵が来た時にいつでも切り落とせるように、かずら造りにしたということを以前テレビで観ましたが、別の由来(説)もあるようです。ここは、源氏の怖さを骨身にしみて分かっている落人の発想と理解したい。使われている「かずら」は、太いところで直径4〜5センチほど。現在は安全を考慮して、「かずら」と共に直径3センチほどのワイヤーが張られています。即ち二重になっています。長さ45メートルの橋の中央から、眼下に臨む川の水や石の色合いが何とも言えません。京を落ちた武士(もののふ)が、ここで生を繋いだのか・・・と感慨にふける。

     

    祖谷地区から高速道路(徳島道)を東に向けて一時間ほど走り、徳島市内に移動して藍染工芸館を訪ねました。予約をすれば藍染を体験できた由。小さな展示館ですが、一部販売もしておりました。しかし受付の男性は全く商売気がなく、何らの説明も販売促進もなし。同行の友人が「彼は職人だな」と耳元で囁く。んだ。でも、流石にこの色合いは素晴らしかった。ノルウェーで見た氷山の下の方も、このような色をしてました。素晴らしさを口で表現するのは難しいのですが、一言で言えば「奥が深い悠久の色合い」って感じでしょうか。焼き物(有田焼きなど)にも通じますね。

    拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』でも言及しているのですが、香川・徳島には「讃岐男に阿波女」という言葉が残っています。私はずっと「讃岐の男はハンサムで阿波の女性は器量良し」と理解し、「さもありなむ」とほくそ笑んでいたのですが、或る日徳島出身の後輩が「先輩、それ違いますよ。実家のばぁちゃんによると、徳島で藍の栽培が全盛の頃、隣の香川県(東讃地方)から若い衆が多数出稼ぎに来ました。讃岐の男たちは、とても真面目でよく働いたのです。それで多くの若者が現地(徳島)の女性と結婚したことから、この言葉が生まれたんですよ」と教えてくれた。なるほど〜彼の説に分がありそうです。我々はイケメンではなく、働きバチだったのか(笑)

    またの機会があれば、事前に予約して藍染を体験したいと思っています。

     

    日帰りではありましたが、とても有意義な阿波小旅行になりました。案内してくれたクラスメートに感謝感謝です。

     

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    『海の都の物語』(後編)

    2020.06.18 Thursday

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      前編から続き:

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      盛者必衰は歴史の理である。現代に至るまで、一例も例外を見なかった歴史の理である。

      前編の最終項と同じです。人間や生き物が経年によって朽ちていくのは止めようがないですし、またいたずらにそれに抗うのも神の意志に反すると思うのですが、国や組織の場合には、情勢に応じて形を変えつつ維持していくのは可能だと思います。危機は常に存在します。それに応じ得る、そして跳ね返す知力と体力が求められます。日本と言う国がブレることなく(ちょっとブレてますが)、ここまで生きて来られたのは先人の知恵と努力のお陰です。そしてこれを後世に繋ぐのは、今を生きている我々の責任です。浮き沈みはあっても、この国が世界の「一例の例外」になりたいと思う。そのためには、先ずは自分の立ち位置を知ることが、生きていく上での知恵だと思う。

       

      一度陥落した経験があったり、また他国に統治をゆだねたりする町は征服されるのも簡単だ

      所謂負け癖がつく、よく言えば妥協点を知っているということか。そういう観点からすれば、先の大戦で敗けはしたが、我々の先人がギリギリのところまで戦ったことは、我々自身よりもむしろ相手国や他国に強いインパクトを与えたと思う。無謀な戦いをして犠牲者を出す愚を犯してはいけないが、譲っていけないものは断固として守る。文字通り死守する。この意志と姿勢そして努力を喪失すると、この国はいずれ前項に言う「例外のない」歴史の一ページとして埋没する。「誰かが助けてくれるだろう」などと、他力本願にならないことです。友人(同盟国)といえども、自らを護ろうとしない者、守る価値のない者は助けてくれません。立場を変えてみればすぐに分かること。国際情勢はそれほど甘くないし、人間はそれほど美しくもない。

      ポツダム宣言を受け入れるに際して、日本が最もこだわったのは「国体」でした。今日本・日本人が最もこだわるもの、絶対的に譲れないものは何なのだろう?

       

      現実主義者であったヴェネツィア人が誤りを犯すのは、自分たちがリアリストなものだから、非合理的に行動する相手を理解できないからなのだ。まさかそんなバカなまねはすまい、と思ってしまうのである。

      勿論、竹槍を肯定するものではありませんが、ベトコンはライフル銃で敵(アメリカ)の爆撃機を落とそうとした。これが全てではないが、最終的な結果はご存知の通り。作戦計画の策定において、「相手が自分だったらどう出るか」のフィルターにかけるのは、基本的な思考のひとつです。しかし、敵の行動を自分の脳味噌の中だけで思考していると、虚を突かれたときに対応できません。想定外の事態が生起しても何とか踏ん張ることができるのは、我の能力が敵に比べて格段に優っている時だけです。従って我々は、乾いた雑巾を絞るように「敵の可能行動」を見積もるのです。具体的にどのような手法を持って見積もるのか? それは軍の秘密です(笑)

      敵の動きを予測するときの必須要件は正確な情報です。百回頭の体操をしても、一つの正確な情報には勝てません。(敵の可能行動の)見積もりは、正しい(と判断できる)情報があって初めて可能になります。勿論、敵はあらゆる手を使って裏をかこうとする。最近の近隣諸国の動きを観ればよく分かると思います。表面に出てくる現象や声の大きさだけに注目していると、足をすくわれることになります。ただ、相手はジャブ(様子見)を入れてくることが多々あるので、それには逐一毅然とした対応をしなければいけない。ジャブの後ろには、強烈なパンチを隠していると考えるのが自然です。

       

      歴史では、無用な戦いと無用でない戦いを判別することはできない。深入りしすぎたか深入りしないで済んだかの、ちがいしか存在しない。興隆期は、時代が味方してくれるから簡単だ。この時期だと、主導権は自分たちの手にあるからである。それが、下降期に入るとむずかしくなる。

      明治維新から大東亜戦争そして敗戦に至る、我が国の動きを指摘しているかのような一節です。資源が乏しい小国は、「深入り」には特に注意する必要があります。難しいのは、自分が今どの辺りに在るのかを見極めること。昇り坂にあるのか頂点に近いのか、或いは下降しているのか? 自分が今何象限に位置しているのか、これを正確に把握するのは至難の業です。個人も一緒です。煽てられると誰しも、自分は上昇気流に乗っていると勘違いする。基本的には、人間は自分を100%客観的に見ることなどできません。主観と言う色眼鏡と、自分が可愛い感情があるからです。上記「主導権を手にする」ひとつの手段・方策は、自らを客観的に評価すること。過大評価も過小評価もしない。過大評価は厳に慎むべきですが、過小評価しても行くべき方向を誤る。他人の評価、とりわけ国対国になるとプロパガンダもあります。要注意です。 

       

      海洋国家に比べて陸地型の国家は、ほんの小さな土地にも執着するものである。そして、自領が少しでも拡大するたびに、異常なまでの満足を感ずるものなのだ。

      歴史を俯瞰する作家の勘は、一般人に比べて格段に鋭いと言うべきか。大陸国家を隣人に持つ日本にとって、身につまされる論考です。勿論彼らは、満足感を得るためだけに土地に執着するわけではない。そこには遠大な戦略があるとみるべきです。不凍港の確保であったり、大洋というお宝を手にするための橋頭堡であったり。そんな彼ら(大陸国家)が、喉から手が出るほど欲しいのが「島」です。無人島であろうが直径1メートルの岩礁だろうが、とにかく新たな起点になればいいのです。彼らの悲願と言ってもいいのではないか。私は「遅れてきた帝国」「周回遅れの帝国」と表現しますが、実はそれは遅れているように見えるだけで、形を変えて何百年何千年と続いている人間(国など)の性(さが)です。今我々は、強大な力と力の接点に位置しています。「異常なまでの満足」に飲み込まれないよう、細心の注意と備えが必要です。

      民族の血を流して(犠牲を払って)得た土地は絶対に手放さない、と言われます。絶頂期にあった米国から、硫黄島が返還され沖縄が戻ってきたのは奇跡のように感じるのですが、彼ら(米国)は海洋国家であるがため、大陸国家ほど土地への執着心がないのかもしれません。当事者である日本にとっては、誠に幸運なことでした。今なお不法に占拠されている領土は、日本が国家として在る限り、更には一人でも日本民族が生きている限り、執念を持って奪還する意志を持ち続けることです。一寸たりとも、隙を見せてはいけない。

       

      人間の数の不足は、ヴェネツィア海軍のアキレス腱であり続ける。

      海上自衛隊の先輩も我々もそうでした。そして後輩も、この問題を解決できないままでいます。近年の少子化の影響をもろに受けて、問題はむしろ深刻化しています。諸先輩の努力によって、自衛隊は絶対多数の国民の信頼を得ました。熱烈なシンパや支援者の輪も拡大しています。それはとても有り難いことなのですが、残念ながらこれがリクルートにはつながりません。一方で国民の期待は高まり任務は増大の一途です。入れ物も大きくなっています。この狭間にあって、技術の進歩などによって補間に努めてはいますが、自転車操業は遠からず破綻します。事態はそこまで来ているというのが私の認識です。では、我々が持つアキレス腱の原因は何処にあるのか? 根本的な問題点は二つ。

      一つは基本的な国民の意志の問題。自分の国は自分で守ると言う、ごく単純かつ普通の決意と志が欠落していること。流石に個人、即ち自分や家族を護ると言う意志は絶対多数の国民が持っているでしょう。しかし国となると、必ずしもそうではありません。本来はイデオロギーには関係のないことなのですが。勿論、自衛隊で汗をかくことだけが国を護ることではありません。いろんな分野で仕事をすることが、国家への貢献に繋がります。しかし、自分たちが住んでいる・生きている国は自分たちで守る、というごく当たり前の認識が浸透していない社会、そういう教育をしない土壌からは、直接的に国を護る仕事に就こうとする人間は稀にしか出てきません。

      二点目は尊厳(尊敬と名誉)に関わること。聴いてまわったわけではありませんが、諸外国の軍人は広く国民に信頼され尊敬されています(おそらく)。現場の自衛官は、「自分たちがもてはやされるときは国が危うい」ことを理解しています。しかし多くの国民が、自衛官のその志に甘えていないか。人間だれしも、いい意味で脚光を浴びると嬉しい。我々も普通の人間であり、弱い心も併せ持っています。貢献度に応じた正当な報酬(処遇+名誉)が得られないところに、将来有為な青年が集まるとは思えません。価値観が多様化した今日においては尚更のこと。

       

      平和を願望するあまりに、人はえてしてあらゆる現象を、眼前の平和が続くのに都合の良いように解釈しがちなものである。

      所謂、空想的な平和論:理想と願望で、投資しないで平和の配当を手にすることはありません。絶対に。配当を得るための努力(手段、方策)にはいろいろありますが、直接的には、護りを固めて「勝手なことはさせないぞ!」という姿勢を内外に示すことが、相手につけ入れさせない抑止力になります。逆に、この姿勢を明示しないと、結果的には係争や侵略を誘引することになります。平和平和と叫びながら、実は軍事的に最も危険な状態、即ち力の空白・真空地帯を醸成している。軍事的な備えが戦争に繋がる、と信じて疑わない人がこの国には沢山いるように見受けられますが・・・明言します。それは違います。思考が逆転してます。警察があるから犯罪が起きる、とは誰も思わんでしょう。

      軍事には二つの役割(側面)があります。一つは有事に備えること、もう一つは戦争をしない(抑止する)こと。

       

      大作の大トリはこの言葉: 

      深夜まで続いた討議の末に達した結論は、金でことが済むなら、ということだったのである。

      多くの識者が指摘しておりますが、かつての金満国日本が「お金で済むなら・・・」とした象徴的な出来事はこの事案です。

      1990年、イラク軍がクウェートに侵攻して湾岸戦争が勃発しました。列国は多国籍軍を編成してクウェートの解放に汗をかいたが、日本は人的貢献に至らず130億ドルの資金提供を行いました。しかし、札束でことを済まそうとする我が国の姿勢に、ブーイングはあっても感謝の言葉はなかった。日本外交の敗北、耐えがたい屈辱でした。いやらしい言い方をすれば、むしり取られただけ。これを機に、我が国は汗を流す国際貢献に舵を切りました。そして、ちょびっと普通の国になった。国際社会においては、汗をかくことが如何に重要であるか、後年、私は印度洋でそのことを実感しました。

      敢えてもう一件挙げれば:湾岸戦争に遡ること18年(1972)、日本赤軍によるハイジャック事件が起きました。時の総理は「人の命は地球より重い」と言って赤軍の要求を呑み、多額(600万ドル)の身代金を払って人質を救出しました。人の命が何物にも代え難いのは確かです。人質になった人たちの身内でなくても、誰もがそう思う。時間が限られるなかで、政府(総理)の判断は苦渋の決断であったと思う。人質の救出に血税を使う、これに反対する国民の声は殆どなかったと記憶しています。国内では「人の命は地球より重い」がコンセンサスを得ました。日本人が起こした犯罪に、お金で人質を救出・解放する。しかし、眉をひそめる国もあったと思う。テロが金になるという前例を作った。身代金を払おうにも払えない国もあります。そして何よりも、身代金を与えたばかりか、赤軍の要求を受け入れて犯罪者(収監中の赤軍メンバー)を野に放った。

      お金の力は絶大です。だから、みんなお金が欲しい。しかし、お金は万能ではありません。お金で買えないものもある。小学生でも分かることですが、そこを誤ると国が亡びることにもなりかねません。

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      嗚呼〜しばし嘆息!

       

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      『海の都の物語』(前編)

      2020.06.04 Thursday

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        私には蔵書と言えるほどの本はありません。「本を手放すことは知識を捨てることだ」と言った人がいますが、私は躊躇なく処分します。とにかく家(部屋)が狭く、かつ同じ本を二度三度と手に取ることはまずありませんので。

        私自身がこの体たらくですから、素人が書いたものの運命など推して知るべし。だよね。と言うことで、長年私の手元にある本はほんの数冊に限られます。挙げてみると表記の『海の都の物語』の他には、『戦艦大和ノ最期』『海軍と日本』『日本の海軍』『紫禁城の黄昏』『パール判事の日本無罪論』『第二次世界大戦と日独伊三国同盟(海軍とコミンテルンの視点)』。何れも私のバイブルみたいなものです。その横にド〜ンと鎮座するのは『コウビルド英英辞典』。これは、ウン十年かけても遂にモノにすることができなかった英語、その悔しさの記念品です。一つの単語に対する例文が多いので、とても重宝してます。PCに入ってるのですが、敗戦の記念品はなかなか処分する気になれん(笑)

         

        塩野七生さんの傑作『海の都の物語』と出会ったのは昭和62年(1987)ですから、あれから30年以上経ちました。歳もよるもんです。艦乗り(ふなのり)として、多少の自信をつけて生意気になっていた頃です。当時、市ヶ谷台にあった海上自衛隊の学校で一時的に充電していた時、教官から熟読・精読を勧められたものです。この本のインパクトはとても強く、私のその後の勤務や考え方に少なからず影響を与えました。ということで、この在宅勤務(見栄を張ってますが毎日が日曜日)の機会に再度手に取ってみました。先ずは家の外に持ち出して埃を払ってから:

        因みに、前記充電後の艦隊勤務等を経て三年間(1993〜96年)を北欧で過ごし、この間に欧州15か国を観て周った(遊んだ)のですが、ついぞヴェネツィア(ヴェネチア)を訪問する機会がありませんでした。三年の年季が明けて帰国時に、「どうしても心残りだ」と家族を説得して念願を果たしました。観光地に変貌しておりましたが、その後の「海の都」に立ち感慨深いものがありました。これ(コロナ禍に伴う再読)を機会に、生あるうちにもう一度訪れてみたいとの思いが募っています。

         

        小生の能力で、しかもブログ(拙稿)のような短文で、この本の全てを紹介することなど到底不可能ですので、当時私が赤鉛筆で傍線を付したところだけ転写してみます。かなり長くなりますので、こらえ性のある方はお目を通してくださいませ。

        と、ここまで書いてアレッちょっと待てよ、それって著作権に抵触するんでないかい? 引用するにしても、常識の範疇でなきゃいかんやろ! 麻雀のレートは知らんけど。ということで頭を再整理・再構築することに。

         

        塩野さんの本には、田舎の夜空のように、まさしく綺羅星の如く金言が輝いています。傍線を付した箇所を数えてみると、前編だけでも30か所ほどありました。この中から「この一文」を選び出すのは、本当に難しいのですが何とか頑張ってみます。

        青字:引用 黒字:拙考

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        海水は流れていなければならない。いったんそれが澱みはじめるや、腐敗物がそこに沈澱し伝染病の源になる。

        物理的にはその通りですが、これは単に海水のことを言っているのではないでしょう。現役の頃、艦乗りの先輩から「艦(ふね)が三か月留まってる(停泊する)と、艦も人(乗組員)も腐る」と教えられました。組織も人も物も長期間動かなければ、長時間使わなければ、錆が出て本来の動きができなくなります。平家が源氏との闘いに敗れたのは、武人が公家化したためと言われております。ものの本に依れば、源氏に比べて軟らかいご飯を食べていたそうな。帰郷した際には、しばしば屋島の高台から源平の古戦場を眺めますが、その都度「明日への備え」について思いを致します。

        若い頃、交通事故に遭って右肩を骨折し一ヶ月ほど入院生活を余儀なくされました。この間右手を使えなかったので、右腕の筋肉がほぼ固着しました。以後の予定(人事)があるので早い時期にリハビリにかかったのですが、筋肉の一筋一筋をほぐしていくのは、本当に骨が折れる作業でした。この苦しみがトラウマになって、私の右肩には鉄板とボルト・ナットが入ったままです。MRIに影響を及ぼすということも聞きましたが、現在のところ日常生活には全く支障がありませんので持って逝こうと思ってます。何の話やねん(笑)

         

        この自給自足の概念の完全な欠如こそ、ヴェネツィアが海洋国家として大を為す最大の原因であった。国家は陸地型の国家と海洋型の国家に大別されると誰もが言う。私にはこの二つのタイプのちがいは、自給自足の概念のあるなしによって決めてもかまわないのではないかとさえ思われる。

        国家建設初期のヴェネツィアには、これと言った資源も土地もありませんでした。従って、この国が生きていくためには海を通じた交易しかなかった。四面環海の我が国も、基本的な地勢はヴェネツィアと同じです。ただ幸いなことに、大陸国家の肥沃な大地には遠く及びませんが、細々とであれば国民が自給自足できるだけの土地があります。我々は神様とご先祖に感謝しなければなりません。そのヴェネツィアが後年衰退していったのは、海洋国家でありながら大陸に手を拡げたことが大きな要因でした。小さな国にとって、大陸(土地)は禁断の果実のようです。

        翻って我が国の歴史を振り返れば、日本もヴェネツィアと同じ過ちを犯したことになります。当時の世界の趨勢がそうさせたのではありますが、欧米列強に乗り遅れるなと大陸に足を突っ込んでしまった。ヒタヒタと押し寄せる北からの脅威も、日本人の目を大陸に向けさせた。しかし大陸は、小さな島国にとって底なし沼の如しです。その結果、未曽有の犠牲を強いられました。我々は決して同じ轍を踏んではいけない。同時に、海という自然の恵み、強大な防壁を自ら捨てるような愚策を取ってはいけない。為政者も国民も、この国が海洋国家であることを正しく認識する必要があります。

         

        味方というものは、それが強国であればなおのこと遠くにあるほうが望ましい存在である。

        とても面白い斬新な見方です。日本では「遠い親戚より近い他人」と言いますが、敢えて言えば「近い他人より遠い親戚」でしょうか。国や軍隊で見た場合、そして人間の本性を考慮すれば上記の考え方は一つの真理を突いていると思う。同盟や不可侵条約なるものが、如何に脆弱であるかという意味において。もし仮に、我が国が北の大陸国家や西のそれと仲良くなったとすると、我々が枕を高くして寝れる日は一年のうちでどのくらいあるのだろうか。私には甚だ疑問です。子や孫たちには、間違ってもビクビクした生活をさせたくない。第二の香港にしてはいけない。

        戦争に敗けて米国に占領され、そして必然的に米国と手を結んだことは不幸中の幸いであったと言える。遠くにあっても、かつて互いに死力を尽くした相手であるが故に、今日では双方に友情があります。勿論、お互いの国家戦略はあってしかるべきです。

         

        ある事業が成功するかしないかは、その事業に人々を駆り立てるなにかがあるかないかにかかっている。つまり、感性に訴えることが重要なのである。・・・商売というものは、買い手が絶対に必要としている品を売ることからはじまるものである。

        買い手(一般市民)が絶対に必要とするもの、それを見極めるのは売る人の勘でしょうか。同時に、言い方は悪いですが、今は情報(宣伝)によって買う人たちが操作されますので、人々が「絶対に必要と感じる」又は「そう感じさせる」ことも大きなポイントになりそうです。時が経ち後から考えてみると、実はそうではなかったにしてもです。

        常識的に考えて、人間が対に必要とする究極のものは「食料」です。何を我慢できても、これだけは無理。例示の金言からは除いたのですが、「食糧の豊かな武士は、豊かでない者より、より勇敢に戦う」という一節があります。まさしくその通り。豊富な食糧は強靭な精神に優ることを、我々(日本人)は身をもって体験しています。心身を鍛え抜かれた軍人でさえそうなのですから、一般市民をや。

        しかし人間ってのは弱いですね。今回のマスク騒動を観るとよく分かります。我々はオイルショック時のトイレット・ペーパー騒ぎで十分に学習しているはずなのですが、頭では分かっていても体(感性)が動いてしまう。とにかく他人より早く入手しなきゃ、と誤った学習をしているのかもしれない。でもそれは連鎖を生みます。何十年か後に違う形の危機が迫ると、我々はまた同じことを繰り返すと思う。これは人間の本性だから仕方がない。理性が本性に勝てないことは、しばしばあります。だから、そうする必要がない、人々を間違った方向に駆り立てない仕組みを作ることが重要です。

         

        ビザンチン帝国とヴェネツィア共和国のこの微妙な関係も、1170年近くになってついに破綻をきたす。ヴェネツィアの力が、政治的にも経済的にもまた軍事的にも強くなりすぎたからであった。

        「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は抜かれる」と言った人がいます。大きくなりすぎて、周囲から危機感を持たれると根っこから断たれると言うこと。国も組織も人も同じ、生き物です。そして生き物には厄介な感情がある。その(感情)の世界では、正義とか道理という物差しは通じません。だから、出過ぎにないように生きるのは、一つの処世術かもしれない。ですが逆に、ソコソコに生きるのは難しい。並みのレベルでいいと思って生きて、並みになれる人は幸せです。通常は、懸命に生きてやっと普通のレベルですから。だから強くなり過ぎるくらいのところ、少し背伸びをして生きるのがいいのかな。しかも強い弱いは相対的な評価なので、地勢や周辺の情勢など自分が置かれている状況によっても違ってくる。覇権・覇者を目指す国が近くにある場合には、飲み込まれないよう、とにかく目配りが必要です。 

         

        はじめに立てた計画を着実に実行するだけならば、特別な才能は必要ではない。だが、予定していなかった事態に直面させられた時、それを十二分に活用するには特別に優れた能力を必要とする。

        この項だけは、何故か傍線だけではなくを付してあります。多くの金言の中でも、余程小生の琴線に触れたのでしょうか。ですが私は、むしろ「はじめに立てた計画」、即ち計画を持っていることを重視します。素案でも粗々(あらあら)でもいいから、とにかく計画を持っていること。計画を策定するということは既に動機づけができているということであり、動機づけができておれば計画に従って訓練をやる。そして、その結果によって計画の見直しを行い、次回は更にレベルの高い訓練をする。こういう地道な作業の蓄積がある組織や人と、そうでない場合ではイザという時に歴然とした差が出てきます。

        手前味噌ではありますが、東日本大震災における我々(自衛隊)の救援活動(作戦)は、とても円滑になされたと思っています。その要因のひとつは、我々が首都直下型大地震を想定した計画を持っていたこと、そしてこれを速やかに適用することができたことです。発災の主体(敵)を地震から津波に読み替え、被災地の位置を関東から三陸にシフトしただけ。大兵力を運用する基本は変わりません。と、号令をかけるだけの私はいとも簡単に言いますが、勿論、隊員は過酷な状況下で本当によくやりました。もしあの時、我々が「大規模災害派遣計画」なるものを持っていなかったら・・・と思うと背筋が寒くなります。

         

        エリート階級は、修道院の僧が神のために無償の奉仕をするように、与えられた名誉のためだけに奉仕すべきであると言う人がいるが、こういう人々はまったく人間の本性に対して盲目であると言うしかない。・・・やはり能力には、それにふさわしい公正な報酬が与えられてこそ、彼らもその才能をより以上に発揮する気持になるというものである。

        その通り。ではあるのですが、それが全てではないと思っています。今日では報酬は主として給与を指しますが、「名誉」は公正な報酬に含まれていいと思う。お金を貰えばいいと言うものではありません。名誉はお金の代替の一部になるが、お金は名誉の代わりにはなりません。お金で名誉を買うこともできません。お金で名誉(らしきもの)を入手しても、それは真の名誉ではないので心の満足は得られないと思う。しかししかし、報酬は極めて重要です。名誉でお腹が起きる(ゴメン:讃岐の方言です)ことはありませんし、家族を養うこともできません。塩野さんがおっしゃる通り、報酬と言う目に見える、正当な対価があってこそやる気も起ころうもんです。いくら時代が変わっても人間ですもの。そこんところのバランスですね。

         

        前編の締めはこれ:

        すべての国家は、必ず一度は全盛時代を迎える。しかし、全盛時代を何度も持つ国家は珍しい。なぜなら、一度の全盛は自動的に起こるが、それを何度もくり返すのは意識的な努力の結果だからである。

        まさに『平家物語』に言う、栄枯盛衰・盛者必衰の理(ことわり)です。奢れるもの久からず。千年続いたヴェネツィア共和国は、大陸国家の前に斃れ歴史に幕を閉じました。衰退の要因はいろいろあると思いますが、一言でいえば国家戦略の誤りと迷走。組織を維持・継続するためには、常にシャッフルが必要です。シャッフルしない組織は錆付きます。人も脳味噌も同じ。国家としてこれができるか否かは、所属する人々(国民)の民度とリーダーの資質(使命感+ものごとを俯瞰する能力)に依ります。リーダーだけでは無理だし、民だけでも成し得ない。車の両輪みたいなものです。

        この両方を育むのは、いつに教育の如何にかかっている、と言うのが私の持論です。勿論、そのような教育をできるか否かも民度に依ります。少年・少女の教育の在り様は国家百年の計です。これが、繁栄を維持するための戦略に繋がる。家庭における教育、小学校・中学校の教育、即ち幼少時の教えは人となりの形成に大きな影響を及ぼします。この任に当たる者(親や教員)は、責任の重さを銘記すべきです。さてこの国の教育は如何なものでしょうか?

        **********************************************************

         

        後半に続く! 

         

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        コロナ禍再考(最終)

        2020.05.21 Thursday

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          新型コロナ・ウイルス災禍に関わる投稿はこれが最後です(多分)。

           

          以前のブログでも言いましたが、危機管理は結果が全てです。本事案の初期段階における日本(政府)の対応、即ち春節時の在り様やDP(ダイヤモンド・プリンセス号)に対する動きは心もとなかった( old sailor にはそのように見えました)ですが、その後の対応は功を奏していると評価していいのではないでしょうか。勿論、現時点での話です。今後どのように情勢が推移するのか、巨大地震のように何回かの大きな余震があるのかないのか、絶対多数の国民は分かりません。しかし欧米諸国に比べて犠牲者(死亡者)が格段に少ないのは明確な事実です。長嶋さん(元野球選手)流に言えば「ミラクル」でしょう。識者がその理由(推論)を縷々挙げていますが、敵(ウイルス)の全体像が明らかになっていない現時点においては、複合的な要因によるものなのか何なのか未だ判然としない。一つだけはっきりしているのは、政府・自治体の関係者や最前線の方々(医療関係者)が踏ん張り、そして多くの誠実な国民(企業や団体を含む)がこれに応じた結果であることだけは間違いない。

           

          時にメディアを通じて「結果オーライでいいのか?」みたいなことを無責任に流布する人がいますが、強い憤りを感じます。その言葉には、衝にある人たちへの労いや感謝の気持ちが微塵も感じられない。お言葉ですが、結果オーライでいいんですよ。日本がやってきた対応には、いろいろ問題があるでしょう。反省点も多々あるはず。しかし、これほど価値観が多様化した今日の日本社会において、万人が納得する、一億三千万人が納得できるやり方なんて限りなくゼロです。それ(多様な見解)が悪いとは言いません。一つの物体や現象を違う角度から見ると、全く異なるものに見えるか、或いは似て非なるものに見えるのは至極当然です。要はどの角度から見るか、如何なる切り口で見ているかです。

          中には不利益を被って泣く人も出てくる。面白くない人もいる。しかし大枠として良い結果を得ることができれば、即ち最優先事項である多くの国民の命が救われれば、それは及第点と評価していいのではないか。

           

          日本人の精神性には、判官びいきや、仮に結果が出せなくても一生懸命努力した人を評価する土壌があります。あんなに頑張ったじゃないか、みたいな。それはそれで尊くかつ美しいのですが、注意すべきことがあります。それは、努力はしたけれども結果が伴わなかった人を、結果を出した人よりも高く評価することが希にあること。人の評価においてありがちなことです。しかし、心情と絶対評価を混同してはいけない。仕事の評価は、あくまでも冷徹であるべきです。試験の点数で言うなら、80点取った人は50点の人よりも高く評価されなければならない。努力の度合いには関係ありません。さしたる努力をしないで80点取る人もいるし、精いっぱい頑張って50点の人もいる。それが人間の現実です。勿論、個々の人間性は別の問題です。80点取った人がみな、50点の人よりも人間的に優れているってことではない。往々にして逆の場合があるのも、人間の面白いところです。しかし、今回のような国家の危機においては、どんだけ頑張っても結果が出せなければアウトです。

          一例:尖閣をよその国に取られたとします。その時当局が " 最大限のことをやりましたが回避も死守もできませんでした "  " 想定外でした。ゴメンナサイ " 。そんな言い訳が通じるはずがありません。因みに、この例えは単なる空想や妄想ではありません。今、我々の眼前に突きつけられている現実です。

           

          再度言いますが、今回のコロナ禍対応の良否を計る最も重要な物差しは、人口(国民数)に対する死亡者数の割合(比率)だと思う。人の命です。生きてさえいれば、未来は必ず拓ける。

          現時点で予断は許されませんが、いつの日か世界を巻き込んだこの細菌戦(第三次世界大戦)が終息し、客観的に判断して、もし日本が勝者グループに位置づけられるならば、なぜこの厄介な敵を抑え込むことができたのか、なぜ被害を局限できたのか、更には最優秀(より顕著な結果を出した)国と比べて何が足りなかったのか、を冷静に分析する必要があります。ここは、決して結果オーライにしてはいけない。有事・戦闘においては、「頑張った」とか「運が良かった」などと情緒的な物差しは排除すべきです。勝者には勝者の、敗者には敗者の要因があります。ここで教訓を導かない者は、同じ過ちを繰り返すことになります。

           

          何はともあれ、一日も早く穏やかな日常が戻ることを願うものです。

           

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          余談:日本人の精神性と言えば、コロナ禍の最中にちょっとざわついた検察庁法改正案:本件を垣間見て小生が先ず想起したのは、かつての統帥権干犯問題でした。

           

           

           

           

           

           

           

          兵を引く

          2020.05.13 Wednesday

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            大分前になりますが、或る方から次は『日本人の条件』というタイトルで本を書いては如何かと勧められました。おだてられると何も考えず木に登るお猿さんは、それってなかなかいいんじゃない、と早速パソコンに向かいました。そして、それなりに序文(まえがき)を書いてふと思った。これが全てや、後はなんも出てこん! 私の場合には序文に全力を傾注して背骨になるところを描き、これを本文(本論)で具体的にかみ砕いていく。幹に枝を出し葉をつけ、花を咲かせていきます(咲いてないかもしれませんが)。このやり方が良いのか悪いのかは知りません。書き手によってやり方は違うと思うのですが、素人の私はそういう作業をやってます。

             

            背骨(序文)を描いただけで、これが自分が表現できる限界だと感じたのは、残念ながらこのタイトルで肉付けする材料を持ち合わせていないってことでした。勉強不足は如何ともし難いのです。いみじくも先のブログで言った、「人間は経験以上の発想はできない」ということです。間もなく古希を迎えようとしているのですが、日本とは・日本人とはなどと高邁な思考をすることなく、今まで生きてきたツケでしょうか。自宅と実家にはそれぞれ国旗を備え、祝祭日には玄関口に掲げておりますが「なんでそんなことするの?」と問われると、自分でも明確には説明できない。敢えて言えば私の血がそうさせるのですが、「ただカッコつけてるだけやん」と言われると、そうかもしれないと思ったりする。

             

            この格好(形)から入ると言うのは、自分の経験に照らすと、人間形成などの初期段階ではとても有効なやり方だと思います。但しずっとそれで生きてると、形だけで中身のない人間になってしまいます。このやり方は先の、本の書き方の逆パターンになります。形から入って肉付けをして、そして最終的に背骨を作る或いは目を入れる。これで一本筋が通ったと言うことになります。

            国を護るとか国民を守るとか、使命感などな〜んも持ってない極々普通の少年たちが防衛大学校に集います。絶対多数の新入生はそんなもんです。そんな彼ら(彼女らは枠が少ないだけに少し様子が違うと思う)がまず教わるのは、「気を付け!」の姿勢と敬礼の仕方です。なぜ敬礼をするのか、それに何の意味があるのかなどと教えたりはしない。それが一応できるようになると、隊としての行進や、個人の挨拶の仕方を学ぶ。殆どの学生は地方出身者ですから、方言しか言えなかった田舎者が先輩が使っている言葉から自然と標準語を学習する。

            帝國陸海軍では「私」のことを「自分」と言いました。「自分は眠たくあります」みたいな、日本語としてはちょっとおかしい面白い言い方です。今日では少し洗練されて「わたし」と言います。この教育のお陰で、どんな人に対しても、特に目上の人に対して自然に「私は・・・」と言えるようになりました。自分より若い人や女性に対しても、気取ることなく自然体で「わたしが・・・」などと言えるのは、今でも大変有り難いと思います。逆に「ぼく(僕)は・・・」などとは、小学生に戻ったようで気恥ずかしくて言えません。私が「僕が・・・」って言うのを聞いた人はいないと思う。

            形から入ってその後、寮生活や勉学、卒業後の勤務、周りの人たちの影響などを通じて徐々に自分を形作っていきます。若い頃は日々の業務をこなすのにてんてこ舞で、そんなことなど全く思いもしなかったのですが、自分に職業人としての軟らかい背骨らしいものができたと感じたのは40(歳)を過ぎた頃でしょうか。明確でカッチリしたもの=背骨ができたと自覚したのは、制服を脱ぐ数年前です。情けないとは思いますが、それが実態です。

             

            話は全く関係ありませんが、「兵を引く」即ち撤退というのは誠に難しい。何が難しいと言ってその時機と要領です。撤退は投入するよりも格段に難しくて、細心の注意を要する。果敢に攻めて一気に撤退すればそれは素晴らしいのですが、戦闘の実相は絵に画いたようにはいかない。相手(敵)の情況を観つつ、自分の体力を考慮しながら決心しなければならない。過剰で必要のない兵を投入したままにすると、厭戦気分を醸成することに繋がります。一方で、前線部隊を支えるロジ(兵糧=後方)の体力は徐々に低下します。かと言って早すぎる撤退は敵の殲滅に至らず、いずれ逆襲を受ける事態になりかねません。熟考しなければいけないが、逡巡は許されない。本当に難しいのです。

            国と国の関係(戦争)では、政治的な駆け引きや「落としどころ」みたいなのがあると思いますが・・・。

             

            それで、どうしてもコロナ禍に行きます。

            上記(撤退論)を現下のコロナ対応に当てはめてみると、敵(新型ウイルス)を殲滅する、少なくともそのゴールが見えるまで徐々に兵を引いていくのが定石でしょう。問題はロジです。即ち、国家の体力(主として国の枠組みや経済或いは国民のメンタル)がこれに耐えられるかどうか。そして最も忘れてはいけないのが、最前線の兵士は常に命がけで戦っているってことです。従って、最高指揮官の決断はとても重くて難しい。スタッフ(専門家)が「司令官、ゴールに到達しました」と進言しても、そもそもウイルスの実態がよく分からないわけですから。従って、専門家の言が正しいのか否かの見極めが必要です。細かい知識や情報はスタッフに負うにしても、情勢を俯瞰して最終判断を下すのは指揮官の役割です。

            現総理は自衛官を前に訓示する時、必ず「自衛隊最高指揮官 〇〇〇〇」で締めます。何方かの進言があったのかもしれませんが(ご自身の発案であればゴメンナサイ)、この言葉を発することによってその都度、彼は国家・国民を護る実力部隊を率いている、その使命や責任の重さを自分自身に言い聞かせているのかもしれない。レベルは全く違いますが、私の場合はそうでした。

             

            緊急事態の終結(所謂出口戦略)には、多々悩ましい問題があると思う。参謀(スタッフ)はそれぞれの知識をもって、良かれと思って進言します。有体に言えば、みんなが勝手なことを言います。特異な分野の専門家たちは、我こそプロとの思いやプライドがあるので尚更です。しかしここは、ピンポイントで見極めて貰いたいと思う。ダルビッシュ氏(野球選手)の言葉を借りれば、「総理(最高指揮官)にしか見えない風景がある」はずです。失敗は許されない。これを誤ると、一億三千万人が乗船している「日本丸」は沈没する恐れがあります。

            今を生きている人の評価は大概あてになりません。正しい評価は歴史がしてくれます。

             

            起承転結なし・論理に一貫性なし、ごっちゃ煮の駄文になりました。ゴメン!

             

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