美しく老いる

2018.11.08 Thursday

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    人生百年が射程内に入りつつある現在、如何に老いるかが大きなテーマになっているような気がします。若い時には勿論、そんなことを考えることも感じることもなかったのですが、身内の老いや死に直面し、かつ自分自身の老化というものを少しずつ実感すると、自然とそんなことを思うようになりました。遠い昔に憧れていた女優さんが御年相応に老けていく姿を観ると、あんなに綺麗だった人もやっぱりお婆さんになるんだ、と少し寂しくなったりします。自分は少年のままなのです(笑)。

     

    現役時代に多くの人(隊員)を観てきたせいか、人に会い人を観るのが大好きです。他人様の、特に目(瞳)を観るのはとても楽しい。嫌な性格です。それでなくても目つきが悪いと言われてますので、誤解されないよう自分なりに注意はしております。男性・女性を問わず、たまに涼しい目をした人生の大先輩にお会いすると、本当に嬉しくなります。つい最近も、80歳の素晴らしい先輩(男性)にお会いする機会がありました。若い頃には、大変な苦労をされた方らしい。現在は億のお金を動かす事業家であり、若い人と回るゴルフではドラコン賞を取る。とてもクールな目をしておられました。内面の美しさは、言葉で言わなくても目に出ます。こういう人には憧れます。

    昔は「人間40(歳)を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言われたものですが、言い得て妙ですね。ただ、今日ではかなり寿命が延びてますので、40のところは50〜60に置き換えても良いと思います。

     

    男だって女だって、誰だって若い頃は「それなり」に綺麗に見えますが、人生の折り返し点を過ぎ、晩年に至ってもなお美しく居られるというのは素晴らしい。この「美しい」は、beautiful or good looking のことではありません。何と言ったら良いのでしょうか、謂わば先に述べた「涼しい」でしょうか。英語で言えば、文字通り cool になるのかな。反対語は「暑苦しい」(笑)。占い師じゃないのですが、顔を観れば、もっとはっきり言えば瞳(目)を一瞥すれば、その人の生き方が大体わかります。どんな風に生きてきたのか、今をどのように生きているのか。どんなに美人・男前でも、どんなにお金持ちでも、どんなに社会的地位があっても、或いはその逆の場合であっても、その人の生き方や生き様は必ず顔と目に出ます。言葉は注意すれば取り繕うことができますが、目はどうしても無理だな。因みに私の場合は、とても腹黒くてせこい人間ですから、他人からはずるい人間と見られているはず。と自覚してます。こればっかりは、隠しようがありませんので。

    人の顔は年齢に応じて、正確を期すると、人生に応じて変わっていくと思う。同窓会なんかで感じるのですが、子供の頃や生徒の時にはノーマークだった(ちょっと表現が悪いね)、全く注目されなかった人が、数十年経つとビックリするほど輝いていたりします。そういう人を観ると、ああこの人は良い人生を送っている、幸せに生きてるんだなぁと思います。残念ながら逆の場合もあります。

     

    現役の人事教育部長の時には、仕事柄多くのご夫婦を観てきました。或る階級の人が退役する場合、海上幕僚長が昼食会を催してご夫妻を労います。人事教育部長は人事担当者として食事会のお相伴にあずかります。私は長い間この配置におりましたので、数多くの先輩ご夫妻をじっくりと観る機会が何回もありました。そして、驚くべき発見をしたのです。内緒で教えますね。英語では just between you and me (ここだけの話)。それは、殆どのカップルが兄妹(姉弟)のように見えるということです。嘘だと思うなら、ご年配の方はまず相方さんのお顔をまじまじと観て、そして次に鏡を見て下さいませ(笑)。納得できるはずです。

    何十年もの間、同じものを食べ、同じ空気を吸い、同じようなことをしていると、自然とそうなるのだと思います。当然、考え方や価値観も似てくる。なぜか?私の推察によれば、そうしないと、或いはそうならないと長年一緒には居れない、ってことだと思う。

     

    離婚の経験がおありの方には、大変失礼な言い方ですがご容赦下さい。別れる理由はカップルによって千差万別でしょうが、仮に双方ともにどれだけ努力したとしても、結局、同志にはなれんかった。ってことではないでしょうか。スミマセン、生意気なこと言って。他意はありません。浅学菲才の推論に過ぎません。

    時々耳にする、例えば「〇〇さんちの奥さんはとても良い方なんだけど、旦那さんはちょっとね〜」とか、或いはこの逆パターンのような言い方・見方があります。でもね、人生そんなこたぁ〜ありませんよ。私は人に冷たいですから・・・そんなことは信じません。勿論、長年連れ添った夫婦であっても、多かれ少なかれ見解の違いはあります。立ち居振る舞いだって違う。生身の人間ですから、当然のことです。また、少なからずどちらかが(或いは双方が)折れて、我慢して生きていることもある。でもね、根っこは「おんなじ」だよ。繰り返しますが、そうでなきゃ一緒には生活できませんし、ましてや同志にはなれん。昔と違って、「お疲れさまでした」のハードルは随分低くなってますから。夫婦の形は、いろいろあると思いますが・・・。

    違うかな〜?でも私はそう思う。

     

    なんかドンドン話が趣旨(表題)から逸れてきた(笑)。逸れついでに、もひとつ。

    初級幹部に任官して、遠洋練習航海で南米数ヶ国を訪問しました。若かりし昭和51年(1976)のことです。その際、ブラジルなどで移住した多くの日系人にお会いしました。当時は、一世の方も随分おられました。不思議なことに、その方たちの多くが現地人のように見えた。日本語で話すから分かるけど、黙ってたら現地の人と区別がつかない。その土地で長い間生活していると、そこに溶け込むのでしょうか。ただ日焼けしていると言うだけではなく、一種の同化ですね。そうならないと生きてゆけないから、意図しなくても自然にそうなるのだと思います。無意識のうちに同化していくのでしょう。一世にしてそうですから、言葉もその国になっている二世・三世をや。

    実は私にも同じような経験があるんですよ。たった三年ですが北欧で生活して、帰ってから暫くはよく言われました。

    「ハーフですか?」(北欧系がちょっとね)

    「日本語で宜しいですか?」(讃岐弁なら多少は)

    グダグダ言って、結局それが言いたかったんかい(笑)。

     

    主題に戻り、残された時間の中で、お腹に溜まったヘドロを如何にして吐き出すか。凡人には難しい。そのまま持って逝くのかな。

     

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    気象予報士

    2018.10.25 Thursday

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      現役の時には仕事柄、お天気(気象・海象)の変化や動きにとても敏感でした。天気の良し悪しは、部隊(艦艇・航空機)の行動に直接影響するからです。従って、朝のミーティングなどでは、陸上部隊においても常に「気象」のブリーフィングを行います。勿論我々は、天気図を読むことができます。これは絵であり写真ですから、天気図が意味することの概要を理解できるということです。読み解くとまではいかないので、素人プラス程度でしょうか。

      因みに、普通のサラリーマンは、台風が近づいてくると早く帰宅しようとなりますが、我々艦乗りは「艦に帰る」と家人に告げる。艦に「行く」のではなく「帰る」のです。相方も分かったもんで「あっそ」で終わり。期待されてない(笑)。台風前夜には、(日本の)軍港はもぬけの殻になります。艦艇を横付けにしたままにしていると、波で岸壁にガチャガチャして船を壊すので、沖に出るか安全な湾や島影で台風をやり過ごす。これを荒天避泊又は荒天避航と言います。

       

      さて、専門的な気象との出会いは、防衛大学校で二年に進級し海上要員に指定された時でした。ですので、とても長い付き合いをしていることになります。家人よりもよほど長い(笑)。今ではこんな教育はしてないと思いますが、教官(海上自衛隊の先輩)が一枚の日本地図を各学生に配布します。全国の観測点と、緯度経度だけが記されている日本地図。これに、NHK(教育)ラジオから流れる気象情報(データー)を記入していくのです。例えば「厳原では南南東の風、風力3・・・」ってな放送を、鉛筆で素早く書き込んでいく。厳原や足摺や御前埼などがどこにあるか、分かってないと記入することはできない。「どこだっけ」なんて探してると、2〜3か所は飛ばすことになります。等圧線や気圧のデーターなどもあります。メモなんか取る余裕は全くなくて、最初はとにかく放送についていくのがやっとの状態です。慣れないと結構しんどい作業です。そして一枚の絵ができると、これを自分なりに分析して、明日・明後日の予報を書き込む。これで作業は終了です。

      艦乗りになって航海長になると、気象員(下士官)が天気図を作ってくれました。その頃には FAX で天気図を受信するのが主流になってました。なのですが、私が仕えた艦長は「予察(予報)は航海長の仕事」と言って、航海中は毎日天気予察をやらされた。体力を使う話ではありませんが、素人(予報士)にとって、毎日の予察はきつかった。当時は嫌な仕事だったが、そうやって私を育ててくれたのだと思う。

       

      後年、護衛隊群司令(海将補:少将)に昇進して副官が付きましたが、この人が気象予報士の資格を持つ専門家でした。この方、長く陸上部隊で仕事をしてきたので海上経験が少なく、当然のことですが艦艇部隊の作戦や部隊の運用には明るくありません。また、どちらかと言えば寡黙で、口数が多い人ではなかった。ですがその彼が、一旦作戦会議や朝のミーティングで「気象」のブリーフィングになると、それはそれは立て板に水を流すように淀みなく説明する。メモなんかは一切持ってません。スクリーン(天気図)を指しながら、滔々と発表するのです。流石にプロや、カッコいいなと思いました。私が航海長の時にやっていたやっつけ仕事などは、彼に比べると幼稚園生みたいなものだった。

      ある日、彼に訊いてみました「副官、気象予報士はどの程度勉強すれば資格が取れるのかね?」。我が副官はニヤリとして言ったものです「本を三冊程度理解すれば取れますよ」。ふ〜ん。その時、俺もやってみるかと「受験」が頭をよぎったのですが、退役するまでとてもとても、そんな余裕はありませんでした。

       

      今年は、特に我が郷里の四国方面は台風の当たり年でした。にわか農家の私も少なからず被害を被り、農業の難しさや厳しさを実感しました。話は飛びますが、かつてオランダに遊んだ時に見た、チューリップの公園(キューケンホス)は本当に美しかった。赤、白、黄、青、ピンクなどが均等に区分けされたチューリップの絨毯、それが遥か向こうまで広がっている。帰国して父にこの話をして、「米作りに拘泥せずにチューリップを栽培してはどうか?」とジャブを入れてみました。帰国前、懇意な商社員にこの案を提示して反応を窺ったところ、「花は一兆円産業ですから、いいと思います」とのことだったから。その時の亡父の回答がふるっていた。「この田んぼから10円儲けることが、どんだけエライ(大変な)ことか」。それ以上は言いませんでした。今あの時の父の言を、しみじみと噛み締めています。

       

      台風が来そうなときには、艦は乗って逃げれば良かったのですが、大地に根を張ったものは動かすことができない。従って、正面から台風や異常気象と向き合わなければならない。そこで Old Sailor は閃きました。そうだ、気象予報士の資格を取ろう(笑)。いつも直感と勘ピューターで動く人間です。しかも、この発想は何処から来たのかと言うと・・・歴史に学んだことです。かつて幕臣の小栗上野介が横須賀に造船所を作ろうと考えた時、彼は、船を作るためには鉄の工具が必要だ。だから、造船所の前に製鉄所だと。これが今日の横須賀と帝國海軍が発展した原点です。横須賀市民や海上自衛官は、そこのところを忘れてはいけませんぞ。

      で小栗さんの発想と気象予報士に何の関係があるのか?決して論理的な話ではありませんが、そう閃いたのだから仕方ない。

       

      私が今やろうとしているのはパパイヤ君。その理由は単純です。

      1.実家にかなりの休耕田がある。この土地を活用して食物を栽培すれば、きっとご先祖様から「褒美」を貰える。即ち儲かる。私の動機は常に不純です(笑)。更に、衰退一途の村おこしの一つになる(かもしれない)。将来的には、農を通じて子供の教育と人材の育成に資する。

      2.設備投資が要らない。基本的には私が汗をかくだけ。堆肥なんか、畜産農家や酪農家に分けて貰えばタダ同然です。処分に困っている廃棄物を売って、おかず代がでれば彼らもハッピー。

      3.村人たちは猪と猿に泣かされているが、過去三年間、鳥獣被害は一切ない。

      4.地球(日本)は温暖化の傾向にあり、近い将来、日本が暑くはなっても寒くなることはない。即ち、今日の気候変動・温暖化は熱帯植物の栽培に追い風。

       

      まこういうことなのですが、この子たち(パパイヤ)の成長には日照時間が大きく関係します。そんで気象予報士にジャンプした。自分でも何でか分からんけど、知識があれば何か役に立つような気がする。持っていても邪魔にはならんだろう。ただそれだけです。と言いたいが本当は、合格率5%未満で超難関の気象予報士を持ってる農家って、何となくカッコいい。

      このように不純な動機があるのと無いのでは、壁に突き当たった時に出るエナジーが違ってくる。ゴールが明確でブレず社会に貢献できるのであれば、動機は不純であっても問題ないと私は思っています。

       

      さても、首尾よく資格をゲットした暁には全世界に向けて公表公開しますが、1〜2年経っても音沙汰ない時には、武士の情け「あの話どうなったの?」なんて野暮な質問はしないで下さい。お願いします。

       

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      軍艦旗問題

      2018.10.18 Thursday

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        拙稿を読んで下さっている方から連絡を頂きました。「この度の隣国との(軍艦旗に関する)問題に関し、貴兄には特別の想いがあるでしょう。ついては、その想いをブログで発信しては如何か」と。大変有り難いことです。既にSNSなどを通じて意見は出尽くした感がありますが、なかでも私が尊敬してやまない(海上自衛隊の)先輩、香田(洋二)元海将が10月15日付産経ニュースに投稿された論評が最も正鵠を得ていると考えます。

         

        ただ折角のご下問でもありますので、浅学を顧みず、先輩諸兄とは違った視点・切り口で本件を少し考えてみたい。

         

        先ずは、防衛省・海上自衛隊の対応は当たり前と言えば当たり前ですが、極めて適切であり、図らずも日本人の(高い)民度を世界に発信する機会になったと思います。何よりも、関係者の毅然とした態度が良かった。過去我が国は、何かにつけて事を荒立てないように、曖昧或いは控えめな態度に終始してきました。靖國問題然り、教科書問題然り、慰安婦問題然りです。その結果どうなったか。問題はより複雑になり、何ら解決の糸口は見えておりません。しかし今回は、関係者が歩調を合わせて一歩も引かなかった。

        一方お隣さんは、端的に言うならば「男を下げた」。その後も、あれこれと発信している様子が海峡を越えて聞こえてきますが、理に叶わないことは国際社会では受け入れられない。それが証拠に、列国海軍は堂々と軍艦旗を掲げて観艦式に臨んだと報じられています。勿論、水面下で多々調整があったことは想像に難くありません。であれば尚更、あの要請は何だったのか、ということになります。

         

        当局の要望が我が国だけに限定した要求・要請であったならば、列国海軍はニヤニヤと高みの見物で、嗚呼やってるやってると軽く受け流し、当該海軍がさほどの恥をかくことはなかったでしょう。失笑を買うこともなかったと思います。これを要するに、世論に迎合したボタンの掛け違いでしょうか。一笑に付すという言葉がありますが、笑い話にもならないというのが私の見方です。世論と政治に翻弄され、笑いものになった彼の海軍が気の毒でなりません。

        在京の(隣国)大使館には海軍武官がいるはず。彼の国と海軍を代表する武官が、本件をどのように解説するか問うてみたいものです。今回の軍艦旗問題に関する所見は that's all 。

         

        以下は、本件に派生してつらつら感じたことです。

        今日の国防・軍事は、納税者である国民の理解なくしては成立しません。ましてや、国民監視の下にある政治と軍が、勝手に兵を動かすなんてことはあり得ない。先進国は皆同じでしょう。我が国が行っているPKOや海賊対処などの国際平和活動・行動についても、国民の支持があってこそ成立する。しかし、世の中には多様な意見や見方があるのも事実です。一方で多くの国民の声、即ち民意が常に正しい方を向いているかと言えば、必ずしもそうでもない。戦後日本の、重要な局面における政治と民意の関係を振り返ってみれば、或いは今日の我が国の状況から推察すると、一部の(自称)知識人や政治家が民を煽り、そして時代の空気を醸成していることが分かる。そこのところ(少数意見の取り扱い)は難しいが、国内にいろんな意見があってこそ健全な民主国家であり、政治がその民意を反映すべきであることは自明です。

        しかしです、政治は決して国民に「おもね」てはいけない。この「民意の反映」と「国民におもねる」の違いは、紙一重ではありますが全く異なったアプローチになる。このような視点で今回の問題を読むと、お隣さんは未だ発展途上にあると言えるのではないでしょうか。我々は、そのような認識をも併せ持って、隣国と付き合う必要があるのではないか。

         

        翻って我が身を顧みれば、我々もさほど威張れたものではない。少し時代は遡りますが、平成3年(1991)の秋、ペルシャ湾に派遣された掃海部隊が、生死をかけた仕事を成し遂げて帰国しました。その際、次のような小話が、末端の幹部である我々に伝わってきました。「小話」と言いますのは、私自身が直接その場に居合わせていないので、本当のところは承知していない。今で言うところのフェイク・ニュースかもしれないので、曖昧な表現になります。もし小生の記憶違い、或いは誤認識でしたらお詫びします。して、その小話とは:

        掃海部隊の入港(帰国)に際し

        1.出迎え時に「軍艦マーチ(行進曲「軍艦」)」は演奏するな。

        2.帰国部隊は自衛艦旗(軍艦旗)を降ろして入港せよ。

        いずれも海上自衛隊が譲歩できる話ではない。もしこれを受け入れたら、自らの存在を否定したことになる。そしてそれは、我々の歴史において消せない汚点になる。実際は、音楽隊が軍艦マーチを奏でるなか、帰国部隊は自衛艦旗を掲げて意気揚々と岸壁に横付けした。

        尾びれ背びれが付いた話かもしれません。真偽はともあれ、当時の空気はそんなものだったと思います。今は昔です。

        これを要するに、徐々にではありますが、我が国も「普通の国」に近づきつつあるということでしょうか。

         

        と言いたいのですが、最近の災害派遣においてさえ「市民に軍服(迷彩柄の救命胴衣)を着せた」と、批判がましい声があったと仄聞します。これも実際に自分が聞いた声ではありませんので、事実関係については自信がない。しかし、もしこの話が事実であるならば、多様な中のごく一部の意見とは言え、国民(被災者)の生命をも無視した、もう滅茶苦茶な意見でお話にもなりません。

        日本という国が未来永劫(人類が生きている限り)この地球上に存在し、世界中の国や人々から尊敬を持って見られるには、一刻も早く「普通の国」になることが求められます。私がしばしば「普通の国に・・・」と発言すると目を丸くする人がいますが、こと国防に関しては、我が国は途上国であることを申し添えます。これ以上自衛隊を大きくしたいのか、と言われるかもしれませんが、ハード(兵力)の問題ではありません。国民のマインドのことです。ここが全ての原点です。

         

        この度の軍艦旗問題を土俵の外から垣間見て、このようなことを思った次第です。私の見方は何かしら自虐的に映るかもしれませんが、現実は冷静に見つめる必要があります。悪しからず。

         

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        NZ(ニュージーランド)紀行(番外編)

        2018.10.11 Thursday

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          Old Sailor のウンチクを一言!

           

          地球を移動する場合、例えば日本からハワイに行く。ハワイと日本では、時差があることは皆さんご存知です。ではどういうシステム(決まり)になっているかと言うと、意外と知らないのではないかと。

          地球を一周すると360度は、今時小学生でも分かる。従って、地球の経度は000〜360度で構成されている、のではありません。これを180度ずつに二分割して、東経・西経と称する。イギリスのグリニッジ(天文台)を起点(000度)として、東に向かって太平洋上の日付変更線までの180度が東経。逆に、西に向かって180度まで周るのが西経です。そして、この360度(180度 X 2)を15度ずつに分割する。360÷15=24、この24の地域を縦の帯と見做し、これが時刻帯(Time Zone)になる。でも、これじゃ解りづらいので、海軍では時刻帯にアルファベットを付して呼称する。大英帝国今なお健在なり。

           

          この時刻帯には、二通りの呼び方があります。ひとつは、グリニッジから東西に0〜12まで分割して呼ぶ。0から東西に12あると計25の帯になるが、+12とー12のエリアは重複しているので24になる。上手く作っていると感心します。東経の場合は+(プラス)で、西経はー(マイナス)。例えば日本の時刻帯は、東回りなので「+9時間帯」になる。もう一つの呼称は、先に述べた我々専門家が使用する、時刻帯にアルファベットを付すやり方。26文字のアルファベットから、「J」と「O」を除いて使用する。JはIとの、Oは0(数字のゼロ)との錯誤を避けるため。因みに、我々は0(数字のゼロ)を手書きする場合には、Oと間違わないように釘を刺す。ではない串を刺します。

          グリニッジ(世界標準時)が最後のアルファベット「Z」で、東周りに順次Aから付していく。日本の場合は+9時間なので「I」となる。プロは「アイ」ではなく「India=インディア」と呼ぶ。母音の「アイ」では聞き取れないときや、錯誤の恐れがあるので。船乗りには失敗は許されないのです。

          ちょっと話は逸れますが、上記は昔「イトウ(い=・ー)、ロジョウホコウ(ろ=・−・−)、ハーモニカ(は:−・・・)」と覚えたのと同じですな。この意味が分かる方は、相当の年代かオタクか(笑)。でも、「ハガキのハ」なんて言うよりは余程響きがいいし、何とて覚え易い。丁度、私が防衛大学校の学生の時に、電信(モールス)や手旗信号に使用する五十音が、「いろは・・・」から「あいうえお・・・」に変わりました。三つ子の魂百(歳)までと言いますが、今でも手旗信号を描けます。でも「あいうえお・・・」の順に描けと言われると、ええ〜っと〜となります。体で覚えてますから。私は「色は匂へど散りぬるを・・・」にロマンを感じます。「あいうえお・・・」は無機質ですな。

          申し訳ない。若い人は、私が何のことを言ってるのか、さっぱり理解できないと思います(笑)

           

          国内線でしたが、ある時フライト・アテンダント(日本人女性)が、同僚と機内無線で「C」席のことを「チャーリー(Chalie)空いてます」と言ってました。これを聞いて意味が分かったのは、おそらく Old Sailor だけでしょう。飛行機は船から来ているので、文化が同じなのです。海外(大使館)勤務の時には、情けないとは思いつつも電話では重宝しました。重要案件で先方が私の発音を聞き取れない時「R of Romeo」などと。特にRとLの発音に弱いから。ノルウェーは徴兵制なので、文官でも軍務に服した経験がありこれで通じるのです。

           

          下らない話をしました。日本の時刻帯は、グリニッジから東に数えて「+9時間でI帯」。この標準となるのが東経135度で明石です。ここまでは素人でも知っとる。ここからが肝心(ウンチク)で、今日言いたいことです。

          外国に行く皆さん、これだけは覚えていて欲しい。「時間(時計)は東に行けば行くほど早くなる」ってこと。経度が15度過ぎるごとに、1時間早くなる。地域によっては部分的に経度線を変更しているところもありますが、基本的にはこのとおり。但し、日付変更線を越えると一日遅くなります。なんでって、一日は24時間なのでそうなっとるんです(笑)。さて、この日付変更線を越えると西経になり、今度は180度から179度へと減っていく。そして先に出たグリニッジ(Z帯)まで行くと、000度になるという仕組みです。ちょっとややこしいね。でも、ホントに「東に行くほど時間は早くなる」は覚えていて下さいな。何かで役に立つかも。

           

          時刻帯の範囲内で移動すれば、地球を一周しても基本的には、時計の針を動かす必要はないということになる。即ち時差がない。時差ボケに弱い人は、できるだけ南北に旅する、即ち経度差が少ない国や地域に行くことをお勧めします。例えば、台湾なんかは対日感情がとても良くて、食事も美味しいのでお勧めです。何よりも、これほど日本・日本人に友好的な国(敢えて国と言います)はないですよね。東日本大震災でも、いち早く世界最大級の支援をしてくれました。人間として大切にすべきです。

          赤道を越えて南半球に行くと、季節が日本(北半球)とは逆になります。従って、今回のNZ旅行では冬支度が必要でした。本当は手軽に行ける(日本の)冬に出かければ良いのですが。予算さえ許せばですが。夏と冬が真逆なので、当地(NZ)に別荘があればと思う。ハワイも考えるのですが、死ぬまでに何回(何日)使うかって考えると「やめとこ」となる。子供らは喜ぶでしょうが。エコノミー症候群だって、夢ぐらいは見ていいのです(笑)。

          そんなことをツラツラ考えると、終戦間際のドサクサに紛れてソ連(ロシア)に占拠されたままの北方四島は、軍事的な視点のみならず、日本の将来にとってどれほど価値があり重要な領土であることが分かります。何としてでも取り返さなくてはいけない。とにかく我々日本人が、その意志を持ち続けることが重要。諦めたらお終いです。

           

          最後に、初のNZ旅行で痛切に感じたこと。

          中国が太平洋に食指を伸ばして久しい今日、我が国にとって豪州・オセアニアや太平洋諸国の戦略的価値は格段に高まっています。軍事的にも経済的にも。領土には領海と接続水域、そして排他的経済水域(EEZ)が付いてきます。EEZにはどれほどの資源が眠っているか測り知れない。まさに宝庫です。何年か前に当時の米太平洋軍司令官(海軍大将)が、「中国の海軍司令官から太平洋の分割統治を持ちかけられた」と議会で証言しました。この中国の提案は、決して軽い冗談ではないと銘記すべきです。かの国は遠大な戦略を持って、着々とその権益を外(東)に拡大しつつある。既に遅きに失している感は否めないが、米国・カナダ及びオセアニアを含む太平洋諸国との戦略の整合が急がれる。

           

          いろいろ雑多なこと、てんこ盛りのウンチクになりました。次回はオーストラリアを訪問したいと考えています。

          さ〜て稼がなきゃ!

           

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          追伸 「ボーと生きてるんじゃねぇよ!」とチコちゃんに叱られる毎日です。もし事実関係に誤りや誤認がありましたら、ご指摘ください。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

          大地に還る II

          2018.09.27 Thursday

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            今年の夏は台風20号と21号が、立て続けに郷里(讃岐)を襲いました。いずれも直上通過でした。四国の中でも太平洋に面する高知は台風のメッカですが、香川を直撃して通過するのは何十年に一回あるかないかです。今年はそれが二回もおいで下さった。誰も「おいでまい(お越し下さい)」なんて言うとらんのに。

            私は現役の時から運が悪いと言うか、畢竟詰めの甘い男です。ヒューヒューと鳴る風の音を聴きながら、昨年の悪夢が頭をよぎる。台風の進路を逐次チェックしながら、「逸れろ、ソレロ!」と祈る思いで子供たち(パパイヤ)を見守りました。ですが素人農家の願いはむなしく、敵は私の子供たちを正確に targetting しており、70株のうち20株ほどがやられました。イノシシやサルが避けて通る高酵素のパパイヤを、なぜ台風が襲うのか?などと恨んでみても詮無いこと。農を営むと言うのは、そういうことなんだね。

             

            恥ずかしながら、素人はまたもやLessons Learned(教訓)を得ました。今年は昨年の失敗に鑑みてしっかり畝を立てたのですが、盛り土をやり過ぎました。大層に盛った土に苗を植えたので、根がしっかりと大地に張るまでに至らなかった。人間でいえば、表層的な知識をもって、さも知ったかのように、テレビなどでベラベラ講釈垂れる人がいますよね。専門家から見ればすぐに分かる。そんな感じかな。従って風には弱い、と推察しています。多少の盛り土はあった方が良いのですが、やはり大地に穴を掘って植え付けるべきでした。過ぎたるは及ばざるが如しです。何事も徹底しないと気が済まない性格が、アダになったと言えるかも。

            比較検証のため、岸の上に穴を掘って植えたもの、盛り土はしたけどビニールハウスの中に植えたもの(風を遮断)は、何ら被害を受けることなくスッくと立って涼しい顔をしてます。なかなか難しいもんですな。毎日が勉強ですわ。

            ただ、殆どの面々(株)は多少傾いたものの、暴風・強風に耐えて、花が散ることもなく生き残りました。健気やね。

            今年は見極めの年(伸るか反るか)と心中密かに決めていたのですが、来年以降の展開に何がしかの手ごたえを感じている Old Sailor ではあります。

             

            この植物を子供たちに見せたいと思っています。差しあたっての対象は、日々園芸について学んでいる地元農業高校の生徒さん。既に動機づけができているから。彼ら・彼女らが見て触って、この酵素がにじみ出る栄養価の高い植物・食材を、将来県内へそして四国中に広めもらいたい。君たちがその先駆けになるのだ(と勝手に決めている)。次には、小学生以下の子供たちに植え付けから収穫まで、そして食するまでを経験させたい。泥んこになって、人間が食して生きる意味を体で知ってもらいたい。ついでに(笑)、そんなことなど全く気にすることなく生きている、若い親御さんにも参加してもらいたい。このような体験をした人間は、間違いなく心優しい人間になる。人間として成長する。決して道を外すことはないでしょうし、間違っても人を殺(あや)めることなど、あろうはずがない。更には、道から逸れた経験がある人たちにも体験してもらいたい。人間が食する植物を育てる喜びは、狩猟や漁労或いは製造とはまたどこか違う、人の琴線に触れるものがあるのではないか。

             

            ちょっと小出しにしましたが、私が漠然と頭に描く農を通じた人材の育成です。残り時間は少ないのに、道は遠いですな〜(笑)

             

             

             

            【眦菁郢襪離フィシャル・サイト】

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            博海堂

             

            追伸 小学校(分校)3年生の時でした。書き出し(冒頭)に「二百十日も無事に過ぎました。・・・」と記した作文が、おなご先生に大層褒められて嬉しかったことを、今でも覚えています(笑)。

            もう台風は「こんでええ」言うとるのに、先日、南方海上で発生した24号が讃岐方面を窺ってるみたい。さて、どうなることやら。