南海トラフ

2016.12.08 Thursday

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    先日(11月26日)、故郷讃岐の音楽ホールで講演を行いました。地元の保護司会が主催して下さり、私の古里「さぬき市」と母校(県立三本松高等学校)がある「東かがわ市」の後援をいただきました。「ふるさとは遠きにありて想うもの」と言いますが、有り難いことです。

    東日本大震災の経験と、そこから得られる教訓、そして今後の大震災への対応について1時間ちょっと話しましたが、ほぼ満席状態で、およそ500人が熱心に聞いてくださいました。遅れて来られた方は、通路の階段に腰を下ろして聞いてくださったとのこと。聴衆のなかには、半ば動員された親戚筋や同級生の顔も見えましたが(笑)

     

    話したことの、特に重要と思う何点かをピック・アップしてみます。

     

    1.私が大前提としているのは、歴史的に災害が少なく平穏と言われている「のどかな村」にも、「いつか大きな災害があり得る」ということです。その時期は今夜かもしれないし明日の未明かもしれない。あるいは、ひ孫の時代かもしれない。向こう百年、大災害がなければそれに越したことはないのですが、「ある」と思った方がいい。阪神・淡路大地震も熊本地震も、何人の学者さんが、何人の住民が予期・予言し、そして事前に注意喚起したでしょうか。

    阪神・淡路の時、私は北欧に居りました。大使館に出勤前、いつものようにテレビをON(CNN)にしたところ、大阪・神戸辺りに大きな赤丸がある映像が、まさに消える(他のニュースに移る)寸前でした。これはただ事ではないと直感し、慌てて実家に電話したことを昨日のように思い出します。幸い、その時はまだ電話が通じておりました。

     

    決して脅威を煽るわけではないのですが、安全神話が通用しない時代になったと考えていい。そう考えて、大きな災害に向き合うのが文明人の知恵というものでしょう。事態は違いますが、現在日本が置かれている国際環境についても、安全神話は通じないと私は考えています。それは、いずれも相手があることだからです。どちらにも備えておく必要があります。神様はそんなに優しくはありません。東日本大震災を通じて、つくづくそう思いました。

     

    2.一年に一回でいいので、ライフ・ラインがない(途絶した)生活をしてみませんか。

    決行する日は、できるだけ厳しい季節、即ち熱帯夜のある真夏とか、寒風吹きすさぶ真冬がいいと思います。最も過酷な季節を体験しておけば、その他の環境には容易に対応できます。年に一回というのは、丸一日(24時間)のことです。そうすると、ソフト・ハードの両面において、何を準備すべきかが自然と見えてきます。頭でそう考えるだけで、例えば「最低限ペットボトル(飲料水)と食料は確保しなくちゃ」と思いつきます。そうすれば、目的は半ば達成されたようなもんです。私はこれを「頭の体操」と呼びます。

     

    言い忘れました。ライフ・ラインは、通常、電気・ガス・水道を指しますが、私は今日のライフ・ラインには、通信手段(固定電話、携帯電話、スマホ、パソコンなど)を含めます。今日では、スマホを24時間も使えないと思うと、気が狂いそうになる人もいるんじゃないかな。

    さあみなさん、24時間生き延びるために何を準備しますか?「24時間であれば、この程度の準備でいいや」と思う人は、あまりにも安易であり、本番では生き残れませんよ。東日本大震災の時、陸前高田の一部地域では2か月の長きにわたって電気がこなかった。住民は2か月間、寒空の下でロウソクの生活を強いられました。人間の力を過信し、自然を甘く見てはいけません。

    軍事専門用語では、「彼我の能力見積もり」といいます。敵の能力と我の能力を調査・分析して、自分が置かれている環境や、周辺の状況(情勢)を正しく認識するということです。

     

    3.これは、我田引水、手前味噌と思われるかもしれませんが、私はいたって「まじめ」です。

    海からの救援を、私は「FROM THE SEA」と呼称します。正確には、RESCUE FROM THE SEAです。拙著『武人の本懐』の副題にも、この言葉を用いました。海からの救援と聞けば、大概の人は海岸線の町や村を想像するでしょう。しかし私は、内陸地こそFROM THE SEAを考えておく必要があると思っています。

    私が生まれ育った村は、現在、イノシシとサルが跋扈する山間部にあります。「コの字」型に山脈があり、即ち村の三面が山に囲まれて、車の出口は一面かつ一本の道路だけです。従って、村の出口を直角に走っている幹線道路が途絶すると、住民は完全に孤立する。陸の孤島ですね。さあどうする?

     

    私が村長さんなら、近くの湾に大型の輸送艦か補給艦、あるいは護衛艦を入れて、そこからヘリコプターで救援物資を持ってきてほしい。発艦して15〜20分もあれば届くでしょう。帰り便には、病気の人やお年寄りなど、緊急に対応が必要な被災者をピック・アップして、しかるべき場所(病院や避難所)に移送してもらいたい。と思う。

    二次元で「にっちもさっちもいかない」ときには、三次元で考えるということです。海なし村こそ、FROM THE SEAの考え方を取り込む必要があるのではないか。という発想は、実家のロケーションからヒントを得たものです。

     

    この他にもいろいろあるのですが、まあこんなことを話しました。

     

    大変僭越かつ失礼なことで、お叱りを受けるのを承知で言いますが、ひとつだけ残念だったのは、参加して下さった方々の平均年齢が、ほんの少し高齢だったことです。50代の友人が受付で、「ああ若い人が来た!と言われた」と苦笑いしておりました。ちょっと嬉しそうでもありましたが(笑)。勿論、それはそれで有り難く、また大いに意義があるのですが、何といっても、いざという時に頼りになり、また汗をかくのは若い人です。そういう人たちにも聞いてほしかった、と思いました。大層欲張りなことです。

    でも翌日には、地元の四國新聞と毎日新聞(全国紙は1社だけです)が、結構大きく扱ってくれました。

     

    で、役所の防災関係者はいたのかな??? なんせ休日やもんね! 神様が、「今日は休みの日だから、地震は止めとこ」と思ってくれればいいですが・・・。

     

    下の写真は、プロの作品です。随分生意気な格好をしてますが、うまいこと撮って下さいました。早速、フェース・ブックのプロフィルにも使わせていただきました。

     

     

    博海堂

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    似て非なるもの II

    2016.11.24 Thursday

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      以前、同じタイトルで自衛官(軍人)の名誉について書きました。

       

      話を蒸し返すようで申し訳ないのですが、国会における「スタンディング・オベーション」問題の数日後、某大手紙の朝刊コラムで次のような記事がありました。

      :多くの職業のなか、なぜこの人たちだけをたたえるのか釈然としない:

       

      おっしゃる通りです。世の中にはいろいろな職業があり、それぞれの職場で働いている人は、それぞれの分野や立場で社会に貢献しています。職業に上下も尊卑もあろうはずがありません。しかしですが・・・なのです。お言葉ですが、この「釈然としない」とおっしゃることが、私には釈然としない。今私が言おうとしているのは、スタンディング・オベーションの良し悪しではありません。「なぜこの人たちだけをたたえるのか」、という疑問に対する私なりの回答です。

       

      警察官や消防官が採用されたときに、当局がどのような担保を取り付けるのか、私は不勉強で知りません。自衛官の場合には、次のような「宣誓文」に押印して提出します。「服務の宣誓」といいます。

      『(前半略)・・・強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。』(下線は筆者)

       

      身の危険があるという意味においては、警察も消防も同じです。他の職業についても、危険な仕事はたくさんあります。例えば、長距離トラックやバスの運転手さん。毎日、どこかで死亡を伴う交通事故が発生しています。ある意味、自衛官よりもリスクを伴うとも言えます。ご家族も気が休まらないことでしょう。

       

      上記の宣誓は、初めて国防の任に就く者の、入口での決意表明でもあります。まさに「一所懸命」、即ち一点(任務)に命を懸けるということです。命がけで仕事をする。口で言うのは簡単です。しかし自衛官の場合は、日々、この「宣誓」を背負って任務に就いているということです。私は、国を守るという、任務に対する「忠誠」と捉えています。どこの国の軍人も同じでしょう。そうでなくては、国家・国民は守れません。だから、「普通の国」ではServicemen and women(軍人)は国民から信頼され、敬意を持って遇されている。スタンディング・オベーションがどうしたこうしたという、机上の議論ではないのです。

       

      メディアに携わる人たちは、おそらく高学歴で、知的レベルも私などよりよほど高いでしょう。何をもって「知」あるいは「智」というかは、今は横に置きます。しかし、この「釈然としないと言われる人たち」の責任感によって、この国は守られ、この国の住民は守られています。決して、偉そうにしたいわけでも、偉そうに言いたいわけでもありません。これは厳然とした事実です。

       

      私が制服を脱ぐその日まで、四十有余年両親は毎朝、洋上で任務に就く息子の安全と無事を祈って、仏壇に手を合わせたといいます。退役後に聞きました。嘘ではないでしょう。釈然としてもらえない我々ではありますが、本人はもちろんのこと、家族をも含め、それほどに覚悟を持って任務に就いているということです。

      日本は民主主義国家です。ですから、自分の考えを押し付けたりはしませんが、ここは是非とも釈然としてほしい。国防の最前線に立つ者、正確には、立ってきた者(Old Sailor)の切なる願いです。

       

      上記コラム(記事)の「人たち」に下線を付しました。この方は「釈然としない」と言いながら、「本当は敬意を抱いているのじゃないか?」と思ったからです。「たち」には、敬意を表す意味が含まれると記憶しています。いっぱしの社会人は、外に向かって「わたしたち」とは言わないでしょう。良識ある大人は「わたくしども」と言います。

       

      これって、嫌味でしょうか!

       

       

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      Hospitality

      2016.11.10 Thursday

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        先日、母校(高校)同窓生(同級生ではありません)の有志夫妻を、第二の故郷である横須賀に案内しました。

        当日のスケジュールは、まずは私の原点でもある記念艦「三笠」です。この艦(ふね)は明治38年(1905)、日本海海戦において東郷聯合艦隊司令長官が座乗して赫々たる戦果を挙げた、我が国が世界に誇る艦です。日露戦争における日本の勝利が、どれほど多くのアジア諸国や、白人に搾取されている有色人種を覚醒したことでしょうか。有色人種の躍進は、ここから始まったと言っても過言ではないでしょう。歴史は正しく認識したいものです。

        ⇒http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/

         

        我々一行が三笠に乗艦した時、防衛大学校1期先輩の三笠保存会事務局長が舷門に立っているのを認めました。「舷門」って専門用語ですが分かるかな〜。簡単に言えば艦艇(ふね)の玄関です。事務局長は自ら甲板上で、お客さんにパンフレットを配布しておられました。事前の連絡などせず突然の訪問だったのですが、事情を説明すると彼は足早に我々を映写室に案内してくれました。そして、日露戦争と日本海海戦を解りやすく説明した、18分のビデオを見せてくれました。ビデオをオンにするやいなや、彼は甲板に駆け上がり先の仕事を続けたようです。そして、ビデオが終わる頃にタイミングよく再び降りてきて、追加の説明をしてくれました。先輩のお心遣いと、素晴らしい動きに感心しきりでした。

         

        因みに、三笠は保存会の所有物ではありません。当然のことではありますが国有財産です。管理責任者は横須賀地方総監であり、運営を保存会に委託しています。三笠の紹介をしだすと1時間はかかるので、このくらいにします。詳細については、上記「三笠」のweb siteをご覧ください。日本人なら一度は見学してほしいと思います。日本を訪れる、多くの外国高官が観て帰ります。

         

        このあと、昼食をはさんで護衛艦「たかなみ」に移動。「たかなみ」は、間近に海外展開を控えとても忙しい時期だったのですが、私のわがままを訊いてくれました。他に停泊している艦もあったのですが、どうしても都合がつかず、同艦だけが受け入れてくれました。私が艦長であれば、如何に先輩の要望であっても拒否したと思います。実際に行ってみて、それほど作業が詰まっていたことを知りました。大変申し訳なく、また有難いことでした。

        「たかなみ」には本当に申し訳なかったのですが、見せていただく側にとっては、この上なくラッキーでした。訓練で大砲が動いていたり、諸物品を搭載している状況を間近に見たり。そして、一行が最も喜んだのは、海外展開用に搭載していたヘリコプターでした。ヘリが格納庫から飛行甲板に移動して翼を広げる様子を見せてもらい、機体に触れ、操縦席(コクピット)に座らせてもらったり。至れり尽せりです。おじさん・おばさんたちが、はしゃぐこと・はしゃぐこと。まるで子供です。それなりに部隊を見ている家人も、「今までこんなこと、してもらったことな〜い」と耳の痛いコメントです(笑)。

         

        艦艇見学を堪能した一行は田戸台に移動、横須賀鎮守府司令長官公邸(官舎)を訪ねました。豪壮な洋風建築で、東京湾を一望できる庭があり、帝國海軍の力を垣間見ることができます(拙著『武人の本懐』35頁参照)。桜の季節は最高です。数日間ですが市民にも開放します。現在は田戸台分庁舎と称して、総監や司令官主催の観桜会をはじめとする、諸行事や米軍との会合などに使っています。ここでも、私が現役の時から勤めている管理人さんが、お茶を出してくれたり、ひろ〜い厨房に案内してくれたりと、大変お世話になりました。

         

        ここまでは、謂わば官側の接遇(これって業界用語ですか?)です。接待ではないですよ。

         

        夕食と宿泊は、市内のホテル・メリキュール(MERCURE YOKOSUKA)にお願いしました。一言でいいます。すばらしい!

        従業員の接客態度が、とにかくよかった。一人二人ではありません。私が見た人、接した人みんなですよ。

         

        ひとつだけ、具体的に紹介します。

        同窓生のひとりは高齢で、しかも胃をなくしていることもあり、少しお酒を飲むとマワリが早いために眠気をもよおします。朝早く出張地の北海道から駆け付けたこともあり、デザートが来る前に、椅子に座ったまま船を漕ぎ始めました。転げ落ちると危ないと思い、ホテルのスタッフに「レストランの中にソファーのような、少し休憩できる場所はありませんか」と訊いてみました。普通であれば、「厄介な客やな〜。部屋に戻って寝ればいいじゃん」で終わりでしょう。勿論、口に出しては言わないでしょうが、腹の中ではそう思うはずです。

        仕方ないかと思い暫く談笑していると、スタッフの責任者が私に近寄ってきて「向こうにソファーを用意しました」と言うではありませんか。ええ〜。びっくりしたわホンマに。レストランの階にソファーはありません。他の階からエレベーターか階段を使って、何人かでソファーを運んでくれたに違いありません。ほんと〜に教育が行き届いている。海外の4つ星、5つ星ホテルにも泊まった経験がありますが、 こんなホテルは見たことありません。

        後日、総支配人にお礼を言いますと、「常にお客様目線で!」とおっしゃいました。

         

        少し大げさに言えば、日本人の高い民度と「こころ」に触れた、とても充実した一日でした。お世話になった皆さん「ありがとうございました〜」。です。

         

         

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        一本のスプーン

        2016.10.27 Thursday

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          以前、母のことを書きました。ここはやはり、相方のことも書かなければ片手落ちになりましょう。

           

          二年半ほど前に父が突然他界し、「あれも聴いておけばよかった」「これも確認しておくべきだった」と切歯扼腕しました。生前から、いずれそういう時が来ると頭ではわかっているのですが、あまり根掘り葉掘り聞くと、「こいつ俺がそろそろ・・・と思ってやがるな」と邪推されるのではないか、などとこちらが邪推して聞けなかったこともあります。

           

          亡父は大正11年の生まれで、高等小学校を終えると満蒙開拓青少年義勇軍に身を投じて渡満。終戦直前に現地応召して陸軍二等兵となり、昭和20年の8月15日を迎えました。満洲で武装解除された後、ハバロフスク経由シベリア抑留です。抑留といえば聞こえはいいですが、要は奴隷に近いタダ働きです。極寒の地でなんとか命を繋ぎ、故国(舞鶴)の土を踏んだのは昭和23年の5月末です。

           

          そこまでは、おぼろげながら分かっていたのですが、満洲とシベリアでの具体的な足取りは全く知りませんでした。生前、特にシベリアのことはほとんど語りませんでしたから。思い出したくもない、辛いことばかりだったのでしょう。ただ一点、共産党が如何にひどい組織であるかは、ときどき口にしました。

          1年ほど前、縁あって手にした『115通の恋文』(稲垣麻由美著)で、陸軍軍人の軍歴証明が県に保管されていることを知りました。数ヶ月とはいえ陸軍に身を置いていたわけですから、父の軍歴証明もあるかもしれない。微かな期待を持って、県の担当部局に問合わせてみました。担当者は大層丁寧に、「残念ながらお父様の軍歴証明はないのですが、自筆の復員調書と身上申告書があります。申請していただければ、コピーをお渡しすることができます」と教えてくれました。

          申請には、本人(父)の戸籍や除籍証明、私と本人の関係を証明できる資料(戸籍)、私の身分証明書と住民票を揃えるなど、いろいろ面倒ではありましたが、後日送られてきた二枚の資料は、私にとってまさにお宝と言えるものでした。

          そこには、所属した部隊の名称や連隊長の階級・氏名、終戦(8月15日)時の状況、その後シベリアの収容所を転々としたこと、そして復員に至るまでのことが年月日を付して、箇条書きで記されてありました。県の担当者が言ったとおり、明らかに本人の自筆です。

          子供の頃、何回か「シベリアから持って帰ることができたのは、飯盒(はんごう)一つとスプーン1本だけ」と聞かされておりましたが、なぐり書きしたメモ帳を雑嚢(ざつのう)の底にでも隠して持ち帰ったのでしょうか。そうでもしなければ、本人にとって如何にインパクトがあったとはいえ、3年間の出来事を記憶だけで正確に記すのは無理でしょう。「○○年○月○○日 体弱者につき第○○収容所に転属」の記載が2箇所あります。よくぞ生きて帰れたもんです。

           

          この時(資料の入手)から、私の国立国会図書館通いが始まりました。地図の上に、父の足取りをプロットしていこうと考えたのです。いや〜パズルのように難解でした。まずは、父の記録が必ずしも正確ではなかったこと。それは致し方ないと思います。中国語やロシア語を勉強したわけではないので、ただ耳に聞こえた音(地名)を書き付けただけです。加えて、戦後、中国やロシアの地名の多くが変わっており、現代地図の索引欄をみても出てこないのです。中国には同じ漢字(地名)の地域もままあります。従って、父が書き残した地名を地図の上で探し出すのに往生しました。満洲については、帝國陸軍参謀本部が作成した、「満洲帝國」の地図が大いに役に立ちました。ロシア語に堪能な友人にも手伝ってもらいました。数ヵ月間悪戦苦闘の末、何とか点を線でつなぐことができました。

          それが「なんぼのもんじゃ」ではあります。親父殿は「つまらんことせんで仕事せい」と笑っとるでしょう。しかし、私にはある種の満足感が残りました。

           

          先日、実家の整理をしていて、食器棚の奥にmade in Siberiaのスプーンを発見しました。質の悪いアルミでできた、明らかに素人の作品とわかる代物です。 しかし、このスプーンが父の命をつないでくれたと思うと、とても処分する気にはなれませんし、粗末には扱えません。実家は40年ほど前に新築しましたが、家移りの際、母もこれだけは捨て難かったようです。物置小屋になっている旧い家(私の生家)から、何とか飯盒も見つけるつもりです。

           

          いつの日か、このスプーンを持って、満洲を訪ねたいと思っています。シベリアには、とても行く気になれません。

           

           

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          慰霊・追悼

          2016.10.22 Saturday

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            過日、横須賀地方総監が執行する「殉職隊員の追悼式」に参列しました。

             

                  献花要領   

             

            私のブログに「過日」が多いのは、公開に先立って下書きをし、何日か寝かせるからです。だからどうしても、過去のことになってしまいます。本当は タイムリーに発信したいのですが、私の場合、そうすると決まって文章が雑になり、誤字脱字は当たり前のようにあるし、内容も拙劣になってしまいます。

            ですので、まずは下書きをして、それを翌日・翌々日、或いは一週間か10日ほど寝かせて、何度も読み直しては手直しをするのです。時間切れで書きなぐったものを発信したこともありますが、読み返してみると顔が赤くなるほどひどい状態です。拙文の拙文ですから、恥の上塗りのようなものです。一発でピシッと決めることができない、情けない性格(実力)です。

             

            イントロが長くなりました。

             

            そんなわけで、過日(10月19日)のことです。

             

            自衛隊では年に一回、地区ごとに殉職隊員の追悼式を行います。防衛省のある市ケ谷でも、やはり年に一回、中央の追悼式が行われます。その際には、最高指揮官である総理大臣が出席されます。

            私も現役の時には、横須賀の追悼式を執り行いました。殉職隊員の奥さんやご兄弟(姉妹)は、歳とともに体力が落ちてきます。今年の追悼式でも、杖を使って小さな歩を進めるお姿がありました。いつもお会いするご遺族がお見えにならないので、「今年は○○さんお見えになりませんね」と訊きますと、お亡くなりになったとのこと。一方で、昨年は歩行もままならなかった方が、元気に歩いておられる様子を見るとホッとしました。

             

            ご遺族は一様に、「ある日突然の連絡(訃報)があり、訳も分からず時が過ぎて行きました」。「志(こころざし)半ばにして逝った夫・父・兄弟の分も、皆さんは頑張って欲しい」とおっしゃいます。今日の防衛省・自衛隊が、殉職隊員の尊い犠牲の上にあることは論を待ちません。現役の諸官も私どもOBも、少なくとも年に一回、追悼式の日にはそのことに思いをいたします。

            来年以降も、部隊に迷惑がかからない体力のある限り、追悼式には参加するつもりです。

             

            私の郷里は大変な山里であるためか、古い習慣や宗教行事が現在も色濃く残っています。若い頃は、それが嫌でいやでたまりませんでした。正直言って、高校卒業と同時に田舎を出た理由のひとつでもあります。

            通常、法要は3年、5年、7年・・・と営みますが、私の実家では、この狭間の年の祥月命日にも、毎年お寺さんをお迎えして、法要のミニチュア版を行い故人を祀ります。私が子供の頃には、かなり多くの親戚筋が集まっていましたが、今日ではごく身近な者だけの参加になっているようです。

            一方で、近年、全国的に我が国の宗教行事はどんどん簡素化が進み、葬儀の後に永代供養をすることもあると聞きます。先人を祀るやり方には、人それぞれの考えであり、それはそれでいいと思います。私は、自分のできる範囲で、両親がやってきた祥月命日を踏襲するつもりです。

            そんな形だけの法要がなんになる。大切なのは、故人や先祖を思う「こころ」だという反論・批判はありましょう。しかし私は、自衛隊の追悼式と同じように、年に一回は亡くなられた人を祀るのがいいと思っています。勿論、息子や孫に自分の考えを押し付けようとは思いません。時代とともに、人の考え方は変わっていい。そして、変えるべきこともあるし、変えてはいけないこともある。

             

            人間の営みにおいて、年に一回は先祖を思い、そして現在の自分というものを見つめる。そんな作業があっていいと思う。

            訳のわからない、偉そうな事を言う自分ではありますが、若い頃はイケイケで、そんなことには全く思いが至りませんでした。

             

            歳を重ねたということでしょうか。

             

             

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