追悼 野村さん

2020.03.12 Thursday

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    防衛省・自衛隊は年に一度「高級幹部会同」と称する会議を行います。全国から陸海空の将星と局長級の官僚が市ヶ谷台に参集して頭揃えをする、重要な位置づけの会議です。勿論、最高指揮官である総理大臣が参加して訓示を垂れます。会議の翌日には、統合幕僚長以下制服組が参内して拝謁の栄に浴します。

     

    平成22年(2010)1月13日の会同では、ゲスト・スピーカーとして野球の野村監督を迎えました。防衛省大講堂の壇上に、ひょこひょこっと現れた野村さんの第一声(ぼやき)は「場違いなところに来た」でした。野村さんは先ずこの言葉で我々聴衆の心を掴んだのですが、この第一声はあながち彼のウケを狙った作戦だけではなかったと思います。百人近い将官を前にすると、初めての人は普通にちょっと引きます。と言いつつ野村さんは、その後いつもの通り淡々と話をされました。テレビで観るとおりの話しぶりでした。10年前のことなので、野村さんが何を語られたのか詳細については記憶しておりませんが、彼の口癖である「長嶋は向日葵、自分は月見草」はよく覚えております。野村さんはいろんな場でしばしばこの表現をしておられますが、この言葉は彼の野球への情熱、そして活力の源泉だったのではないでしょうか。

     

    導入部分で野村さんが述べた、次の言葉は強く頭に残りました。

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    監督になって成果が出ると、ちょくちょく講演の依頼が来るようになった。自分は話下手で人前で話をするのは苦手なので、旧知の草柳大蔵さんに「講演を受けていいものかどうか」と訊いてみた。すると草柳さんに次のように言われた「貴方は功成り名を挙げたのだから、どんどんお受けなさい。但し、次の二つのことを忘れてはいけません。貴方は野球のことだけを話しなさい。野村の話を聞きに何百人来ようと、みんな野球の話を聴くために来ているのです。現下の国際情勢がどうだとか、日本経済の動向についてなど、野村から聴こうなど誰も思ってない。だから野球のことだけ話しなさい。もう一点、決して一夜漬けの知識で話をしてはいけませんぞ」。

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    野村さんも野村さん、草柳さんも草柳さんですね。とても含蓄のある言葉です。

     

    話の中身は殆ど忘れましたが、引き込まれるように聴いて、あっという間に講演の時間が過ぎました。この日ノートに書きつけた箇条書きのメモには、「野村語録」として次のように記してあります。

    ・結果がすべて

    ・人間的成長なくして技術的進歩なし

    ・努力に即効性なし(但し正しい努力か? 自分に合った努力か?)

    ・失敗と書いて成長と読む

    各項目にはそれぞれ、ご自身の野球の経験から具体的な例を挙げられたはずですが、残念ながら記録にありません。

     

    何時だったかテレビで観たのですが、人前で話す(講演)のが不安で嫌がる野村さんの背中を押したのは奥さん(沙知代さん)。上記の草柳さんも奥さんを通じて知り合った方だった(ようです)。野村夫人は歯に衣着せぬ物言いですから、一時マスコミを賑わせ随分パッシングもありましたが、そんな時にも野村さんが奥さんのことを悪く言うのは聞いたことがない。夫人が先に逝かれ、野村さんが「感謝しかない」と言っておられたのが強く印象に残っています。

     

    私が言うのも僭越ですが、歴史に残る第一級の野球人だったと思います。合掌

     

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    危機管理に関する一視点

    2020.02.27 Thursday

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      こう言っちゃお終いですが、危機管理は結果がすべて! どんな理由があろうとも結果が悪ければ、或いは所望の成果が得られなければ、危機を管理(manage and/or control)したことにはなりません。

       

      海上自衛隊に入って駆け出しの頃、帝國海軍の先輩(当時呉の総監をしておられました)からこんな話を聴いたことがあります。

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      第十雄洋丸事件について高松宮殿下に状況を縷々ご説明申し上げたところ、殿下から一言「総監よ、海軍は言い訳しないことを美徳としてきた」。

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      注1 第十雄洋丸事件:昭和49年(1974)11月、東京湾において同船(LPGタンカー)が外国籍の貨物船と衝突して可燃物に引火・爆発し漂流した海難事故。海上自衛隊に同船を処分(沈没させる)の命令が下り(災害派遣要請)、自衛艦隊(艦艇、潜水艦、航空機)がこの任に当たったが任務達成に時間を要した。当時小生は数か月後に卒業を控えた防衛大学校の四年生で、横須賀の丘の上(小原台)から複雑な思いで様子を見ておりました。

      注2 高松宮宜仁親王は海軍兵学校のご卒業(52期)、海軍大佐で終戦を迎えられました。ご存命の頃には、遠洋練習航海に出発する日本国練習艦隊を毎年宮邸(高輪)のガーデン・パーティに招待して下さいました。小生も昭和51年、艦隊の一員(実習幹部)として栄に浴しました。好天の日に広い芝生の庭で殿下の訓示を拝聴したこと、パーティでは喜久子妃殿下が我々若年士官に「召し上がれ」とおっしゃられたことを、昨日のことのように思い出します。

       

      我が国は先の大戦で、米国を中心とする連合軍に敗れました。細かい敗因は多々あり、いろいろな見方や側面がありますが、総じて言えば:々餡叛鑪の欠落 ∨海靴ぞ霾麈塾蓮兵集、分析、及び戦略・戦術への投映):であったと思います。,鉢△鷲垈鎚であり何れを欠いてもいけないが、順番としては先ず△あって,くる。即ち、情報に基づかない戦略や作戦はあり得ない。従って情報(戦)の世界では、平時と有事の区別はありません。流動する内外の情勢下において、平時には平時の有事には有事の戦いがあります。

      正しい情報を持たずに行動して成果を得ることが偶にありますが、それは単に幸運であったと認識すべきであり、成果のみを持ってヨシとしてはいけない。勝ちは勝ちであり価値なのですが、なぜ勝つことができた(成果を得た)のかを詳細に分析する必要があります。さすれば多くの場合、薄氷を踏むような勝ち方をしていることに気がつく(はずです)。そして、次への教訓を導き出すことができる。スポーツなどでも常勝〇〇と言われる組織や個人は、そういう作業を繰り返しやっている。正確な情報がないままに兵を動かすのは「無謀」です。

       

      東日本大震災における経験から:

      日米共同「トモダチ作戦」において、米海軍艦艇は福島第一原発から100マイル(約185キロメートル)離隔して行動しました。これを、彼らが単に大事を取っただけと見てはいけない。然るべき情報と、厳格な regulation(規則など)に基づいて行動したということです。一方で、「真水作戦(原子炉冷却水の運搬・搬入)」を遂行した我が部隊は、原発建屋の50メートル以内に入りました。先の記述から言えば、確たる情報を持つことなく部隊を動かした私は無謀の誹りを免れない。言い訳をするつもりはありませんが、付与された任務を遂行するためには、時間的にも物理的にもそうするしかなかった。但し、原発港に突入する部隊の指揮官には「(放射線量の)累積線量が許容値を超えた場合には引き返せ」と指示しておりました。実際には線量が許容値を超えることはなく、任務を遂行できたことは誠に幸運でありました。

       

      我が国を含め世界各国は、より正確で詳細かつ先を見通すことができる、即ち国益に資する情報の収集・分析にしのぎを削っています。かかる観点から、今回の新型コロナ・ウイルス問題を観る時、腑に落ちないことが一点あります。現在の私は正確な情報を知り得る立場にはありませんので、ピント外れの疑問かもしれません。

      アメリカはこのウイルスに対して、早い段階で極めて厳格な水際作戦を取りました。震源地である中国自身も早々に、一部の市や省全体の封鎖・隔離と言う強行策を打ち出しました。世界第一級の情報大国と当事国、この二国の(他にも何か国かありますが)早いしかも厳しい対応は、その権限を有する為政者の性格や国の制度だけに依るものではない。彼らは問題が顕在化する前から、然るべき理由、即ち為政者に決心させるだけの情報を持っていたと推察できます。加えて、本件は国民の安全、国家の安全保障に関わる問題であり、当然のことながら米軍は当該情報を共有している(と確信します)。

      翻って、日本の指揮系統(Chain of Command)と意思決定は如何になされているのか? 

       

      以下は、有事を念頭に置いた私見です。

      1.危機対応の衝に当たる者は常に、ゴールはどこか、何のために誰のためにこの任務を遂行するのかをカッチリ押さえておくこと。ここがブレると、行くべき方向を見失う恐れがある。誰にだって功名心はあります、人間だもの。そこ(功名+そのご褒美)を目的にして決心行動し、結果として所望の成果を得るケースはままあります。しかしそれは諸刃の剣であり、重要な局面においては判断を誤る恐れがある。また、いよいよの時に踏ん張れないこともある。 

      2.自らを顧みず、敢えてもう一点:人間とは面白いもので、平時(平常)においていい仕事をする人が、有事(危機)においても十分に力量を発揮して機能するかと言えば、必ずしもそうではない。逆の場合もある。失礼を承知の上で、また異論や批判があることを覚悟の上で拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』では、「山本(五十六)さんの指揮官としての唯一の欠点は、人事に非情でなかったこと」と描いた。人は育てなければいけないが、それは平時のこと。

      3.しつこいですが更にもう一点:有事における広報(戦時広報)=情報公開は作戦の一環です。かつて我が国は、大本営発表という大失敗を経験しております。作戦遂行上、どうしても公開できない(例えば敵を利するような)情報はあります。しかし、今日の作戦(軍事作戦に限りません)においては、都合がいいように世論を誘導すると言う意味ではなく、一般大衆や諸外国の理解を得る、そして国民の適正な判断に資する情報の開示は、衝に当たる者の納税者に対する責任であり義務だと思う。一瞬にして、世界中に情報が拡散する今日においては尚更のこと。

       

      兵力の小出しは作戦を誤る。降って湧いた今回の国難を、単なる「危機管理」と見るか「国家安全保障」と位置付けるか?

       

      事態が落ち着く頃には、多くの真相が徐々に明らかになってくるでしょう。今は、最も信頼できる情報を持っている(はずの)司令塔と関係機関、そして日本(人)の叡智に期待するしかない。花粉症 / 普通の風邪 / インフルエンザ / そして新型コロナを識別するのさえ難しい我々一般国民は、ありきたりの自己防衛しかできません。これ以上事態が拡大・悪化しないことを祈るばかりです。


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      下世話な話

      2020.02.13 Thursday

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        今日は・今日も下世話な話です。ではありますが、私にとりましては実に深刻な問題です。同輩のなかには私と同じような悩みを持つ人がおられるのではないか、と思い勇気を振り絞って描き進めます。

         

        現役生活の終盤から、どうも小便の切れが悪くなりました。ちょろちょろ - ちょろちょろ。しかしそれは、私の体がより深刻な事態へと向かう序章でした(やや大袈裟ですが)。そう、今回のテーマは頻尿です。退役すると間を置かず、責任感の欠如でしょうか、平均して夜中に二度ほど目が覚めるようになりました。決まったように、深夜2時頃と明け方の5時頃です。因みに小心者の私は、用を足した後の成果物を流すのは夜が明けてからです。ゴゴ〜とうるさい音で、この家の住人の安眠を阻害してはいけない。武人の気配りは半端ではありません(笑)

        年に一回の健康診断で下腹部に音波を当てると、いつも「石灰化です」と言われました。お袋さん(膀胱)の弾力が落ちて、キャパが小さくなっている、ってことでしょうか。これは経年劣化即ち歳寄りの証拠であり、なかなか有効な対策や治療はないらしい。こんな日常が5年以上も続いておりました。どうしょうもないのかな・・・。

         

        その時は突然にやってきました。テレビは殆ど観ないのですが、たまたまオンにした時に頻尿のことをやっておりました。自覚症状がある私は、勿論釘付けになります。出演していたお医者さん曰く「夜中に一回でも起きると、それは頻尿です」。ええ〜そうなんや。今までの知識では、二回までは頻尿の範疇に入らない(ので気にすることはない)と聞いていたのですが。でも3時間ごとに目が覚めるので熟睡はできないし、この季節、冷え込んだ夜などは布団から出るのに勇気が要ります。歳が寄るってのは厄介なもんだと半ば諦めの境地で、若い頃の爆睡が夢のように思える日々を過ごしておりました。

        一日の排泄(小)回数は5〜7回が標準だそうです。中を取って6回で計算すると、概ね4時間ごとに用を足すことになります。「頻尿を改善するには、もよおしてきたら先ずは2〜3分我慢する。そして、我慢の時間を少しずつ長くしていく。そうすることによって、次第に膀胱周辺の筋肉がついてくる」のだそうな。石灰化した袋が、弾力を取り戻して容量が増える、みたいな話です。他人に感化されやすいオッチャンは早速その日から実践です。その時々の体調や環境条件(主として気温)、水分の摂取量などによって異なってくると思うが、とくかくはやってみる。それほどに夜中の用足しは面倒だし、情けなくもあったからです。

        加えて私が発明・発見(?)した試みは、’嘶するときには極力勢いよく出すようにする。息を吸ってお腹を膨らませてると効果があります。排泄中に何度か(5〜10回)肛門を"きゅっきゅっ"と閉める。そうするとポンプみたいになって、勢いが増します。下らん話ですが、これをやってます(笑)。

        その結果、たった一日(テレビを観てからだから実質半日)の実践で、驚くことなかれその夜は一回も目が覚めなかった。その効果にびっくりしました。夜中に起きない分熟睡しているから、目覚めもスッキリです。二晩は効果があった。ですが、なぜか分からんのですが、三日目からは一回は目が覚めてます。なんでやろ? それでも、性懲りもなく試みを続けております。継続はちからや。

        因みに、「ケツの穴閉めろ!」(暴言で申し訳ありせん)は一見乱暴でパワハラのように聞こえますが、とても分かり易くて理に叶っていると思います。今のユルユルな日本社会では、受け入れられない言葉でしょう。

         

        「調査・研究と情報収集」が習い性になっている Old Sailor は、データを取ることにしました。自分の試みに確信を持つためには、更なる調査とデータが必要だと考えたのです。このデータを取る、記録するという行為はとても重要ですよ。自らの決心や行動を継続又は維持する一助になります。私は週に二回、体重などを記録しております。今回は毎日、用を足した時刻をその都度記録することにしました。勿論、外に出る時にも小さなメモ帳を持参します。下らないことでも勉強と思えば、それが自分の健康に資すると思えば楽しい。未だやってないですが、一回の量も計測するつもりです。ホンマに暇やな〜、他にやることないんかい(笑)

        人間の体ってのはよくできてますね。先の概ね4時間ごとを念頭に、少し排泄を我慢して(無理にではありません)他の用事をしていると、知らず知らずのうちに排尿感が何処かに飛んで行ってしまいます。そうすると、1時間や2時間があっという間に過ぎます。確かに仕事に集中している時などは、全然もよおして来ないですよね。それが仕事や遊びなどを終えて或いは中断すると、思い出したようにもよおしてきます。更にケースバイケースではあるのですが、何処どこへ行くから事前にトイレに行っとこ、みたいなことは基本的にやらないことにしました。日本中大概の所にはトイレがありますから。いつか痛い目に合うかもしれないのですが・・・。郷里では全くその心配はありません。な〜んでか? 推理して下さい(笑)

        その結果、一日の排尿回数が概ね標準値に近づき、溜めて出すものですから出ていく時の勢いも多少は違います。バイバイキ〜ン(菌)みたいな。その副産物としてキレが良くなりました。些末な話で申し訳ありませんが、今までは(ちょっと説明が難しいのですが)排泄が大体終わる頃、下から手で付け根の辺りを押し上げて最後のお手伝いをしてました。そうしないと残尿感、というよりも実際に尿道にいくらか残ってましたから。ああヤダヤダ、歳は取りたくない。それが今では、手伝ってやってもオツユが残ってないんだな、これが。だから気分は爽快。人生いろいろ。

         

        歳が寄るとトイレが近くなると言います。前述の通りいくらかは実際に体がそうなるのでしょうが、(トイレに行くのが)癖になるってことも多分にあるんじゃないでしょうか。私の場合は間違いなくそうでした。だから少し我慢してやると、体は直ぐに適応してくれます。かと言って無理は禁物ですよ。膀胱炎などになったら本末転倒ですから。因みに、私は何処へ行くときにも鞄にペットボトル(飲料水)を入れてます。執務中(と言うほどではないのですが)は机の上に、寝る時には枕元に置いてます。そして喉に渇きをおぼえたら、直ぐにゴクリとやります。水分補給は、健康体を維持の必須要件と思ってます。

        ところで近年、便座に座って小用を足す男性・男子が多いと思います。現在の日本の家屋は、まず男性専用の便器を備えておりませんし、家庭以外のトイレでも便座式で兼ねているところが多い。家が狭いから仕方ないとは思うのですが、これはどうなんでしょう? この座って小用を足すことが、頻尿に加担しているのではないかと思うのですが・・・。その理由として、座ると先ずゆっくりできます。立って用を足すこと(タチしょん)に比べると、膀胱周辺の筋肉をあまり使わなくて済む。また座って用を足している時に、上述の肛門をシメルのは難しい。と言うことで、最近は便座式を利用する場合にも、蓋を持ち上げて立って用を足すことにしております。その場合には、標的(許容圏)を外さないよう細心の注意を要します。この緊張感がまたいい(笑)。もしトイレを汚した場合にはお母さんに見つからないよう、自己責任でそっと処理して下さいませ。因みに昔は、どんなに貧しい家でも男性用のアサガオが設置されていたように思います。

        スミマセン。2月も下らないと言うか、下る話でスタートしました。

         

        以上ですが今日描いたことは、何ら医学的な根拠や裏付けはありません。ひょっとして部分的には正しいところがあるかもしれませんが、知識があってやっていることではありません。いつもの通り直感です。人の体はそれぞれ微妙に違うと思いますので、頻尿の自覚症状がある方は自分なりの改善方法を見出されますようお願いします。念のため

         

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        印度洋の波高し

        2020.01.30 Thursday

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          護衛艦「たかなみ」は3.11(東日本大震災)の救援活動において、石巻海岸近くにあった幼稚園園舎の屋根の上で孤立していた園児と職員を救出した艦(ふね)です。同救援活動の象徴的な艦であり、2泊3日の護衛艦生活を経験された幼稚園の先生や子供たちのみならず、私にとりましても思い入れの深い艦です。その「たかなみ」が近々の内に中東に派遣されるとのこと、任務を完遂して無事の帰還を祈るばかりです。

          艦にはそれぞれの艦風というものがあります。生まれて(就役)から退役するまでの間には、年年歳歳、艦長を始め多くの乗員が入れ代わり乗り組みますが、不思議なことにこの艦風は引き継がれることが多く、これが徐々にその艦の伝統を形成していきます。此度中東に赴く隊員で3.11の時に乗っていた人はおそらく一人もいないと思いますが、あの時の「たかなみ」と同じように今後直面するであろう多くの困難に果敢に立ち向かい、国民の期待に応えてくれるものと確信しております。

           

          さて表題はややおどろおどろしいのですが、私も中東・印度洋には忘れ難い思い出があります。

          テロ対策特別措置法(テロ特)に基づいて、私が指揮する部隊(第一護衛隊群の一部)が印度洋に向けて母港である横須賀を出立(出国)したのは、平成14年(2002)の11月25日でした。出港当日は雨で、最後の舫を放って艦が動き出した時、岸壁で手を振る人々に発した汽笛「超々一声」は心なしか物悲しく、作詞家山口洋子さんの言葉を借りれば ”空でちぎれる あの汽笛さえ 泣いて別れる・・・” (北の旅人)でした。なぜそれほどに私が感傷的になったかと言えば、いつに当時の中東と印度洋の情勢です。因みに、私が計画し或いは関わる行事の日は決まったように雨が降り、周りの人たちからは「雨男」と有り難くないニックネームを頂いておりました。

           

          我々に付与された任務は、米海軍を始めとするテロ対策に従事する有志連合の艦艇に対する補給支援、正面で実動任務に就いている彼らに油(燃料)を(タダで)提供すること。それが長期的に見て、或いは国家戦略上良かったのか悪かったのかは別にして、金満国家であればこそ取り得る政策でしょう。

          戦闘員(軍人)は、相手(敵や対象国)の心理を読むのが習い性になっています。テロリストにとって有志連合は敵です。明らかに。すれば敵の仲間、即ち有志連合の後方支援に当たっている我々は、彼らにとって敵と判断されるのが正常な見方です。逆に、敵の敵は味方という図式も成り立ちます。もう一点は、米英軍等によるイラク攻撃がカウント・ダウンの情勢下にあったこと。実際に攻撃が始まったら、自分たちはどのように振る舞い行動すればよいのか? 派遣部隊の指揮官である私には、残念ながらそこのところの確信がなかった。出国前に上級指揮官である司令官からは、「できる限りの情報は提供するが、危急の時には統率の妙を発揮してくれ」と言われました。重いですよ・・・この言葉。

          一方で国内においては、米海軍とのインター・オペラビリティ(相互運用性)が極めて高いイージス艦を印度洋に派遣していいのか、という議論が真面目な顔をしてなされており、私が乗る予定であった隷下のイージス艦「きりしま」は出国までに議論が収束しなかったため横須賀で待機となった。”情勢が不穏だから、より能力の高い艦に乗って行け” なら分かりますが、”戦闘に巻き込まれる恐れがあるので、そして戦闘に巻き込まれないためには低性能の艦で宜しい” は、現場の人間には理解不能です。勿論、ことはそんな単純な話ではなくて、議論の根っこには「集団的安全保障」と憲法の問題があるのですが・・・。

          ただ、これだけは言えます。相手が此方の論理で行動することは絶対にありません。ややこしい日本の国内事情を利用することはあっても、我々に忖度して行動するなどあり得ません。このギャップ、このしわ寄せと歪はどこに行くのか? 誰が帳尻を合わせるのか?

           

          今回の中東派遣と20年前の印度洋派遣が、私には重なって映ります。

          国防の最前線で生きてきた私にはこのような言い方しかできないのですが、極々常識的に考えて、国益を護るために実力部隊(自衛隊)を使わなくて何に使うのか? とりわけ東日本大震災以降、日常茶飯事のように自衛隊に災害派遣要請がなされております。勿論、災害派遣も我々の主要任務のひとつであり、狭義では「国益を護る」の範疇に入ると思う。しかし今回の中東派遣で護る対象は、日本にとって我々国民にとって死活的に重要な物資=原油の安全かつ確実な搬送です。まさに、国民の日常生活と国益に直結する。この役割を果たすことができるのは、国内にある組織では海上自衛隊しかありません。アメリカの海洋戦略家マハンは、百年以上も前に言っております。「海軍は海洋を利用する通商保護のために存在する」

          昨年6月、日本のタンカーがホルムズ海峡で被弾しました。世界有数の経済大国、その経済を支える原油の殆どがホルムズ海峡を経由して日本に運ばれている。それよりも何よりも、独立国家として如何なる結論を、何時(いつ)導くのか、憂慮しつつ動向を注視しておりました。この「いつ」、即ち結論が得られる時機、そして行動を開始する時機は、判決(結論)と同じようにとても重要な要素です。今次派遣の根拠と名目(旗)は、「情報収集(調査・研究)」とのこと。情報収集とは、誠に使い勝手のいい言葉であり任務です。しかし、此方がいくら情報収集の旗を立てて行動していても、当然のことながら相手(テロ集団)には相手の論理があります。従って現場に赴く部隊は、さまざまな不測の事態を想定しなければならない。相手の論理、即ち相手の行動に的確に応じ得る準備と能力が求められます。準備には、法的な準備、装備を含む物的な準備、対応能力の準備、そして任務に従事する隊員の心の準備などなど。送り出す側、即ち家族、上級司令部、政府に求められる準備も多々あります。

           

          車は普通に、今まで通りの出費で乗りたい。だけど戦争に巻き込まれるのは嫌だ。寒いので灯油は使います。だけど日本(向け)のタンカーはよその国で護ってちょ。諸々もろもろ。勿論、国益は追求しなければいけませんが、そんな我が儘な話は世間(世界)じゃ通用しない。人間でも組織でも国でも、自分勝手なことばかり言ったりやってたりしたら、いずれ信用を無くして孤立しますよ。そんな国、近くにありますよ。

           

          あれから20年の歳月を経て、何か進展したのかな? 老兵(Old Sailor)は、この国が一日も早く普通の国になることを願わずにはおられません。日本の船舶がホルムズ海峡で銃撃(?)されたとき、ある外国人がSNSで「船体に大きく『憲法9条』と表示してなかったのか?」と笑ってましたな。

          印度洋に展開した際、現地の日本人会会長が言った言葉が今も耳に残っています。「海上自衛隊が何をしてくれなくてもいいんです。我々は旭日旗を掲げた艦がそこに居てくれるだけで安心できるのです」。勿論、この言葉を額面通りに受け取ってはいけない。

           

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          人間は足で生きる葦である

          2020.01.16 Thursday

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            再度、健康関連の私見です。歳が寄ると、どうしてもそっちに思考が行きます(笑) 

             

            昨年のことですが、知り合いの社長と懇談していた時に含蓄のある話を伺いました。

            社長曰く「(人間の)老いは足から来ると言うが、その理由(わけ)は人間が野生だった(動物)時代に遡る」。即ち、動物は腹が減ったら餌を摂りに行き、何がしかの餌にありつければ食する。彼らは食物を保存する術を知らないから、狩りや採取の一回一回が生きるか死ぬかの真剣勝負になる。餌を確保することができなければ、空腹を抱えるしかない。そして当然のことながら、生き物だから経年によって徐々に老化し体力が落ちてくる。即ち、足を使った餌狩りが不可能になれば、死んでいかざるを得ないのです。この摂理は草食・肉食に関わらず、餌をゲットするためには強靭な足を持っていることが必須要件であることを示しています。周りの動物をざっと見ても、みな素晴らしい足を持っています。家で飼っている猫が、ひょいひょいと身長の何倍もある高い棚に飛び上がるのを見て感心しきりです。

            人間は働かざる者食うべからずと言われるが、動物は食べ物を得ることができなければ他に食われるか枯れていくのみです。以上のことから、老化=足の劣化そして死に至るということになります。人間は他の動物に比べて格段に優秀な頭脳を持ち進化し続けていますが、どうやら野生時代の足のDNAは持ち続けているらしい。今後何千年、何万年と人類が生き延びたとしても、おそらくこの構図(関係性)は変わらないような気がします。

             

            翻って上記を踏まえると、世の中が便利になればなるほど足を使う機会が減少しているのは、人間にとってとても危険なことではないのか。移動手段の変遷を考えてみると、A地点からB地点に移動するためには先ずは足を使った。と言うよりも、それしかなかった。これが野生の動物時代。それが基本だった。そして次に、馬や牛やラクダなどに乗って移動することを考え付いた。即ち、人間よりも体力・脚力に優れる動物の使役です。これを発想した人、動物を意のままに操る術(すべ)を考えついた人はすごい。車の原点ですよ。そして、人の力に負うものではあるが人力車や自転車が発明された。ほどなくして、原動機の付いた自転車(日本語のバイク)や自動車が登場します。さて、遠い将来の移動手段はどうなるのだろう。どう間違っても、人間が電波や光に乗ってケーブルの中をシュッと移動することはないだろうから、これ即ち足の役割は、多少或いは大きく減少しても基本的には変わらないと言うことになります。

            因みに、フィットネス・クラブなどで自転車(らしきもの)に乗ってせっせと漕いでいる人を見ますが、なんでお金を出して前に進まない自転車に乗るんだろう? そんな時間があるのであれば一駅前に降りて歩けば、或いはちょっとした用事や買い物などには歩いて行けば一石二鳥(経済と健康)なのに・・・と思ったりします。何時まで経っても貧乏性ですな。私の場合、概ね3キロメートル以内であれば歩いて用を足すことにしています。時間はかかりますが、年金生活者の特権です(笑)  

             

            現役時代のことです。印度洋に展開している時、指揮官には訪問国の部隊指揮官や駐箚大使表敬など陸上での仕事もままありますので、現地のエージェントを通じて車と運転手を借り上げました。このドライバー君がまぁ飛ばすのなんのって。後部座席に乗っていて、何度も足を踏み込んだものです。しかも、携帯電話で大声で話しながらの片手運転です。我慢強い私も遂に堪忍袋の緒が切れて、「もう少しゆっくり走れ。運転中は絶対に携帯電話をさわるな。この二つが守れないのであれば、もう貴様の会社は使わない」と脅したほどです。先方は「分かりました、分かりました」と言うが、最後まで改善することはなかった(笑)

            今考えてみると、普通の国では ”自分の足➡牛馬など➡人力車➡自転車➡バイク➡自動車” というように、陸上の移動手段にも歴史がありますが、(当該国には誠に失礼ながら)ラクダ(牛馬)から一気にオートマの自動車に進化したような感じかな。時を同じくして携帯電話という優れものが突如出現し、この二つの文明の利器を同時に手にした。携帯電話で誰かと話しながら車(自動車)を運転するのが、楽しくて仕方がないという風情ではありました。お客さんを乗せているなんて感覚は全くなく、子供がゲームで遊んでいるのと同じように、とにかく楽しそうに見えた。外国人の私が多少脅したくらいで、彼らが最高の楽しみを手放すわけがないのです。

             

            さて、何千年何万年と続いてきた足のDNAを勘案した場合、文明の発達につれて足を使う機会が劇的に少なくなるということは、逆に人類の劣化を年齢的に徐々に早めることになるのではないか。若い時から足が劣化すると言うことは、健康年齢のエンドが早くなる、即ち早く老いるという仮説が成り立ちそうな気がする。一方で今後も医学の発達は進化を続け、人間の寿命が更に延びるのは間違いない。そうなると問題は、いつまで健康で人間らしい生活ができるか(健康寿命)ということになりますが、その一つの指標は二本の足でしっかり歩くことができる、だと思うのです。経年劣化で足が不自由になったら、仮にいくら頭が冴えていても、それは健康寿命の範疇には入らない。一般論として、足が弱ってくると敏捷性が低下するとともに、自然と頭の方も劣化してきますね。生物はそうなってるのでしょう。

            そう遠くない将来、多くの日本人が100歳まで生きると推察できますが、例えば健康寿命が85〜90歳であれば、ではその差10年・15年は何なのかということになります。そう考えると、文明の発達や科学の発展に疑問を感じてしまう。

            人間が神の意志に背かないためには、科学というものにどこかで線引きをする必要があるような気がする。例えて言えば、どれほどディジタルが発達しても、これだけはというアナログは残さなければいけない。それは単にノスタルジーということではなく、人間の叡智として残すべきではないかと思うのです。

             

            ということでアナログ老人は飽きもせず、家人には笑われながらも、毎日せっせとスクワットをやり徒歩を励行する。”PPK・PPK” って呟きながら!

             

             

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