「国民の覚醒を希う」

2019.10.10 Thursday

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    表題『国民の覚醒を希(ねが)う』は本のタイトルです。描かれた方は「三好達(とおる)」さん。なぜ僭越にも「さん」づけなのか? それは、以前のブログで説明したように海軍の先輩だから。だからといっても、とても恐れ多いことです。三好さんは海軍兵学校75期。75期は昭和20年8月15日後の卒業であり兵学校最後の卒業生です。ご卒業後、東京大学(法学部)に学ばれて司法の道に進み、三権の長のひとりである最高裁判所長官まで上り詰められた方です。退官後は「日本会議」に迎えられ、長年に亘り会長として同会議を牽引されました。何事にも筋を通す、文字通り筋金入りの長官です。

     

    なぜ今その方のご著書かと言いますと:8月に郷里で樋端(久利雄)さんについて講演をしましたが、講演を聴かれた或るご夫妻(母校三本松高等学校の後輩)から「再度(小生に)会って話が聴きたい」とのご希望があり、後日お会いした際にこの本『国民の覚醒を希う』を頂戴しました。ご夫妻は愛媛県に住んでおられ、小生に会うために愛媛大学で学んでいる娘さんも帯同し、高速を飛ばして讃岐まで来られた由。有り難いことです。日本会議に関係しておられる方でした。

     

    実はこれまで、日本会議に良い印象を持っておりませんでした。不明を恥じるばかりですが、大して調査・情報収集をすることもなく、正直この組織は「強烈な右巻き(ウルトラ・ライト)」だと思っていたからです。申し訳ありません。以前に「レッテル」と題してブログを書いているのですが、多分に私もその傾向があります。不勉強というのは恐ろしいものです。と言いますのも、昔から「右翼(極右翼)」が大嫌いでして、特にあの街宣車で軍歌を大音響で流しながら、街中を走りまわる集団には何のシンパシーも感じません。彼らが標榜する愛国心は、似非愛国心だと思っています。

    話は逸れますが、拙著「指揮官の条件」には”愛国心で国を守ることはできない”と描いております。これについて少し補足(言い訳)しますと、それ(愛国心)は国防に携わる者の基本中の基本であり、戦闘員の基盤だと認識しています。愛国心で国を守ることはできないの意味は、キャッチフレーズで部隊を率いるのは危ないということです。戦闘においては、指揮官は常に冷静に判断すること、そして部隊には敵に勝る実力が求められます。象徴的に旗は重要ですが、気合で戦争には勝てない。金科玉条は人心(戦闘員を含む)を一つの方向に向けるとき、有効な手段の一つではありますが長続きはしない。そして方向を間違うと、使いようによっては下克上の温床にもなりかねない。だから、left wing の「憲法9条〜死守!」みたいなのも、聞いただけで寒気がします。右か左かの違いはあっても手法は同じですから。

     

    さて三好さんの『国民の覚醒を希う』ですが、全編を通じてご意見やお考えを共有できるところが多々ありました。ただ僭越ではありますが、国防(海上防衛)の最前線で生きてきた人間として、全く手放しでということではありません。まその内容はともかく、400頁にも及ぶ大作でありながら難しい表現が殆どありません。法律用語などは使用されておらず、普通の日本人の国語力で十分に読み・理解することができます。私などは表現力が乏しいためについつい専門(軍事)用語を使いがちですが、本物は違うってことでしょう。最高裁判所長官という経歴の記載がなければ、まさか三権の長が描かれた文章だとは誰も思わないはず。それほど平易で分かり易く描かれています。お陰様で頭の整理ができました。

    本の中にもしばしば出てくるのですが、著者(三好さん)の根っこには、江田島(海軍兵学校)で受けた教育があるような気がします。終戦間際に海軍が優秀な少年を江田島にかき集めたのは、まさに慧眼だったと思います。余談ですが、この本には兵学校生徒時代の校長井上(成美)さんがしばしば登場します。その井上さんが(この本の中でも)痛烈に批判しているのが、島田繁太郎さん(元海軍大臣、海兵32期)です。しかし、拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』に描いておりますが、大東亜戦争の末期、陸軍の動員計画に対抗(対応)して、海軍兵学校に優秀な人材を集めた(囲った)のは島田大臣の功績です。人間には誰だって光と影があるのです。異論もあろうかと思いますが、強烈な個性を持っておられる帝國海軍最後の大将、井上さんも例外ではないと思っています。

    どれほどの時代考証をしたのかは知りませんが、映画「アルキメデスの大戦」でも橋爪功さんが演じる島田さんは山本(五十六)さんに対峙する、謂わば悪役として描かれています。大衆にとっては楽しいエンターテイメントではありますが、島田さんの親類縁者が面白いはずがない。こうやって人物像が造られていきます。フィクションだと言い逃れはできますが、実名を出す以上は事実関係に正確を期する必要があると思う。島田大臣ではありませんが、軍令部総長・海軍大臣を務められた元海軍高官の末裔(私の友人)が一度だけ言ったことがあります。「戦後、我が一族は一切口を閉じました」。自己反省をも含めますが、レッテルは本当に怖い。

     

    この本で三好さんが繰り返し言っておられるのは、大きくは憲法(改正)、皇室、編◆△修靴洞軌蕁焚革)です。この本のために書き下ろされたものの他に、各行事における挨拶や対談も収められてありますので、何度も三好さんのお考えを復習することができます。特に「戦後の教育」に関しては私も全く同じ認識であり、とても意を強くした次第です。

    とにかく、一日も早く子供たちの教育を何とかしないと、この国の将来は本当に危ない。今の日本社会は親殺しあり子殺し有など、何でもありで既にガタガタになっています。と言って、学校の先生だけにその責任を押し付けるのは筋違いです。直接子供の教育に関わる親や先生がその主たる責任を負うのは当然ですが、日本国民の大人みんなの問題だと認識しなければいけない。現在の先生たちは、或る意味戦後教育の犠牲者でもある、というのが私の認識です。三好さんが言う「国民の覚醒を希う」には、そういう思いも込められていると理解しました。私は教育から始める日本の世直し、坂本龍馬が言う「この国の洗濯」には50年かかると思っています。その時には地球上に私は存在しないでしょうが、日本が普通の国になる前に、大きな事案(国家存亡の危機)がなければいいのですが・・・。敵は待ってくれませんし、こちらの都合に合わせてくれることもありません。間隙を縫って弱点を突くのは、戦闘の基本です。

    絶対多数の日本人が、国家や国民の生存に無関心であることが最大の問題です。国防や軍事について、ホッカムリを続ける政治にも大きな責任があります。

     

    本の中に小野田寛郎さんと三好さんの対談が収録されております。小野田さんの次の発言は重い。

    ***島(ルバング島)から日本に帰って来て、新しい憲法だと手にしたら、最初に今おっしゃった前文でしょう。それを見て、ああもうだめだと思いました。根本から間違っています。自分の命を他人に預けるというのは命を放棄したも同然ですよ。・・・ですから私はそれ以来、憲法は一度も見てません。***

    小野田さんが言う前文とは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を指します。これほど国民に対して無責任な憲法はない(と私は思う)。国家・国民が生きていく上で根幹となる自らの守り・護りを、(平和を愛する?)諸外国に丸投げしているわけですから。「世界中の平和を愛する皆さん、無防備の私を護って下さい。私自身は自らを護る努力はしません」ってな解釈になりますか。そもそも自分が如何に決意しようとしまいと、もし近隣諸国等に公正でもなく信義もない国があったら、この国の決意の大前提が崩れたことになりますよ。恐ろしいことです。

     

    如何でしょうか・・・

     

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    顔と年輪

    2019.09.26 Thursday

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      何回か堅い話が続いたので、今回は軟らかく纏めたいな。

      歳を取ったせいか最近、人間の顔についてよく思いを致します。自分の顔のみならず、失礼ながら他人様の顔もやたら気になるのです。甚だ嫌な性格ですが、ご容赦願います。

       

      小学生の時「人間、四十(歳)になったら自分の顔に責任を持て」と誰かが言ってました。そう言った人も小学生だったので、随分ませた小学生だね。山の分校の教育レベルはかくも高かったのです(笑)。当時は、40(歳)の自分を想像することなどできませんので、その意味するところが那辺にあるのかさっぱり分かりませんでした。しかし今にして思えば言い得て妙であり、とても重い言葉です。だからということではないのですが、柱に掛けたり机の上に置いたり、姿見を含め家の中には大小何個もの鏡を設置してあります。そして折に触れて、自分を映して観ます(観察です)。なかなかエエ男やん、なんてことは思いませんよ(笑)。ともあれ、今日のように正確に顔を映す鏡を発見したのは何処の何方でしょうか? 素晴らしいですね。一日に何回も鏡(自分の顔や体)を見るのは、その日の健康状態を把握することもありますが、それよりも鏡に映る自分の顔を見て「心を観る」ことの方が大きい。何故かと言いますと、瞳や表情で今思っていることや感情など、自分の腹の中が見えるんです。謂わば、精密精巧な「内視鏡」だな。残念ながら、腫瘍や癌細胞を直接見ることはできません。いずれ発明されるでしょうが、そこまで行ったらノーベル賞もんだ。

       

      腹が立って我慢できない時、本当に苦しい時、辛くてどうしょうもない時、それを外に吐き出したりお腹にため込んだりする前に、先ずは鏡を見ることをお勧めします。時には鬼と対面したりしますが、少しは気が休まる(こともある)。私は冗談で「俺の腹を切ってごらん。ヘドロで真っ黒だから」とよく言います。そう言うと大概の人は「いいえ、そんなことありませんよ」と応じてくれます。逆説的な「うけ」を狙ってるわけですが、そんなことを言うこと自体が腹黒い証拠ですよね。

       

      話を元に戻して、人間も動物も同じですが、赤ちゃんの頃はみな可愛い。特に目が愛くるしい。穢れというものを全く知らない、真っ白な状態ですもの。これに仕草が加わるので、可愛いさが二倍三倍になる。人間は誰もがそうだったんだよな。なんでこうなったんだろう。そして、思春期から青年期になると、女性も男性もみ〜んな美しくなります。WHY? 人間の生理のことは専門外なのでよく分かりませんが、種の保存のために自然とそうなるのかな・・・? しかし問題はそこからです。今は皆さんお若いので、おそらく四十〜四十五歳を過ぎる頃から、体とともにお顔の劣化も確認できるようになります。おそらく二十五〜三十歳頃をピークにして徐々に下り坂にあるのでしょうが、自他ともに認めることができるのは四十歳頃からではないでしょうか。それで、特に紅組(女性陣)は何とかこの現象を食い止めようと、涙ぐましい努力をすることになります。今時は白組も同じかもしれません。斯く言う私も、貧乏ですからお金は使いませんが、毎日の筋トレを欠かさず、食するものもそれなりに気を遣います。これも傍から見ると、涙ぐましい努力に見えるかもしれません。「無駄な抵抗」って天の声が聞こえそうです。本人はいたって真面目で、かつ楽しんでいるのですが(笑)

         

      しかし、捨てる神あれば拾う神あり。世の中は大層良くできております。顔には年輪という強い味方が存在するのです。この年輪に比べると、青年期の美しさなんかはノッペラボウみたいなもんです。ただ問題は、年輪には人それぞれの生き様が出るってこと。これを、瞳や表情から読み取ることができます。ひとつ厄介なのは、年輪にはつける薬も化粧品もないってことです。なんぼ塗っても隠すことはできません。唯一(一時的に)隠すことができる手段は、マスクとかサングラスなどでしょうか。物理的に覆うしかない。でもね実は特効薬があるんですよ。お金はかかりません。しかし、簡単なようでとても難しい。

      その人の内面、即ちお腹を綺麗にすることです。宿便を出し切るってことではないですよ(笑)。それも大事なことではあるのですが、そんな些末なことではありません。その人の生き方・生き様や、ものの考え方の問題です。これが年輪として、自然と顔に現れる。

       

      例えば年がら年中、周りの人や世の中の出来事や、果てはテレビ・ドラマの筋書きにさえ文句を言っている人。そういう人って結構います。これ即ち、他人様や森羅万象に感謝するということを忘れている人は、それが明確に顔に出てきます。逆の場合も然りです。長年に亘って、心の在り様を「感謝」ベースに置いている人と「不満」を中心に生きている人では、瞳が全く違ってきます。当然ではありますが、お顔の造作や経済力(貧富)や社会的な地位とは全く関係ありません。生まれながらにしてお造りがとてもよくできている人、或いはどんなに大金持ちの人でも、日々(大変失礼な言い方ですが)卑しい生き方をしている人は、間違いなく相応のものが顔に出ます。卑しいとは言えないかもしれませんが、他人様を批判してなんぼの人、或いは仕事として他を批判する人など、気の毒だなと思います。ホンマに。出発点はそうでなかったにしても、そんなことを日々繰り返していると、発信していることが自分の真実(本気)になり、そしてその人の年輪になるわけですから。

      別の視点から:どんな人の人生にも、大なり小なり苦労や苦難があります。その過程で、中には修羅場をくぐることを余儀なくされる人もいる。しかし、過去の航路で修羅場があったか無かったかではなく、それを如何にして乗り越えてきたか、我が身に降りかかる困難をどのように捉えて、どのように生きてきたかによって年輪の出方が違ってくる。しかもこの年輪は、絶対に隠すことができません。言葉では上手く繕えたと思っても、瞳が勝手にモノを言うので隠しようがない。

       

      「四十を過ぎたら自分の顔に責任を持て」の意味は、そう言うことだと思うのです。同じように貧しい境遇にあっても、卑しく生きるか清貧を貫くかで人の顔は全く違ってくると思う。そして歳を取ればとるほど、その違いが歴然としてくる。何事も蓄積ですから。最近では一般に長生きになったので、多くの人が美しく老いたいと願っています。それは多分、それほど難しいことではない(のかもしれない)。現在、私の友人知己は同年配か少し年上又は年下の方が多いのですが、その多くの方が美しい顔をしておられます。美しいと言うのはイケメンとか美人さんという意味ではなく、「涼しい」という表現が適切かもしれません。仮に過去にご苦労があったにしても、そういう人は自分自身の力で、誠実で良い人生を送ってこられたんだな〜と思います。

       

      母の口癖は「まぁまぁ、悪い中に良かった」、即ち「不幸中の幸い」です。嫌なことや辛いこと苦しいことなどが身に降りかかった時、必ずこの言葉が口から出ます。この言葉で九十三歳は今も元気です。願わくば私もそうありたいと思うが、先ずは宿便をなくそう。だめだこりゃ(笑) 汚くまとめて申し訳ありません。

       

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      追伸 ケチと始末(倹約)、指導と虐め、厳しさと優しさ、これらの分岐点に何がある? 「こ・こ・ろ」

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      教育ってなんだろう

      2019.09.12 Thursday

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        私は「学校教育」については門外漢です。ただ現役時代に数年間ですが、海上自衛隊の人事と教育に携わった経験がありますので、全くの素人という訳ではありません。加えて、帝國海軍も海上自衛隊も組織自体が「人造り教育」という側面がありますので、40年間の現役生活では学校の先生や教職員と同じような発想をしていたかもしれません。

         

        先月、ある財団が主催する「地球こどもサミット2019」と題する会議が、都内において開催されました。この会議は今年が2回目で、今年のテーマは「僕らの地球〜海洋プラスチックごみを考えよう!」という、極めてタイムリーな議題でした。初回の昨年は、「フードロス」について子供たちが議論したとのことです。午前の部は全国から選抜した高校生(各県代表1〜2名)が、上記主題について議論しました。午後は日本を含め16か国の小中学生が円卓に着いて、同じテーマについて意見交換を行いました。子供たちは、それぞれのお国事情を踏まえて意見を開陳しました。先に議論を終えた高校生たちは、隣の部屋で後輩たちの様子をモニターしました。

         

        一言でこの会議を評価すると、とても良く構成された素晴らしい会議だったと思います。発案・企画から諸準備そして実施まで、更には来年度以降に向けた爾後の分析から教訓の摘出まで、汗をかかれた理事長や事務局の皆さんには頭が下がります。私は参加する生徒さんの募集など、ほんの少しですがお手伝いをしました。

         

        各県代表の高校生は、全国の SGH(Super Global Highschool)に依頼して代表選手を推薦して貰いました。自分がやったかのような言いぶりですが、事務局から聞いた話です(笑)。恥ずかしながら、そもそも SGH なるものの存在を知りませんでした。高校も進化してるんですね。私の郷里である香川県には未だSGH認定校がないということで、事務局が私に人選を一任してくれました。我田引水かつ贔屓ではあるのですが、先ずは此処だろうと母校に生徒の推薦と派出を打診しました。教育現場の事情など全く知らない、部外者の無茶ぶりです。勿論、良かれと思ってお願いしたのですが、学校当局からは「夏期講習」が理由で丁重に断られました。おそらくは講座以外にも理由があり、総合的に判断して決心されたものでしょう。

        私には県下の高等学校に人脈がありませんので、母校の校長も経験し教育事情に明るい後輩にお願いして、他の高校を紹介して貰いました。しかし豈図らんや(あにはからんや)、いずれの学校からも前向きな回答は得られませんでした。私としては全くの意外でした。時間に余裕がないため若干焦ったのですが、この後輩校長が「SGHではないのですが、県内に一校、SSC(Super Science Highschool)というのがあるので打診してみては如何ですか」と教えてくれました。早速、校長にメールを送って検討をお願いしたところ、「一名推薦します」との吉報あり。蓋を開けてみると、この一名(女子生徒)がとんでもない生徒でした。良い意味ですよ。失敬ながら、瓢箪から駒とはこのことです。彼女は既に”海のごみ問題”についてかなりの知識を有しており、従ってモチベーションは高く、全国の SGH 生徒に全く引けを取らないばかりか、むしろ会議でイニシャティヴを取れると確信しました。結果は、私の期待を裏切らない活躍ぶりでした。

        彼女が学んでいる学校は高松市立第一高等学校、多くの人材を輩出している歴史のある学校です。帰郷時(事前)に校長・教頭と懇談しましたが、教育に対する考え方や理念を共有することができました。

         

        長々と例を挙げましたが、今からが私の言いたいこと(本旨)です。以下は、個々の学校や生徒、またそれぞれの教育現場でいろんな事情があると察しますので、決して、私の提案に対して negative だった学校や関係者を批判したり非難するものではありません。私の教育に関するケース・スタディに過ぎません。念のため。

         

        CASE 1 推薦できる生徒が存在するにも拘わらず、夏期講習などの受験勉強が理由で、先生(管理者)の判断で断った場合:

        全国レベルの会議、しかも特殊な案件の議論に参加するためには、それなりの準備が必要になるでしょう。事務局は極力、参加者に負担をかけない募集要項にするよう努めておりましたが、生徒によっては一週間程度、受験勉強から離れることを余儀なくされるかもしれません。その一週間のブランクが災いして、仮にその生徒が第一志望校に落ちたとします。私はそれでもいいと思う。高校時代に全国から集まった各県の代表選手(生徒)と議論したという経験は、その生徒にとって第一志望校入学に勝るとも劣らない、将来の大きな糧と財産になると思う。全国にあまたいる高校生のなかで、ごくごく一握りの生徒だけが経験できる貴重な機会なのですから。その折角の機会を、先生が断ったことになります。

         

        CASE  2 希望者を募ったが、誰も手を挙げなかった場合:

        建前であるにしても「希望者がおりません」が主な理由では、先生としても管理者としてもお粗末です。自らの職責を何ら果たしていない(と私は思う)。これでは、提案した側(私)と対象者(生徒)の単なる仲介者になってるだけ。そういうのを、我々の業界用語では「伝声管」と言います。もし先生自身が「こんなもん下らん」と判断するのであれば、(生徒には罪な話ではありますが)それはそれなりに納得できます。そうではなくて、先生自身は良い企画だと判断するのであれば、仮に「我が校の生徒では能力的にちょっときついかな」と思っても、前向きに検討するよう生徒を誘導・指導すべきではないか。生徒の可能性を信じて、教え導くと言うこと。そのためにこそ、存在している教育者ですから。

         

        CASE 3 モンスター(保護者)を忖度する場合:

        現在の日本社会ですから、残念ながらこれはありそうなシナリオです。我が子が受験の大事な時期に、貴重な時間を割いて、訳の分からんことに浪費するのは反対だ。そう考える保護者は結構いそうな気がする。さてそんな時、先生はどう対応する? それは当該先生の信念次第です。この生徒にとって良い機会なんだけな〜と思ってはいても、信念がなければ保護者を説得することはできません。何せ相手はモンスターなんですから(笑) 信念ある人は、保護者を説得する資料・材料が不足していると思えば、事務局に更なる情報の提供を求めるなり、自分で調べるなりするでしょう。そこまでやらないのは、信念がないということです。夏休みを前に降って湧いたような余計な仕事はしたくない、というお役人先生の心理も理解できないことはないですが・・・。

         

        CASE 4 教頭以下の学校職員が反対の場合:

        この場合には、拙著『指揮官の条件』を参照です(笑)。いずれの CASE にせよ最終判断と結果責任は、指揮官である校長にあります。生徒は手を挙げない、教頭以下の職員も反対の立場。自分もそれに同意であれば、それはそれで宜しい。しかし校長自身は、自らの経験と知識から、生徒の為にも学校の為にも生徒を推薦すべきだ(した方が良い)と思うのであれば、毅然として自分の考えや方向性を明らかにすべきです。但し、モンスターに「あんたのせいで、うちの子は東大に入れなかった」と文句を言われても、それは甘受しなければならない。加えて、「いえそうではありませんよ」と相手を納得させる、即ち反論できるだけの知識と信念を持っていなければならない。指揮官(校長)には、その能力と覚悟が求められます。

         

        些細なことですが(個々の生徒にとっては決して些細なことではないのですが)、郷里の生徒募集に関わって上記のようなことを思った次第です。個人的な思い込みかもしれません。しかし高校野球で甲子園出場となれば、卒業生や地元市民・企業から何千万(かな?)という浄財をかき集め、何台もバスを仕立てて応援に乗り込みます。ここで校長や教頭が「みなさんちょっと待って下さいよ。えっと〜・・・」なんて言ってたら、袋叩きに合うでしょう(笑)。でも甲子園に行くのと、全国規模の会議に参加するのとでは何が違うのだろう? 正直、私にはよく分からん。

        恨みで言うのではありません。しかし、大人(管理者や親)は、子ども(生徒)の目の前にぶら下がっている、それこそ降って湧いたような千載一遇のチャンスにシャッターを下ろしてはいけない。それぞれの教育現場には多々事情があり、私が知らない問題もあるでしょう。ですが、これだけは言える。お利口さんで、こじんまりした生徒(近い将来の大人)ばっかり作ってはいかんぞ。そんなことしてたら、この国はいずれ世界に太刀打ちできない国になります。

         

        高校生の終わり頃、かつて担任だった先生がパチンコに連れて行ってくれました。防衛大学校の合格祝いだったのかな〜その時のシチュエーション(状況)は忘れましたが、場所は高松瓦町の有名なパチンコ屋(笑)。両手に一杯ずつ購入した玉は、二人とも瞬く間になくなりました。That's all ! 青年将校(熱血先生)でした。お陰様で私は、お馬さんもボートも競輪もマージャンも一切やりません。ギャンブルと一緒にしてはいけませんが、株にも興味がありません。面白くない男ではあります。

        でも今こんな教育をやったら、モンスターにチクられて教育委員会や保護者会で吊し上げを食らうんでしょうな(笑)

         

        追伸 今回の会議(子どもサミット)に、在京の「中華学校」から2名の中学生が参加してくれました。彼らが流ちょうな日本語と英語で議論にジョインしてくれたこと、望外の幸せであり本当に嬉しかった。

         

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        学問と軍事

        2019.08.29 Thursday

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          ブログを書くときは、いつも意気込んで半ば楽しみながら書くのですが、今回は何とも気が重い。ならば書かなきゃエエんですが、性分ですからそうもいかん。他人様のことについて描くのは勇気が要ります。相手が山のように大きい場合には尚更です。

           

          今春、『夏の坂道』という本が世に出ております。我が母校(香川県立三本松高等学校:旧制大川中学校)の大先輩である南原繁さんをモデルにした長編の歴史小説です。小説という形ではありますが登場人物は実名であり、限りなくノンフィクション(評伝)に近い作品だと思います。東大総長を務められた南原さんは、母校の知性であり誇りです。我々後輩にとっては、まさに雲の上の人。この本は、全編を通して人間の愛(慈愛)が大きなテーマになっているとの印象を受けました。家族の愛、友だちの愛、教え子への愛など。南原さんご自身は勿論のこと、著者の知性が行間からほとばしるかのようです。人間の愛と同時に、時々の政局に直面する南原さんの戦いや、学問に対する苦悩が鮮烈に描かれています。素人の私が言うのも僭越ですが、素晴らしい作品だと思います。

           

          ではあるのですが、勇気を奮い起こして正直に言います。終戦前後、特に戦後の(国内政治)情勢に関するご意見や考察については、シンパシーを感じるところがなかった。軍事という、真理を追求する学問とはおよそ対極に位置する世界で生きてきたこともあり、母校の後輩でありながら南原さんの思想などについて勉強したことはありません。退役してから何回か、南原さんについて学ぶ勉強会に誘われたこともあるのですが、申し訳ないと思いつつ一度も参加したことはありません。大先輩の深層に近づきたいと言う思いはありましたが、何となく引っかかるものがあり気が進まなかったのです。世に有名な、吉田(茂)総理との論争も腰が引ける一因ではありますが、敢えて言えば私の直感です。

          ですから、この本に描かれていること即ち、南原さんを通じて著者が世に問うておられることが、南原さんご自身の深い思索の結果=南原哲学なのか、或いは著者のお考えなのかを峻別する知識を持ち合わせておりません。おそらくは前者であり、そして後者でもあるのではないかと推察しております。でなければ、実名入りの物語にはならないと思います。

          この本は「小説」となっております。ですが読んだ人は、(多少の創作があるとは感じても)作り話だとは誰も思わないでしょう。歴史上の人物や群像、例えば宮本武蔵にしても坂本龍馬にしても忠臣蔵にしても、或いは秋山真之にしても山本五十六にしても、誰かが描いた平易な読み物や映像を通じて、庶民は自分なりの「その人(ひと)像」を頭の中に作り上げます。一般大衆が偉人の一次資料に、直接触れることはまずありませんから。そういう意味において、小説家や脚本家の力は大変大きい。従ってそれがまた、後世の町おこしなどに利用(活用)されたりするわけです。

           

          読後に感じたところを述べます。何か所か違和感を持ったところがありますが、次の一点は専門領域でもありますので、浅学を顧みず思うところを開陳します。

           

          戦後の再軍備について:少し長くなりますが転写します(下線は筆者)。

          ・・・世界諸国が戦争を放棄し平和の秩序を作ったとしても、それを破壊する行為はときに出現するだろう。だからそれを抑止する国際共同の武力あってもいい。だがそれはこれまでの各国の軍備とは完全に異なる観点に立っていなければならない。それがすなわち世界の秩序違反を抑止する国際警察行為である。・・・人類は水爆を生み出し、もはや戦争が不可能となった今、警察という概念を超える軍備は不要である。人類の戦争はたった一発の水爆でケリが付いてしまうからだ。そして自衛のための軍備にはおのずと程度と限界がある。日本では戦後間もなく作られた警察予備隊が保安隊へと発展し、現在は自衛隊となっているが、保安隊のレベルでとどめておくべきだ。・・・

           

          人類は「(大量殺戮兵器である)水爆を手にしたので戦争はなくなる」と考えるのは、これ(原爆)が出現した直後であれば、人間の心理としては大いに理解できますが、今日に至ってもそう理解するのは短絡に過ぎないでしょうか。戦争はしてはいけない。国家間の問題を武力に訴えてはいけない。大量殺戮兵器を使用してはいけない。子や孫や教え子を戦場に送りたくない。そのとおりです。誰だってそう思う。しかし人間が生きていく以上、人間の本質を無視することができないのも冷厳な事実です。一人の人間であれば孤高の人は或る意味美しいし、本人さえ納得しておれば、そして他人に迷惑さえかけなければ、誰に何と言われようと何と思われようが「我が道を行く」で生きてゆけるでしょう。それが仮に、宇宙の真理であり人類の理想であったとしても、国の舵取りとなると極めて難しい。これだけ世界がグローバル化すると、今や一国だけで生きてゆくことは不可能です。

          人類は「原爆・水爆を手にしたので戦争は起きない」は幻想に過ぎません。第二次世界大戦以降の歴史と、今日の国際情勢がそれを証明しております。大量殺戮兵器であるが故に、紛争・戦争当事国や周辺諸国の絶対多数の国民が消滅するような使い方はしない。何百年に亘って、後世に禍根を残すような使い方もしないでしょう。人間はそこまで浅はかではないし、そこまで暴力的・破壊的でもないと思う。

           

          翻って第一次・第二次世界大戦のような、多くの国を巻き込んだ大戦争が起きる可能性は、ゼロではないが蓋然性としては低い。だからと言って戦争がなくなるかと言えば、全く逆の結果になるはずです。例えば東西の冷戦時には、戦争や紛争は意外と少なかったが、冷戦の終結と同時に世界中のいたるところで煙が上がり始めました。米ソの冷戦というカッチリしたタガ(枠組み)が外れたわけです。斯様に人間が人間である限り、残念ながら戦争や紛争は無くならないと私は思っています。ただこれからの戦争は、戦争か紛争か小競り合いか、明確には峻別できない形で起きる可能性が大きい。状況によってはテロ組織のような、戦う相手が国ではないかもしれません。有事でもない平時でもない、グレーゾーンと言われる領域です。

           

          例を挙げます。現在、我が国との関係がとてもおかしなことになっている隣国の某が、日本の領土である竹島を何十年に亘って不法に占拠しています。北方四島もそうです。ですが今もって、相手国との戦争や武力紛争には至っておりません。なぜか? それは単に、我が国が抑制的であったからです。日本の能力(ハード&ソフト)の問題もあります。この能力には「意志」を含みます。もしこれが逆の立場であったなら、違った形になっているはずです。この島々をめぐる権益が将来どうなるのか、我が国の展望は見えないまま今日に至っています。小さな島の一つくらい手放してもエエがな、と安易に考えてはいけない。海面にほんの少し顔を出している岩礁でも、そこには大変な権益や戦略的な価値が包含されています。この二件とも、どこかで問題を解決しない限り、後世に後世にとツケを回すことになります。

           

          もう一例:近い将来、虎視眈々と太平洋の覇権を狙っている、どこやらの国が尖閣に上陸して居座ったとします。その時、日本はどう出るか? 我々は北方四島と竹島で何を学習したか? 現下の国際情勢から何を学んでいるか? もしこれを放置すれば、日本の地図の色や国境線やEEZ(排他的経済水域)がどんどん変わっていく(縮小する)のは自明です。国が小さくなるだけで済む問題ではありません。この国の歴史や言葉や文化が消滅する(ことさえあり得る)。何としてでも国を護るという強い意志を内外に示さない国、示すことができない国は蚕食の憂き目にあいます。鉄の女と言われたイギリスのサッチャー首相は、自国の領土が侵されたとの報に接するや、直ちに大艦隊を派遣してこれを奪還しました。王子もヘリコプターのパイロットとして参戦しました。国家の権益を護る、国民の生命財産を護るというのはそういうことです。決心決断の裏付けとなる軍事力は勿論必要ですが、むしろ為政者と国民の覚悟の問題です。

           

          では多様な形の戦争や紛争に備えて、国家としてどの程度の軍事力が必要なのか? 難しい問題ですが、一言で言えば我が国の国力と同盟国の力を勘案し、取り巻く情勢に応じた軍事力です。何を持って、日本の国防力は「保安隊のレベルでいい」と言えるのか? その意味するところを、具体的に知りたいと思う。

          「警察という概念の枠内での軍隊」:警察と軍隊の本質は全く違います。いずれも国家が独占している「力」ですが、犯罪の防止 & 治安の維持と、国権の発動としての武力の行使を同列に扱うことはできません。自衛隊の出自が警察予備隊であるから、しばらく警察予備隊と呼んだことから、広く国民の間でこのような誤解が生まれたのでしょうか。文字通り読めば警察のリザーブ(予備)ですから。

          戦後、教育の場から「軍事」を排除したことも、国民の国防・軍事音痴を助長しています。国の生存という根幹に関わることを、この国の将来を担う青少年に教えない。普通の国ではあり得ないことです。子供がヨチヨチ歩きで外に出だすと、道路を横断するときには「右見て、左見て、もう一回右見て。OK GO」って教えます。親の務めとして。如何にして危険要因を排除し自分を守るか、これを教えるのは親の義務であり、広くは大人の義務です。戦争中は「敵性言葉」だとして英語を教えなかった。これが如何に愚策であったか、今では小学生でも分かります。

           

          創設時の規模はどんなに小さくてもいい、よしんば警察力より小さくても構わん。最初から陸海空軍と呼んでおれば、或いは早い段階で軌道修正しておれば、このような誤解は生じなかったかもしれません。たった一隻の小さなパトロール・ボートしかなくても、旭日旗を揚げて「新生日本海軍の旗艦」だと言うべきだった。最初にボタンを掛け違えるとこうなる訳ですが、ただ国内の情勢がそれを許さなかったのですから、今頃それを言っても詮無いことではあります。問題は今後です。

           

          北欧で大使館勤務をしていた時、(任国の)国際問題研究所に勤務する気鋭の研究員と懇意にしておりました。私の交友を聞きつけた大使が、次のように言ってくれたことをよく覚えております。「武官、それ(研究員との交流や意見交換)は大変良いことです。彼らが今考えていることが、直ぐにこの国の政策に反映されるとは限りませんが、十年後、二十年後に国家の方針や政策になることがあります。従って、今彼らが考えていることは、この国の将来を占う上で貴重な情報源になります」。大学の教員には教育と研究の二つの役割があります。単なる研究員に比して、その責任はより重いと思う。官僚は今日・明日の案件処理に奔走するので、ともすれば長期的な視点を見失いがちですが、学者や研究員は専門的な視点で物事を掘り下げる。と同時に俯瞰して、行くべき方向を見出す時間と心の余裕があります。

          真理を探求する高邁な学問・学識が、美しい理論や概念のままで終わることなく、人類のため日本のために、より良い形で具現化されることを切に願うものです。

           

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          『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』 余話 III

          2019.08.15 Thursday

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            去る8月3日(土)、郷里の東かがわ市交流プラザにおいて『樋端さんのこと』と題する講演を行いました。現在、東かがわ歴史民俗資料館に於いて開催されている「帝國海軍の至宝 樋端久利雄」特別展の一環として、東かがわ市が計画して下さったものです。主催者のご尽力により350人収容の会場はほぼ満席で、講師冥利に尽きる講演になりました。地元市民を始め高松や西讃(丸亀・観音寺方面)、或いは県外からも多くの方が駆けつけて下さり、いつになく私も力が入りました。金毘羅さんの参拝を兼ねて東京から来た、と言う人もおられました。有り難いことです。

            何といっても、戦死された樋端さんの遺児でご長男の樋端一雄さん(90歳)が、必ずしも体調万全でないところ本講演会のために京都から足を運んで下さり、冒頭で御父君への思いを述べられました。それによって、とても重厚で意義ある講演会になりました。あとで知人が教えてくれたのですが、涙ぐんでいるご夫人もおられた由。

             

            少し長くなりますが、以下は一時間講演の要旨です。

             

            まず最初に本日の講演では、事柄の性格上、専門(軍事)用語が頻繁に出てきますので理解が難しいと思います。できるだけ平易に語るよう努めますのでご容赦ください。 さて演題を「樋端さんのこと」としていますが、これは海軍の伝統によるものです。海軍ではどんなに高官(元帥や大将)であっても、退役した人は「〇〇さん」と呼びます。従って、本日は終始「樋端さん」と呼ばせて頂きます。

            私が初めて「樋端久利雄」という名前を知ったのは、昭和43年4月18日です。この日、母校(香川県立三本松高校)では、大先輩である毎日新聞社会長(当時)田中香苗さんの講演会が行われました。私は10日前に入学したばかりの一年生でしたが、田中さんの話(樋端さんのこと)を聞いて防衛大学校への進学を決意しました。この日は、奇しくも樋端さんがソロモン(ブーゲンビル)に散ってから数えて丁度25年目の日でした。不思議な縁(えにし)を感じます。

             

            帝國海軍の至宝はどれほど優秀であったか:

            樋端さんは、生まれてから39歳で戦死するまでの間、成績という成績において全て首席(一番)を通しました。当時、海軍兵学校は「一高(旧制第一高等学校)か海兵か」と言われる難関校でした。それを、中学4年修了(飛び級)で悠悠と合格です。

            江田島(海軍兵学校)に向かうに際し樋端さんは、半紙一枚に墨痕鮮やか、両親と長兄宛に「告辞」と題する決意の書を残しております。中でも、特に次の一節は秀逸です。

            ・・・将来ノ敵ハ先ズ海上ニオイテ雌雄ヲ決セントス 天ニ二日(にじつ)ナシ海ニニ覇アルベカラズ・・・

            これを現代語に訳すると、後段は「天に二つの太陽がないように、海に二つの覇権(海軍力)は存在し得ない」と言います。そして前段に帰って「従って近い将来、太平洋において日米両海軍が衝突する」と予言します。当時(大正9年:1920)、情報源は新聞程度しかない田舎の中学四年生(現在の高校一年生)が、真珠湾攻撃の20年以上前に日米開戦を看破している。樋端さんにはそれだけの先見性と歴史観があり、であるが故に海軍を志す、という国家観をも持っていたということです。

            しかもこの「海にニ覇あるべからず」は、現在の国際情勢においても生きている真理です。例えば東西の冷戦時代、太平洋では米第7艦隊+海上自衛隊とソ連太平洋艦隊が拮抗していました。ソ連はレーガン大統領が打ち上げた”600隻艦隊構想”に対抗して軍拡に走りますが、経済が疲弊して国そのものが無くなりました。冷戦の終焉です。現在はロシア(旧ソ連)海軍にとって代わって、中国海軍が勃興しつつあります。果たして二十年後の太平洋の力学は、どのようになっているのでしょうか? 本日は趣旨が違うので多くを語りませんが、我が国にとって死活的に重要な問題です。 

             

            樋端さんは海軍兵学校を首席で卒業します。卒業式のご名代は、伏見宮博恭殿下(海軍大将、軍事参議官)です。卒業式には、両親が讃岐から駆けつけ参列しています。恩賜の短剣を拝受する我が息子を、どれほど誇らしく感じたでしょうか。

            同期生の2割弱が入学試験を経て海軍大学校に進みますが、樋端さんはここも首席で卒業します。天皇陛下の行幸を仰ぎ、卒業式では軍刀(長剣)を下賜される栄に浴します。海軍兵学校・海軍大学校ともに首席で卒業(所謂、二冠を達成)したのは、帝國海軍76年の歴史でたったの二人しかおりません。

            昭和11年3月、樋端さんは恩賜の軍刀を引っ提げて故郷に凱旋し、母校(大川中学校)で講演をします。この時の記念(集合)写真が残っておりますが、彼はなぜか平服(背広)です。海軍大学校恩賜となれば、周りには将来の海軍大臣・軍令部総長と目され、本人の心情も”飛ぶ鳥落とす勢い”のはずです。彼が平服で帰郷したのは、本人のシャイな性格もあるでしょうが、要は「ほんまもん」は裃を付ける必要がない、即ち何ら自分を大きく見せる必要がない。従って、常に淡々としているということでしょう。

             

            その後、樋端さんは海軍省(霞が関)勤務となります。配置は軍務局第一課(員)。軍務局は海軍省の筆頭局、第一課はその筆頭課です。この時に一緒に勤務した東大出の書記官が、戦後述懐して曰く:

            ・・・軍人はバカと石頭の集団とばかり思っていたが、樋端中佐が起案する文書は完璧で文句のつけようがない。質問に対する説明は丁寧で、しかも軍事専門家として理路整然としている。それでいて謙虚でおごり高ぶるところは微塵もない。これが本当の海軍の秀才かと頭が下がる思いがした。・・・

            斯様に樋端さんは、人格識見ともに兼ね備えた稀有な人材でしたが、私は彼を天才と呼ぶのには違和感があります。即ち、彼は努力の人でもあった。中学時代には、学校への登下校時に歩きながら本を読む。家に帰ると農作業が待っている。その合間に、庭の柿の木に登って英語を暗唱する。なぜか? 木に登って勉強すると、居眠りをすると落下するので自然と集中できるから。夜は油代が勿体ないので、遅くまでは勉強できない。後年、本人が当時を振り返って「あの頃はまさに蛍の光・窓の雪の世界だった」と。

             

            海軍大学校の学生時代、樋端さんは空母の運用について提案します。当時、教官の一人に小澤治三郎大佐(最後の聯合艦隊司令長官、中将)がいました。後年、空母運用の第一人者と言われた提督です。彼は「空母の使い方(作戦)については樋端に教えて貰った」と述懐しています。

            もう御一方、大西瀧治郎中将。この人は特攻の生みの親と言われ、多くの若い命を死に至らしめたと責任を感じて、終戦時に自決した人です。大西さんは山本(五十六)さんと同じように航空機推進派ですが、彼の空母+航空機作戦の理論的な裏付けは樋端さんがやった。樋端さんが大西さんに直接仕えたことはないのですが、大西さんの陰の参謀と言われています。

            更に、このときの樋端さんの発想は、現在、世界第一級の米海軍が採用している空母打撃任務群の原型と言えます。私には、今封切中の映画「アルキメデスの大戦」の主人公(菅田将暉が演じる東大出の天才数学者:海軍技術少佐)と樋端さんがピッタリ重なります。勿論、樋端さんはバリバリの兵科将校ではありますが。

             

            支那事変における飛行長としての戦績:略

             

            聯合艦隊航空参謀:

            昭和17年11月20日付、樋端さんは聯合艦隊航空甲参謀に補されます。司令長官は山本(五十六)さん。この人事には、山本さんの強い引きがあったと推察しております。理由を挙げて説明します。

            1.樋端さんの岳父(井上繁則)は、山本さんと海軍兵学校の同期(32期)です。山本さんは井上さんに「貴様の婿を借りるぞ」と事前に仁義を切ります。この仁義は「自分はいずれ逝く。婿さんについても(戦死を)覚悟してくれ」と言う意味です。井上さんは「こういうご時世だ。覚悟はできている」と応じています。

            2.樋端さんの聯合艦隊航空参謀への補職は二回目であり、私の経験からして、これは通常あり得ない人事です。即ち、同じ配置(航空参謀)で、しかも自分より序列後任の者の後を襲うと言うことは、ある意味降任・降格に等しいからです。従って、山本さんにとっては「樋端でなくてはならなかった」ということ、即ち余人を持って代え難しの人事です。次の作戦参謀へ、という含みがあったと考えます。

            3.山本さんの国葬が終わって数日後、山本禮子夫人が樋端邸を弔問して千代夫人に「大切な人を道連れにして申し訳ありません」と詫びました。禮子夫人は戦後(昭和37年)も、樋端家に弔意を表しています。この年、練習艦隊が初めて赤道を南下するとの情報を得た禮子夫人は、出港準備中の練習艦隊を訪れて「これは樋端航空参謀への追悼文です」「ブーゲンビル島の近傍を通過する際に海に投げ入れて下さいませんか」と白い封筒を艦長に託しました。これ即ち、山本さんは生前、自分の参謀として樋端さんを引っ張ることを、しばしば禮子夫人に話していたのは間違いないでしょう。

             

            ではなぜ、山本さんは樋端久利雄に白羽の矢をたてたのか? 一言で言えば樋端さんは「山本さん好み」だった。具体的には:

            1.聯合艦隊は既にじり貧の状態にあり、戦勢を回復するためにエースを登板させた。

            2.地球儀で国際情勢を判断する・できる山本さんは、遠からず日本は負けると思っていた。従って、聯合艦隊の後始末のため、もう一歩踏み込んで言えば、海軍の敗戦処理のために樋端さんをもってきた。 

            というのが私の推理です。

            そして、昭和18年4月18日、山本さんが岳父井上さんに告げたことが現実のものになります。

             

            前々回のブログ『海軍と日本』関連:

            歴史にif(もしも)は通じないが、もし樋端さんが生き残って戦後の復興にどれほど貢献されたかと思うと、歯ぎしりする思いです。そして樋端さんと南原さん(元東大総長)、同郷の二人が対談したなら・・・東讃(旧制大川中学)が生んだ不世出の二つの知性、類まれな二つの頭脳が膝を交えた時、どのような話の展開になるのだろうか? 

            最近、そんなことを思います。

             

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