母の日

2019.05.23 Thursday

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    ブログには極力固有名詞を出さないよう心掛けているのですが、今回は丸めて表現するのも失礼なことかと思い、特別にかつ勝手にお名前を拝借させて頂きます。

     

    母の日の前日(5月11日)、東京第一法律事務所の内野経一郎弁護士が主催される「日本の母を讃える講演と歌の集い」(於:中野サンプラザ)に参加させて頂きました。この企画は今年で3回目であり、初回からお招きを頂いてたのですが、過去の二回は日程が合わなかっため今回が初参加です。参加者は比較的高齢の方が多く、若い人が少なかったのが残念でした。こんな機会を逃して勿体ない。一言で申し上げて、とても素晴らしい企画でした。プログラムには詩吟あり歌あり講演ありで、二時間があっという間に過ぎました。『かあさんが夜なべをして・・・(童謡)』や、さだまさし氏の『無縁坂』を参会者が合唱し、お母さんがご存命の方もそうでない方も、それぞれがそれぞれの母に想い(思い)を致したことでしょう。因みに、ピアノ伴奏は内野さんの奥様(音大出)が務められました。

    母を思う気持ちは年齢には関係ありません。一方母からみると、還暦を過ぎても子どもは子供です。我が子を虐待する両親や、親を手にかける子供の事件が後を絶たない今日、このような草の根の試みと優しい心の輪が日本全土に拡がることを切に願うものです。

     

    ゲスト・スピーカーの馬渕睦夫氏(元外交官・元防衛大学校教授)、王明理氏(台湾独立建国聯盟日本本部委員長)、そして我々の業界では知らない人はいない葛城奈海氏(ジャーナリスト)のお三方が、それぞれ母にちなむ話をされて参会者の胸を熱くしました。

    お三方の話はそれぞれ示唆に富み、大いに啓発されるものがありました。馬渕さんは話の中で「天皇陛下のお心は、まさに母のこころ」である旨を述べられました。そのお心は国民に対する無償の愛です。令和の時代もその後の時代においても、天皇陛下が国民を思われるお心は連綿と継承されるでしょう。我々はこのように素晴らしい国に生まれ生きていることを感謝し、本当に嬉しく思います。

    王さんは「緑綬褒章と人間の愛」について、ご自身のご先祖様を例に出して話されました。祖国のこと(政治的)にも、やんわりと触れられました。葛城さんは靖国の杜に眠る、先人が残した手記を素晴らしい語りで紹介してくれました。皆さんの話はいずれも感動的でした。

     

    私は折に触れて、「母なる海」と言う言葉を用います。私がかつて海で生きてきたことから、何年か前に友人が教えてくれた言葉です。海という文字には「母」が込められています。「母なる海」と称するもう一つの理由は、海の神である「わたつみ」に因ります。海上自衛隊の殉職隊員ご遺族の会は、「わだつみ会」といいます。どこからこの名前が付けられたのかは承知していないのですが、私は勝手に、国家に殉じて海の神(命)になられた人たちの遺族の集まりだから「わたつみ」だと解釈しております。彼らは志半ばにして、任務と国家に殉じられて神になり、この国と海を護ってくれています。

     

    映画などでは、特攻隊員が「天皇陛下ばんざ〜い(万歳)」と叫んで突っ込んでいくシーンがあります。右であれ左であれ、或る種の政治的な意図をもって、そうした映像を撮っていることもあると思います。しかし、これも馬渕さんが言われたのですが、実際は「おかあさ〜ん」だった。馬渕さんも私も実際に見たわけではないので真実のところは分かりませんが、生還を期さない・期することができない若い戦士たちは、「おかあさ〜ん」と叫ぶことによって母の懐に抱かれ、心の整理をつけることができたのではないでしょうか。そして、国家に殉じることへと自らを昇華させたと推察します。前回のブログで描いた藤田少尉のような境遇の方は、新妻や恋人の名前を発したかもしれません。いずれにしても、愛する人を心に描いて散っていったことは想像に難くありません。

     

    私の母は現在、体の自由が利かないため施設(特養)でお世話になっておりますが、幸いなことに顔の色つやも良く健在です。認知症が徐々に進んで中にはポヤポヤした話もありますが、私がその場を去る時には必ず「有り難う」「気をつけて帰りまい(帰りなさい)」、そして「無理せんでボチボチやりまい(ゆっくりやりなさい)」と言って、頷きながら不自由な手を振ります。小学校の六年間、家を出る時には必ず「ハンカチ持ったか? チリ紙持ったか?」と言われました。多分、母にとって私は小学生のままなのでしょう。

    田んぼの畔で未だ学校にも上がっていない子に、「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」と諭したのは母でした。母が長年に亘って愛用していた「相田みつを」の日めくりカレンダーにも、「かげぐちを いわれることを 知りながら ほめられればすぐ のぼせる わたし」とあります。か〜ちゃんゴメン、還暦過ぎてもチョビット調子がいいと、ついつい鼻が高くなる自分がいます。

     

    日本の、世界の絶対多数の母は偉大です。「母はみな偉大です」と言いたいのですが、「絶対多数」と但し書きを付けざるを得ない今日の、我が国の現状を誠に残念に思います。この絶対多数の範疇に入らない母親は、いったいどんな人種なのだろう? 私には想像がつきません。人間の仮面を被った異次元の生き物でしょうか。

    ある人(母親)が言いました。もし誰かの手によって我が子の命が奪われたら、それが許されない(犯罪である)と頭では分かっていても、相手も同じ目に合わせることを躊躇しない。母親はみなそう思う。殺されたのが夫(配偶者)であれば、そこまではできないし・・・しません(笑)。何故なら、一生子供に犯罪者の母を持たせることはできないから。

    そう言われても男は反論できません。死ぬ思いで子供を生み、無償の愛を持って育てたのは母だから。そこは男が冷静に考えるような、「血」ということだけでは説明できないものがあります。理論や理屈ではありません。女性に媚びる訳ではありませんし、ヨイショするわけでもないのですが、子供に関してはそれほどに女性(母)は大変だし、思い入れが男(父親)とは違う。即ち偉大だってことです。

     

    人間は等しく誰もが母から生まれ、そして母に還ります。年に一度でも、母を思う日があるというのは有り難いことです。もうちょっと親孝行しとけばよかったな〜。

     

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    戦争と平和

    2019.05.09 Thursday

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      世の中は10連休とかで大騒ぎでしたが、こちとら365連休の身には何のこともありません。

      新しい年号「令和」になって初のブログです。だからということではないのですが、僭越なタイトルで申し訳ありません。

       

      先日(4月中旬)、筑波海軍航空隊(筑波空)記念館に行ってきました。山本(五十六)さんの海軍甲事件(聯合艦隊司令長官搭乗機撃墜・戦死事案)の特別展示がなされている旨を友人が教えて下さり、以前から見学したいと思っていたのですがやっと叶いました。海軍甲事件につきましては、拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』でもかなりの紙数を費やしておりますので、どのような資料が展示されているのか大変興味がありました。拙著に追補する事実関係の発見には至りませんでしたが、筑波空に関する資料が多数展示されており、また現存する司令部庁舎を見学して大変勉強になりました。

      筑波空は昭和9年(1934)に霞ケ浦航空隊の分遣隊として発足し、操縦教育を開始しております。その後独立して、実動部隊になりました。従って、戦争末期にはこの地から多くの特別攻撃隊員が出撃して、南の海に空に散りました。記念館には特攻隊員が残した手紙や手記なども展示されています。中でも私にとって衝撃的だったのは、藤田暢明少尉(徳島県出身の予備学生:東京農大)に関する展示でした。藤田少尉にはかねてから意中の人があり、若い二人は結婚を強く望んでいました。しかし少尉の両親は、いずれ未亡人になる花嫁を不憫に思い二人の結婚を許しません。息子(藤田少尉)は、再三にわたり両親に結婚の許しを乞います。そして出撃の前日、遂に両親は若い二人の願い(結婚)に同意(許可)します。翌日早朝、藤田少尉を涙で見送った許婚者は、その足で藤田少尉の実家(徳島)に急ぎます。そして、藤田少尉の遺影と結婚式を挙げたと言います。見送りに行った際に二人で撮った写真とともに、結婚式の写真も数点展示されています。

      特攻隊員には一人残らずそれぞれに物語やドラマがあると思いますが、藤田少尉のようなケースは聞いたことがありません。おそらく他に類を見ないでしょう。涙無くして見ることはできませんでした。

       

      プロイセンの戦略家クラウゼヴィッツが残した有名な言葉に、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」があります。この言葉は今なお一つの真理として生き続け、世界中の戦略家や政治家そして戦士に影響を与えています。上記の藤田少尉夫妻は、時の情勢(政治と戦争)に翻弄されました。遺影と結婚された花嫁さんが、戦後どのように生きられたかは知る由もありませんが、お二人の死と生はとてつもなく尊い。なぜなら、今日の我々日本人はこのような人たちの「生と死」の上に、先人の尊い犠牲の上に生を繋いでいるからです。今日、平和を享受している我々は、先人の犠牲やご苦労に胡坐をかいてはいけない。日本の歴史が今後何百年・何千年続くか分かりませんが、国難に殉じた、戦場に散った多くの先人のことを我々は語り継がなければいけない。それは、今に生きる我々に課せられた義務だと思う。今日、全国各地で営まれている慰霊祭への参列者は高齢化し、人数も減少しています。このままでは、いずれ近いうちに慰霊祭の実施を断念せざるを得ない状況に陥るでしょう。今こそ家庭、学校、社会が先人について子供たちに教え、後世に繋いでいくべきではないのか。

       

      今一度、「平和は如何にしてもたらされるか」について考えてみたいと思います。

      例えば上記の藤田少尉ご夫妻のケースは間違いなく理不尽であり、持って行き場のない悲しみや怒りがこみ上げてきます。ご時世と一言で括るには、とてもやるせない。個人の努力や能力ではどうしようもない、運命に翻弄された若いお二人です。しかしその運命は、世の中の誰かによってもたらされているのも確かです。将来、この国から一人たりとも戦争未亡人を出してはいけない。そのためには、政治外交問題の解決を武力(戦争)に訴えてはいけない。これは先の戦争において、多大な犠牲を払って我が国が得た最大の教訓です。

      しかしです。国家間の問題を武力に訴え武力で解決するのと、武力を持つこととは全く次元が違う話です。私は出自に関係するかもしれませんが、空想的な平和論には与しません。今日の国際情勢において、自分(自国)以外の全ての他を信頼し、無防備によって自国の安全が確保できる、平和がもたらされるとは到底思えないからです。国家権力である武力(国権を発動する一手段としての軍事力)は、国家間或いは地域の戦争や武力紛争を惹起しないためにこそ必要であり保有するもの。しかし、一朝有事においてはこれを用いる政治と国民の覚悟、そしてこれ(政治=国民の期待)に応じ得る軍の実力が備わっていなければならない。

      そこが重要なところです。前回のブログで言った、自らが力の空白(真空地帯)にならないと言うことです。戸締りをしないのは個人の勝手ですが、犯罪を誘引するのは自明です。周りのご家庭にも迷惑をかけることになります。

      日本の領域が真空になること、それは国家の滅亡を意味します。老兵の空元気でもありませんし、ハッタリでもありません。それが国際情勢の厳しい現実です。

       

      平和を創造してこれを享受するためには、相応のコストとリスクを甘受しなければならない。藤田少尉夫妻のような犠牲者を二度と出さないために、我々国民に求められているのはこのコストとリスクです。安全保障と国防は相手があってのことであり、現実を踏まえた議論をし、現実に沿った対応措置が求められる。独りよがりのタナボタで、平和の配当を得ることはできません。株を購入するのには、コストとリスクがつきものです。株券を買わない人に配当金はありません。

       

      もういい加減、神学論争は終わりにしたいものです。

       

       

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      真空地帯

      2019.04.25 Thursday

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        今時「非武装中立」など信じる人は皆無、とは言いませんが殆どいないと思います。しかし、戦後の何十年かに亘ってかかる美しい言葉(絵空事)がこの国を席巻しておりました。非武装信者にとって自衛隊は、勿論憲法違反であり平和を阻害する要因でありました。との認識だったはずです。ですがその信者さん代表は、この国のかじ取りを任された途端に「自衛隊容認」に大きく舵を切りました。我々船乗りで言えば、「取り舵(左回頭)一杯」だったのを、一気に「舵中央」にしたようなものです。この時彼(彼女)らが大きく舵を(相対的に右に)切ったのは、或る意味仕方ないことですよね。そうしなければ、現実の問題としてこの国が生きていくことはできないし、国家としての体をなさない訳ですから。流石に「自衛隊は違憲」とは言えなかったわけです。

        この辺りから、いかな能天気な日本人も「ちょっとなんか違うんじゃない?」と思いだしたんだよね。そして非武装中立なる理論(?)は、今日では風前の灯火です。それでも自称平和主義者の間には、今なお残滓(この「神話」の信者)があるようです。神話という表現は神様に失礼ですね。言いたいのは、非武装中立なる考え方は、謂わば「神がかった信仰」だと言うことです。まさに他力本願。どこやらの国の憲法前文にあります。「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・」。能書きとしては誠に美しい。でも、世界中の全ての国の信義を信じることで自国の安全を確保することができれば、これほど安易かつ安上がりな国防政策はありません。戸締りも鍵も保険も、な〜んも要らんわけですから。年間で5兆円が浮きます。この保険代5兆円を高いと思うか安いと感じるか? ですね。

         

        のっけからきつめのジャブを入れましたが、安全保障において、そして国際政治において最も危ない状況・情勢は「力の空白」です。国際情勢は空気みたいなもので、良いにつけ悪いにつけ各国・地域の力が均衡して平和が保たれています。この「ちから」は、必ずしも武力=軍事力だけを指すものではありません。国で言えば国力です。その国のトータル・パワーですね。パワー・バランスの典型的な例が米ソの冷戦構造でした。核戦力をはじめ、アメリカとソ連の力が均衡して世界の平和、とは言えないかもしれませんが、とにかくカッチリとした世界の安定が維持されていた。勿論、その安定の陰には虐げられている多くの国や人々がいたことは間違いありません。時は流れ、一方の大国であったソビエト連邦は、アメリカとの軍拡競争に敗北して疲弊し崩壊してしまいました。

        話は少し横道にそれますが、昭和62年(1987)、当時市ヶ谷にあった海上自衛隊幹部学校で、我々学生は二十年後の海上自衛隊の在り方について議論しておりました。学生も教官もそして招へいする多くの講師(与野党の政治家さんを含む)も、誰一人としてソ連の崩壊を予見する人はいませんでした。と言えば嘘になります。実は只一人、防衛研修所(当時)の或る女性教官だけが、時期は明示しなかったですが「早晩ソ連は崩壊する」と言い切ったですね。それなりの人でソ連の崩壊を予見したのは、私が知る限りではこの方だけです。彼女はソ連研究の専門家でしたが、今思えば素晴らしい研究者であり学者でした。勿論、私を含め生意気盛りの学生(学生の殆どが3佐=少佐)は、彼女の説を「そんなアホな〜」と誰も信じなかった。そして毎日、冷戦情勢下での海上自衛隊の将来像や、在るべき姿について口角泡を飛ばし議論してました。憲法問題もそうでした。

        全く時代が読めてなかった。回顧して、誠に恥ずかしく思います。

         

        この2〜3年後に東西の冷戦は終焉を迎え、ソ連は無くなりました。ソ連の支配下・影響下にあった多くの国や人々は、ソ連の軛(くびき)から解放されて独自路線を歩み始めます。その多くは、欧州(ヨーロッパ)への回帰を図った。東欧やバルトの人たちはみんな、自分たちはヨーロッパ人だと思っています。そして、いよいよ平和な日々が来ると思っていた。しかし平和の配当を得たのは、長い人類の歴史で観れば瞬時です。欧州は西欧と言う受け皿があったのでまぁ良かったのですが、アジアにはそんなものはありません。或る国は歴史を読み違えましたね。国内に駐留していた米軍に「(ソ連の脅威がなくなったので)もう基地は貸さない(=出て行け)」と決定した。そう言われた米軍も「あっそう」と撤退してしまいました。アメリカも早計だったと思います。さてその後、その国や地域の情勢はどうなった? 簡単に言えば、瞬く間に一部の領域が隣の大国に飲み込まれました。何年か後に自らの誤りに気付いて米軍に秋波を送ってましたが、米海軍の友人は「某海軍は腐ってる」と言ってました。決して他人ごとではありません。平和に慣れた軍隊は腐ります。しかも早いです。艦艇は3か月間港に停泊したままだと、艦底にはフジツボが付着し戦士(戦闘員)の心も腐ります。

        冷戦の終焉に湧き、あの時日米両政府が同じ決断をしていたならば、今日では我々も同じ状況、即ちとても悲惨な状況になってるはずです。我々は時の為政者と、この国の地勢に救われました。一例として挙げましたが、「力の空白」というのはそういうことです。

         

        小さな村も世界も同じです。平和と安定が保たれるためには、必要悪かもしれませんが「ちから」が不可欠です。「ちから」は空気なのです。世界の空間は、「ちから(主として軍事力)」という空気によって満たされ、釣り合いが取れています。だから、一つの大きな塊で「ちから」が崩壊する(なくなる)と、そこにポッカリと真空地帯ができます。安全保障上、その時が最も危ない状態です。冷戦時の太平洋の海洋戦力は、米第七艦隊+海上自衛隊=ソ連太平洋艦隊という構図で、或る意味安定が保たれていました。ところがソ連の崩壊によって、一方の雄であるソ連(ロシア)の艦隊は「死に体」になった。ここに「ちからの空白」が生じた訳です。するとどうなる? 算数も国際情勢も1+1=0はあり得ません。ゼロ(真空)を埋めるが如く、他の力が急速に台頭します。それが歴史の必然なのです。

        因みに、ロシア(旧ソ連)艦隊が「死に体」状態に陥った時にも、彼らは腐っても鯛だと思っていました。今もその考えは変わりません。決して侮ってはいけないということです。いずれ大艦隊に復活します。今我々が南の方だけにフォーカスしてたら、足をすくわれることになります。その時の太平洋の力学は、大きくは第七艦隊+海上自衛隊⇔中国海軍⇔ロシア太平洋艦隊の三つ巴になる。これに豪州や台湾、その他アジアの国々の海軍が関わってくる。そして、もはや時代の力学は太平洋のみで完結することなく、太平洋+印度洋の海洋戦力が世界の趨勢を大きく左右することになります。すれば、ヨーロッパ諸国の海軍も出てくる。さ〜どうする?

         

        国際安全保障におけるキーワードは、自らが力の空白にならないこと、そして真空地帯を醸成しない(作り出さない)ことです。現下の大きな争点である憲法の問題、沖縄の問題は、このような視点からも考察し議論する必要があります。太平洋・印度洋海洋戦力の各プレイヤーは日本の動きを注視しているでしょう。何のために? 

        各国が最も重視しているのは、それぞれの「国益」であることに疑いの余地はありません。北や南の島を含め、百年後二百年後の日本地図はどうなっているのだろうか?  

         

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        追伸 グダグダ言ってるうちに、67(歳)になってしもうた(笑)。笑っとる場合じゃないってか・・・。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        再び国旗

        2019.04.11 Thursday

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          お天気に誘われて、銀座を散策してきました。と言っても直線の中央通りを京橋から新橋方面へ、一丁目から八丁目までぶらぶらと。まさに陽気の中で銀ブラです。ではありますが、目的はただ一つ。日本で最も名の知れた、かつ我が国の誇りでもあるこの通りに何本の国旗(日の丸)が揚がっているのかを確認するため。常態を知るために、敢えて平日を選びました。これと言った仕事もない、暇人のやることです(笑)

           

          結論(散策の結果)を急ぎます。ゼロ!

          これが日本の目抜き通りかい。10本とは言わないが、せめて2〜3本はあるだろうと高をくくって歩き出したのですが、見事に外されました。Ferragamo や LOUIS VUITTON が「日の丸」を揚げてないのは理解できますが、我が国屈指の老舗であるSEIKOにも「三越」にも「とらや」にも、そして額縁を求める時にしばしば立ち寄る itoya(文具店 )にも国旗を認めることはできませんでした。そもそも、ビルディングの前に国旗掲揚台がない。さりとてビルから張り出すポールもゼロ。「旗を揚げるポールを設置しないようなビル建設には、弊社は入札しない」ってな宣言をする、骨のある建設会社の社長はおらんのか・・・。天気は良いが、驚きと寂しさが交錯する散策・観察になりました。流石に一部のビルの屋上にはそれらしきものを確認することができるので、お上りさん宜しく上をキョロキョロしながら歩きましたが、屋上にも旗は全く見当たりません。首が痛くなっただけの、くたびれ儲け。

          世界の服部さんちの建屋には一風変わったポールがあり、両側にヤード(揚旗線)が付いているので、お正月くらいには国旗とか社旗を揚げるのだろうか? まさか鯉のぼりを揚げるために、ヤードを張ってるんじゃないだろう。

          因みに、「ヤード」も「揚旗線」も業界用語です。


           

          私はおよそ50か国を訪問した経験を有しますが、他国に例を見ない光景です。どんな国だって、その国最大の目抜き通りには多くの自国旗が翻っている。それが自国に対する誇りの発露だからでしょう。それを見て海外から来たお客さんは、「ああ〇〇(どこどこ)に来たな〜」との思いを強くします。この街並み(銀座)では、日本に来たっていう感慨は湧かんでしょうな。多くのブランド名が横文字で並んどるし。日本の旗屋さん、お相手が官公庁だけで経営が成り立つのかな? 国旗なんてそれほど劣化するものでもないし…。などと余計な心配までする。でも、これも仕方ないか・・・と思ったり。戦争に負けるってことは、そういうこっちゃ。その内、「日の丸」はオリンピックで応援する時に使う旗ってな理解が、自国の国家観や歴史観のない「こどな」の統一見解になるかもしれない。

          オリンピックと言えば、何かと評判が悪い「2020東京五輪」組織委員会会長、総理大臣のご経験もある著名な方です。あれこれ言われますが一つ(だけ)感心したのは、あるオリンピックの時から金メダルを取った選手が最も高い表彰台で、演奏に合わせて国歌を口ずさむようになったこと。会長の鶴の一声だと仄聞します。昔から評判芳しからぬ政治家さんではありますが、それだけの国家観をお持ちだということです。人物を評価するときには、決して外見や表層的な発言だけで判断してはいけません。

          そして再び銀座、ここで日本の国家観を見出すことはできません。日本の空気も希薄、と言っても過言ではない。

           

          Not to change the subject, but ・・・:

          客年10月のこと、K海軍が主催する観艦式の実施に際して、海上自衛隊に対し「軍艦旗(自衛艦旗)を揚げるな」と言ってきました。軍艦旗はその船が当該国の軍艦であることを証明するものであり、軍艦旗を掲げない艦艇はたとえ大砲を備えていても軍艦とは見做されない。例えば、造船所から未だ引き渡しを受けていない建造中の護衛艦、外見上は軍艦に近いですが社旗を揚げて航走します。これは軍艦ではありません。謂わば、海賊船と言われても仕方がない状態です。

          そんなことは絶対にないですが、例えば逆に我が方がK国の国民感情を忖度して「軍艦旗を降ろして参加したい」と提案したとします。もし私が主催国の艦隊司令官であれば、「我が海軍を馬鹿にするな!そんな訳の分からん船を、国家行事である観艦式に参加させることはできない」と断固参加を拒否します。斯様にK海軍の要請は、国際常識に反するとても恥ずかしい行為であり、歴史に残る汚点になった。当の本人がどう思っているか・・・ではありますが。

           

          軍隊の本質について簡単にレヴューします。軍隊が有する機能は、(対外的に)国家として主権を体現し発動することにあります。従って例えば海軍については、国外にある軍艦は在外公館(大使館や領事館)と同じように、国家の分身として治外法権を有します。これ即ち、軍艦に掲げる旗(軍艦旗=自衛艦旗)は軍艦であることを示すと同時に、国権を発動する国旗に準ずる旗だと私は理解する。その旗を揚げるなということは、やや話が飛躍しますが、例えば「平昌オリンピックにおいて、日本選手が金メダルを取っても日の丸は揚げるな」と言うに等しい。そんなことが許されるわけがありません。自衛艦旗が、帝國海軍で使われていたものと同じデザインの旭日旗であろうとなかろうと関係ありません。我が国が正式に採用している旗であり、関係法規に則って掲げているものです。他国がとやかく言う筋のものではない。ましてや歴史認識などとは何ら関係がありません。K海軍の要求・要請は、我が国にとってそれほどに重い案件であったのです。

          FC(射撃管制)レーダーによる日本哨戒機への照射事案は、一つ間違えば実力行使に発展する恐れがあり、軍事的には極めて危険な行為ですが、これは謂わば現場(前線)の話です。因みに、FCレーダー照射事案が生起すると、直ちに艦隊司令官が当該艦に飛んだ(という情報がありました)。これが何を意味するかと言えば、K海軍はことの重大性を認識していたということです。そりゃそうです。世界の非常識に類する行為ですから。艦隊司令官は事実関係を確認し、そして緘口令をひいた(ことは想像に難くありません)。さてその後、艦長以下関係者が如何なる(懲戒)処分を受けたのだろうか。或いは、英雄として金鵄勲章を受章したか・・・。

           

          旗の問題は、日本の国そのものに関わる重大事案です。外国が他国の旗について云々することは、その国の国権を損なおうと企図するものであり、僭越かつ失礼極まりない。先方は勿論のこと当該国である我が国自身も、そこのところを正しく認識する必要があります。

          他国のことはさておき、この国では学校の式典などで国歌(君が代)が演奏される時に、起立しない教育者(先生=学校職員)がいるらしい。更には、その良し悪しを巡って裁判になる。普通の国では想像もつかない風景です。世界に冠たる経済大国日本は、国家としてかくも劣化し脆弱で、常識のない国として世界中の笑いものになっている(かもしれない)。そんなことを思いながら銀座を歩きました。

           

          血圧と心臓に良くない銀ブラだった。

           

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          故郷に向かいて言うことあり

          2019.03.28 Thursday

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            郷里の元分校の横に、立派な地神が祀られています。たまたま帰郷している時に春のお祭(神事)がありましたので、参加させて頂きました。「地神」は私の古里では「じじんさん」と呼ばれ、春と秋の彼岸の時期に神事(お祭り)が執り行われます。春は田植えを目前にして今年の豊作を祈願し、秋には収穫に感謝するという趣旨です。昔からやっていることには、すべからく意味があるのです。現在は大字の4つの自治会が持ち回りで運営(神事)を担当してますが、自治会の中にはたった5〜6世帯のところもあり、周辺の掃除やお供え物の飾りつけなど、高齢者には骨が折れる作業です。還暦をとっくに過ぎた私ですが、村では甲板士官みたいなペーペーです。しかし最近は結構帰郷しておりますので、村のお年寄りたちもやっと私の顔と名前を憶えてくれました(笑)。

             

            話は変わります。ついてきてね。

            その「じじんさん」の近くに、一つ(正確には二つなのですが、ここで言及するのは一つなので・・・)の石碑があります。拙宅(実家)のご近所(二軒先)に、陸軍中将近藤新八さんのご実家があるのですが、その方(近藤中将)ご夫妻、主として奥様を称える碑です。ご実家には蔵があり、村の名家に数えられています。近藤中将は私と同郷と言うだけではなく、現三本松高等学校(旧制大川中学)の大先輩でもあります。大正2年3月の卒業ですので、拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』の主人公樋端久利雄の8年先輩です。

            中学を終えると陸軍士官学校(28期)に進み、陸軍大学校(41期)へと歩を進めた俊秀です。終戦時には広州(中国大陸)に展開する、第130師団を率いていました。戦後、いわれなきB級戦犯に問われ刑場の露となる。地元では若い頃(大佐)の奉天及び新京憲兵隊長の経歴が災いしたと仄聞しましたが、師団長として体を張って部下の帰国・復員を図ったのが実態のようです。少し国内が落ち着いた昭和28年に、国会の全会一致で名誉回復がなされ法務死に認定されました。この「全会一致」が意味するところは大きい。今の国会では想像もつかないですが、当時の野党にはそれだけの見識があったと言うことです。

             

            グダグダ説明するよりも、碑文を転写した方が理解が早いと思います。以下の通りです。

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            顯彰碑

            昭和二十二年十月 中華民國広東省広州市に於て節義に斃れし 故陸軍中将従四位勲二等 近藤新八(享年五十五才)未亡人近藤元子氏(当年九十六才)広島県佐伯郡大野町在住より古里大川町に対し学校教育助成基金 一金七千五百萬円也の篤志御寄付を賜れり

            夫人は山口県萩市 和田家の生まれ 大正十五年三月近藤新八大尉と結婚 戦中戦後の動乱の中を生き抜かれ 自ら原爆症に悩まされつつも 不幸にして殉職されし方々遺族の相談相手となり また軍人遺族会の指導に献身され 祖國復興に尽くされたり 正に日本婦道の亀鑑とも申すべき刀自なり

            戦後五十有余年 風靡改過

            世界人類の恒久平和と大川町の未来を託する子弟の健やかな成育を希求する徳星を頌しここに南川(新八雅号)の地に建碑して永く敬仰顕せんとす

            平成九年丁丑 清秋    大川町長 十河昭五 

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            碑の裏面には、「元第130師団長 近藤新八中将副官 福永光司」と彫られています。余計なお節介ではありますが、師団の前に「元」は要らないと思う。他業種の方には何のことか理解できないでしょうが、副官は永遠なのです。

             

            ご家庭の事情もあったかと推察するのですが、それにしてもどうですか・・・この夫人の振る舞い。明治の女です。親戚筋も偉い。夫人の寄付行為に反対するでもなく、これを咎めるでもなく。今日の世知辛い世の中で、一般庶民が億に近いお金を子供の教育に役立てて欲しいとポンと寄付する。正直言って私には、この金額の十分の一でも難しい。仮に私がそう言っても、連れ添いや子供らがどう思い、どう判断するかですね。しかし近藤夫人の判断は、一つの指標になります。あっちに行くときに、資産が残っておればですが・・・。日々の生活に汲々としている私には、とても期待できそうにない。

            なお、近藤夫人の篤志は基金化され、その一部を活用して地元の小中学校には「近藤元子文庫」が設置されています。蔵書は一万冊を超える。

             

            この地神さんの敷地内に、もう一つ重要な記念碑(柱)があります。昭和63年5月、香川県の満濃池森林公園で行われた全国植樹祭に御来臨になられた、皇太子殿下(今上天皇陛下)と皇太子妃殿下(皇后陛下)のお手まきによる松の横に建てられています。碑の一面には「第三十九回全国植樹祭開催期日 昭和六十三年五月(以下地中に埋没:おそらく二十二日)」とある。もう一面には「皇太子殿下お手まき クロマツ 皇太子妃殿下お手まき(以下地中に埋没:おそらくアカマツ)」と記載されています。

            私は以前からこの柱(碑)が気になって仕方がない。ペンキが剥がれて、文字の判別が難しくなりつつある。傾き、そして朽ちなんとしている。このやんごとなき二本の松の一本は、松くい虫が猛威を振るった時に枯れてしまったとのこと。碑は当局ではなく、大字(地元)が建立したとのことです。自治会長に「新たな碑を建てるよう市に打診してみては如何ですか?」と申し上げたところ、「市の財政は厳しく、僅かな予算でも削ろうとしています。まず無理でしょう」とのこと。平成の御代が平和裡に終わろうとしている現在、何とかできないものかと思っています。

             

            もう一件あります。欲張りで申し訳ありません。

            私が学んだ、そして私の両親も学んだ山の分校(現在は青年の家として活用)に二宮金次郎(尊徳)の像があります。例の薪を背負って歩きながら、本を読んでいる姿像です。この像は分校が廃校になるときに、当局(町役場)が撤去すると言ったらしいのですが、地元民が反対して残されたものです。私は帰郷の度にこの像を見に行き、先人は良いことをしてくれたとの思いを強くします。で何が気になってるのかと言いますと、写真で分かる通り薪の部分が破損していること。いつ破損したのかは知らないのですが、また何方の発案かも知らないのですが、本物の薪を背負って貰ってます。それは誠に微笑ましかったのですが、今では多くの薪が朽ち落ちてしまいました。これも何とか修復したい。焼き物ですので、それほど値が張るとは思えないのですが・・・。

             

            私は貧乏性ですから持ち物でも何でも、価値あるもの・使えるものは修復・修理したいと思う。百均で買った傘でさえ、傘の何倍もする修復材を購入して使っているほどです。バリバリの貧乏性。ではなく正真正銘の貧乏(笑)。

             

             

            【眦菁郢襪離フィシャル・サイト】

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            博海堂

             

            追伸 神事である「じじんさん」に多くの村人が集まっている時、一台の街宣車が「〇〇の国政報告会を〇〇から〇〇で行いますので是非ともお集まり下さい。憲法改正がどうたらこうたら・・・」と大音量で直ぐ横の道路を往復した。選挙が近い。ご本人が乗っておられたとは思いませんが、彼は千載一遇のチャンスを逃した(と思う)。たった1分間車を止めて、ポケットマネーで百円のお賽銭を祀り、そして「ご一同さま、お疲れ様です。〇〇です。宜しくお願いします」と頭を下げれば、好感度かなりアップしたのではないかな。参列者は口々に言ったものです「(喧しくそこいらじゅう走ったって)みんなここに居るのに・・・」。