『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』 余話 III

2019.08.15 Thursday

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    去る8月3日(土)、郷里の東かがわ市交流プラザにおいて『樋端さんのこと』と題する講演を行いました。現在、東かがわ歴史民俗資料館に於いて開催されている「帝國海軍の至宝 樋端久利雄」特別展の一環として、東かがわ市が計画して下さったものです。主催者のご尽力により350人収容の会場はほぼ満席で、講師冥利に尽きる講演になりました。地元市民を始め高松や西讃(丸亀・観音寺方面)、或いは県外からも多くの方が駆けつけて下さり、いつになく私も力が入りました。金毘羅さんの参拝を兼ねて東京から来た、と言う人もおられました。有り難いことです。

    何といっても、戦死された樋端さんの遺児でご長男の樋端一雄さん(90歳)が、必ずしも体調万全でないところ本講演会のために京都から足を運んで下さり、冒頭で御父君への思いを述べられました。それによって、とても重厚で意義ある講演会になりました。あとで知人が教えてくれたのですが、涙ぐんでいるご夫人もおられた由。

     

    少し長くなりますが、以下は一時間講演の要旨です。

     

    まず最初に本日の講演では、事柄の性格上、専門(軍事)用語が頻繁に出てきますので理解が難しいと思います。できるだけ平易に語るよう努めますのでご容赦ください。 さて演題を「樋端さんのこと」としていますが、これは海軍の伝統によるものです。海軍ではどんなに高官(元帥や大将)であっても、退役した人は「〇〇さん」と呼びます。従って、本日は終始「樋端さん」と呼ばせて頂きます。

    私が初めて「樋端久利雄」という名前を知ったのは、昭和43年4月18日です。この日、母校(香川県立三本松高校)では、大先輩である毎日新聞社会長(当時)田中香苗さんの講演会が行われました。私は10日前に入学したばかりの一年生でしたが、田中さんの話(樋端さんのこと)を聞いて防衛大学校への進学を決意しました。この日は、奇しくも樋端さんがソロモン(ブーゲンビル)に散ってから数えて丁度25年目の日でした。不思議な縁(えにし)を感じます。

     

    帝國海軍の至宝はどれほど優秀であったか:

    樋端さんは、生まれてから39歳で戦死するまでの間、成績という成績において全て首席(一番)を通しました。当時、海軍兵学校は「一高(旧制第一高等学校)か海兵か」と言われる難関校でした。それを、中学4年修了(飛び級)で悠悠と合格です。

    江田島(海軍兵学校)に向かうに際し樋端さんは、半紙一枚に墨痕鮮やか、両親と長兄宛に「告辞」と題する決意の書を残しております。中でも、特に次の一節は秀逸です。

    ・・・将来ノ敵ハ先ズ海上ニオイテ雌雄ヲ決セントス 天ニ二日(にじつ)ナシ海ニニ覇アルベカラズ・・・

    これを現代語に訳すると、後段は「天に二つの太陽がないように、海に二つの覇権(海軍力)は存在し得ない」と言います。そして前段に帰って「従って近い将来、太平洋において日米両海軍が衝突する」と予言します。当時(大正9年:1920)、情報源は新聞程度しかない田舎の中学四年生(現在の高校一年生)が、真珠湾攻撃の20年以上前に日米開戦を看破している。樋端さんにはそれだけの先見性と歴史観があり、であるが故に海軍を志す、という国家観をも持っていたということです。

    しかもこの「海にニ覇あるべからず」は、現在の国際情勢においても生きている真理です。例えば東西の冷戦時代、太平洋では米第7艦隊+海上自衛隊とソ連太平洋艦隊が拮抗していました。ソ連はレーガン大統領が打ち上げた”600隻艦隊構想”に対抗して軍拡に走りますが、経済が疲弊して国そのものが無くなりました。冷戦の終焉です。現在はロシア(旧ソ連)海軍にとって代わって、中国海軍が勃興しつつあります。果たして二十年後の太平洋の力学は、どのようになっているのでしょうか? 本日は趣旨が違うので多くを語りませんが、我が国にとって死活的に重要な問題です。 

     

    樋端さんは海軍兵学校を首席で卒業します。卒業式のご名代は、伏見宮博恭殿下(海軍大将、軍事参議官)です。卒業式には、両親が讃岐から駆けつけ参列しています。恩賜の短剣を拝受する我が息子を、どれほど誇らしく感じたでしょうか。

    同期生の2割弱が入学試験を経て海軍大学校に進みますが、樋端さんはここも首席で卒業します。天皇陛下の行幸を仰ぎ、卒業式では軍刀(長剣)を下賜される栄に浴します。海軍兵学校・海軍大学校ともに首席で卒業(所謂、二冠を達成)したのは、帝國海軍76年の歴史でたったの二人しかおりません。

    昭和11年3月、樋端さんは恩賜の軍刀を引っ提げて故郷に凱旋し、母校(大川中学校)で講演をします。この時の記念(集合)写真が残っておりますが、彼はなぜか平服(背広)です。海軍大学校恩賜となれば、周りには将来の海軍大臣・軍令部総長と目され、本人の心情も”飛ぶ鳥落とす勢い”のはずです。彼が平服で帰郷したのは、本人のシャイな性格もあるでしょうが、要は「ほんまもん」は裃を付ける必要がない、即ち何ら自分を大きく見せる必要がない。従って、常に淡々としているということでしょう。

     

    その後、樋端さんは海軍省(霞が関)勤務となります。配置は軍務局第一課(員)。軍務局は海軍省の筆頭局、第一課はその筆頭課です。この時に一緒に勤務した東大出の書記官が、戦後述懐して曰く:

    ・・・軍人はバカと石頭の集団とばかり思っていたが、樋端中佐が起案する文書は完璧で文句のつけようがない。質問に対する説明は丁寧で、しかも軍事専門家として理路整然としている。それでいて謙虚でおごり高ぶるところは微塵もない。これが本当の海軍の秀才かと頭が下がる思いがした。・・・

    斯様に樋端さんは、人格識見ともに兼ね備えた稀有な人材でしたが、私は彼を天才と呼ぶのには違和感があります。即ち、彼は努力の人でもあった。中学時代には、学校への登下校時に歩きながら本を読む。家に帰ると農作業が待っている。その合間に、庭の柿の木に登って英語を暗唱する。なぜか? 木に登って勉強すると、居眠りをすると落下するので自然と集中できるから。夜は油代が勿体ないので、遅くまでは勉強できない。後年、本人が当時を振り返って「あの頃はまさに蛍の光・窓の雪の世界だった」と。

     

    海軍大学校の学生時代、樋端さんは空母の運用について提案します。当時、教官の一人に小澤治三郎大佐(最後の聯合艦隊司令長官、中将)がいました。後年、空母運用の第一人者と言われた提督です。彼は「空母の使い方(作戦)については樋端に教えて貰った」と述懐しています。

    もう御一方、大西瀧治郎中将。この人は特攻の生みの親と言われ、多くの若い命を死に至らしめたと責任を感じて、終戦時に自決した人です。大西さんは山本(五十六)さんと同じように航空機推進派ですが、彼の空母+航空機作戦の理論的な裏付けは樋端さんがやった。樋端さんが大西さんに直接仕えたことはないのですが、大西さんの陰の参謀と言われています。

    更に、このときの樋端さんの発想は、現在、世界第一級の米海軍が採用している空母打撃任務群の原型と言えます。私には、今封切中の映画「アルキメデスの大戦」の主人公(菅田将暉が演じる東大出の天才数学者:海軍技術少佐)と樋端さんがピッタリ重なります。勿論、樋端さんはバリバリの兵科将校ではありますが。

     

    支那事変における飛行長としての戦績:略

     

    聯合艦隊航空参謀:

    昭和17年11月20日付、樋端さんは聯合艦隊航空甲参謀に補されます。司令長官は山本(五十六)さん。この人事には、山本さんの強い引きがあったと推察しております。理由を挙げて説明します。

    1.樋端さんの岳父(井上繁則)は、山本さんと海軍兵学校の同期(32期)です。山本さんは井上さんに「貴様の婿を借りるぞ」と事前に仁義を切ります。この仁義は「自分はいずれ逝く。婿さんについても(戦死を)覚悟してくれ」と言う意味です。井上さんは「こういうご時世だ。覚悟はできている」と応じています。

    2.樋端さんの聯合艦隊航空参謀への補職は二回目であり、私の経験からして、これは通常あり得ない人事です。即ち、同じ配置(航空参謀)で、しかも自分より序列後任の者の後を襲うと言うことは、ある意味降任・降格に等しいからです。従って、山本さんにとっては「樋端でなくてはならなかった」ということ、即ち余人を持って代え難しの人事です。次の作戦参謀へ、という含みがあったと考えます。

    3.山本さんの国葬が終わって数日後、山本禮子夫人が樋端邸を弔問して千代夫人に「大切な人を道連れにして申し訳ありません」と詫びました。禮子夫人は戦後(昭和37年)も、樋端家に弔意を表しています。この年、練習艦隊が初めて赤道を南下するとの情報を得た禮子夫人は、出港準備中の練習艦隊を訪れて「これは樋端航空参謀への追悼文です」「ブーゲンビル島の近傍を通過する際に海に投げ入れて下さいませんか」と白い封筒を艦長に託しました。これ即ち、山本さんは生前、自分の参謀として樋端さんを引っ張ることを、しばしば禮子夫人に話していたのは間違いないでしょう。

     

    ではなぜ、山本さんは樋端久利雄に白羽の矢をたてたのか? 一言で言えば樋端さんは「山本さん好み」だった。具体的には:

    1.聯合艦隊は既にじり貧の状態にあり、戦勢を回復するためにエースを登板させた。

    2.地球儀で国際情勢を判断する・できる山本さんは、遠からず日本は負けると思っていた。従って、聯合艦隊の後始末のため、もう一歩踏み込んで言えば、海軍の敗戦処理のために樋端さんをもってきた。 

    というのが私の推理です。

    そして、昭和18年4月18日、山本さんが岳父井上さんに告げたことが現実のものになります。

     

    前々回のブログ『海軍と日本』関連:

    歴史にif(もしも)は通じないが、もし樋端さんが生き残って戦後の復興にどれほど貢献されたかと思うと、歯ぎしりする思いです。そして樋端さんと南原さん(元東大総長)、同郷の二人が対談したなら・・・東讃(旧制大川中学)が生んだ不世出の二つの知性、類まれな二つの頭脳が膝を交えた時、どのような話の展開になるのだろうか? 

    最近、そんなことを思います。

     

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    Workaholic

    2019.08.01 Thursday

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      突然ですが、一所懸命に働くのは何か間違ってますか? 一生懸命に働くってことは、可笑しいことでしょうか?

      この疑問に対する私なりの結論を急げば、世界に誇る日本人の高い民度は、とにかく懸命に働くことによって向上し維持されてきたし、今後もそうであって欲しいと思う。

      よく例に出されるのが、戦後の廃墟から立ち上がった奇跡の復興です。特に経済復興。「どこかに故郷の香を乗せて・・・」の世界です。完膚なきまでに叩かれながら、それでも立ち上がって、わき目もふらずに働いてきた結果です。中には負の成果や忘れ物もありますが。またご一新後の急速な発展や近代化は、勿論、日本の夜明けを牽引した先人の先見性に刮目すべきですが、基本的にはこの小さな列島に住む民衆、この国の民の「向上心と働く意欲」によって導かれたものでしょう。いくら将来を見越した立派な旗振りがいても、それに応じて汗をかく大衆がいなきゃ国家のゴール(国家目標)には届きません。

       

      小国民が最近の「働き方改革」と称する議論やこの国の昨今の風潮を危惧するのは、一生懸命に働くことが何か「悪いことをしている=悪」みたいな空気があることです。多様な意見があってもいいと思いますが、国全体の大きな流れがそうなるのはちょっと危ない。大多数の国民がこぞって、「汗水流して働くなんてバカみたいだ」「アホらし」「そこそこに働いとけばいい」みたいな感覚になると、国の成長は頭打ちになるはず。勉強でも仕事でも、何をやったって同じ程度の潜在能力なら、他人(ひと)より努力した方が勝つにきまってます。

      直接的には本件とリンクしませんが、何年か前に過労死が大きな社会問題になりました。今だに、ちょくちょく同じような例が報道されます。生身の人間が体と頭を使って仕事をするわけですから、適正な労務管理は働く者にとって極めて重要です。でも過労死は、働くこと自体が主たる原因でもたらされるものではない。懸命に働くことが悪いのではなく、上司や管理者が部下に対して人間の肉体的・精神的な限界を超えてまで働くことを(半ば)強要すること、或いは自らの意志でそうする(過剰に働く)こと、またそういう環境や空気が職場で醸成されていることが間違っている、ということです。人間は機械(鉄人)ではないので、(一日)24時間働き続けることはできません。しかも辛抱できる限界は、人によってマチマチです。このような労務管理の問題を、日本人の美徳である「誠実・勤勉」と同列に扱ってはいけない。どうもそこを混同して議論しているような気がします。

       

      徹夜で仕事をするのは邪道、現役の時からそう思っています。仕事の効率が極めて悪い。そして、長期戦には絶対に耐えられない。でも日本人は「徹夜で頑張ること」が好きですよね。それが美しいことみたいに思っていて、徹夜で頑張ったと聞くと琴線に触れるものがある。しかしそんなことして、継続的に成果を出せるわけがないのです。私が見た限りアメリカ人(軍人)は、絶対にそんな仕事の仕方をしない。必ず仕事と休息・休養を交互に入れます。我々が一日(24時間)交替の当直を組むときには、彼らは半日交替とか8時間交代にする。日本人よりもずっと理に叶った、人間の生理を尊重したやり方です。日本人は拳を揚げて「頑張るぞ〜」みたいな、精神論や勢いで頑張ろうとしますが、彼らはあくまでも理論的に組み立てようとする。だから過労死なんてあり得ないわけです。その結果、日本は集中力があるので短期決戦には強いが、長期戦になると息が切れる。軍における労務管理の問題は、日本がアメリカに敗れた要因の一つだと思う。

      ただ、時には(ここぞという時には)ぶっ続けての仕事を余儀なくされることもあります。要するに、汗をかく人(作業者)に如何に効率よく、しかも快適に仕事をしてもらうか(させるか)を管理者は常に考えなければいけない。ゴールを明示することと適正な労務管理は、リーダーの必須要件です。

       

      ゴメン!言ってることが支離滅裂になってきたので、自分のことに話を転化します:

      と言いながら私は仕事が好きです・・・多分。目の前にある仕事自体が好きです。好きな仕事を選んでやっているから、ということもあるかもしれません。仕事をすること、即ち体を使って(ほんのチョビット頭も使って)行動し、その成果物として何かが転がる(動きだす)ことが好きなんだと思います。汗をかいて何がしかでも良い結果が出ると、心が爽快になります。事の大小や得られるお金の額などは、あまり関係ありません。勿論、成果は大きいほど宜しい(笑)。しかし、ほんの些細なことであっても達成感ですね。そして生きがい。仕事の達成感と言うのは、何ものにも代えがたい。生きる喜び、生を実感すると言っても差し支えないと思います。だから大した事でなくても、全力投入する。私のこのような姿勢・生き方は、敵がどんなに小さなターゲットであっても執念を持ってせん滅を図る、ミリタリーの性(さが)かもしれません。

      大した努力をしてもないのに、成果が得られることが稀にあります。これはギャンブルで当てるようなもので、たとえ得られるものが大きくても心の喜びは小さい。やった〜と声には出るかもしれませんが、じわじわと来る心の満足感はありません。

      私の発想が、所謂ジコチュウ(自己中心的)であることは否定しません。僅かな名誉欲もあるでしょう。でも自己中だろうが何だろうが、些かでも社会に貢献できるのであればそれで宜しいがな。

       

      退役して多くの民間人と付き合い観察して分かったのですが、大きな仕事(ここでは取り扱う事業のレベルや金額を指します)をする人・できる人は常人とは着眼が違うんだよね。私のようにチマチマしたことなんか目標にしてない。パパイヤ1個が5百円で売れた〜みたいな(笑)。でもね汗をかいて得られたものは、たとえ小さくても達成感があるんですよ。私は日本の子供たち・地域の子供たちに、農を通じてそんな経験をさせたいと思っています。

      表題と全く関係ない話になっとる(笑)

       

      さてWorkaholic :日本語では「仕事中毒」とかあまり有り難くない訳をされますが、私が信頼する英英辞典でも次のように説明しているので、欧米でもいい言葉ではないようです。少なくとも尊敬されてる風情ではないですね。人間の尊厳を重視する欧米ですから、当然そういう見方になるのでしょう。

      A workaholic is a person who works most of the time and finds it difficult to stop working in order to do other things.

      それは分かる、でも素朴な疑問です。ノーベル賞を受賞するような研究者や金メダルを取ったオリンピック選手や世界的な大きなプロジェクトを成し遂げた人などなど、歴史に刻まれるような成果を出した人の、血がにじむような努力は当然のことながら世界中から称賛されます。でありながら一般庶民のこと(働きバチ)になると、何故素直に受け入れられないのだろう・・・?

       

      繰り返します。老兵(Old Sailor)が心配することでもないのですが、国民の一人ひとりが使命感を持って誠実に、一心に働くことを笑ったり否定したりしてると、いつかこの国は「日本」という国名ではなくなりますよ。よしんば生き延びても、二流国・三流国に落ちぶれてるはず。

       

      明日への向上心をなくした国、そして働く努力を忘れた民族や国に栄光はありません!

       

       

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      海軍と日本

      2019.07.18 Thursday

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        此処のところ少し時間があったので、『海軍と日本』(池田清:中公新書)を再読した。私はそれほど読書が好きではないし勉強も嫌いな方なので、同じ本に何回も目を通すことはまずない。しかしこの本と『戦艦大和ノ最期』(吉田満)だけは、折に触れて開いてみる。少し考えが違う所もあるが、この二冊は私のバイブルとも言える貴重な蔵書である。現役の時には、仕事に迷いが生じた時や、行くべき方向を見失いかけた時に紐解いた。

        著者の池田清さんは海軍兵学校73期、海軍中尉で終戦を迎え、戦後東京大学(法学部)に学んだ後、長年に亘り東北大学で教鞭を取られた政治学者である。

         

        恥ずかしながら、私がこの本の存在を知ったのは『戦艦大和ノ最期』に比べるとかなり遅い。平成9年(1997)、前年にノルウェーから帰国し練習艦隊(首席)幕僚の配置に就いていた。この年、練習艦隊が大阪に寄港した際に宝塚(歌劇団)の小林公平さんに、任官したばかりの初級士官に対する講話をお願いしていた。私も拝聴のお相伴にあずかり、後輩の最後列で話しを聴いた。小林さんは講演の中でこの本を紹介され、若い幹部に是非読むようにと勧められた。早速、一冊求めて出国前に一読した。小林さんご推薦の通り、とても示唆に富むものだった。不勉強でそれまでこの本の存在を知らず、不明を恥じるばかりであった。しかし仮に若い頃に読んでいても、手強くて中身を咀嚼するまでには至らなかったと思う。

        因みに、小林さんは海軍のご出身(海兵75期)で、そのご縁で海上自衛隊、特に練習艦隊は「宝塚」と懇意にさせて頂いている。練習艦隊は遠洋航海に出る前に、実習幹部を海洋と艦に慣らせるため(慣海性の涵養)内地(国内)巡航を行っており、大阪又は神戸には毎年寄港する。その際に催される地元の歓迎レセプションでは、「すみれのは〜な〜・・・♪」が会場に響き渡る。帝國海軍の遺産と縁は有り難いものである。音楽学校の躾けを含む教育には、海軍の伝統が反映されている(と仄聞する)。

         

        今回この本をひも解いたのは、近々のうちに地元で拙著『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』の主人公、樋端久利雄について講演を行う予定があるので、もう一度自分の知識と考え方を整理したかったからである。拙著三冊に描いている私のものの見方や考え方は、多分にこの本『海軍と日本』と『戦艦大和ノ最期』の影響を受けている。とりわけ『ソロモンに散った聯合艦隊参謀』、即ち樋端さんの生涯は帝國海軍の勃興と衰退そして終焉に繋がるので、必然的に『海軍と日本』に重なるのである。

        大変生意気な言い方ではあるが、拙著『ソロモン・・・』で私が描こうとしたのは樋端さん個人の評伝だけではない。出来栄えは別にして、樋端さんの生涯を通じて縦糸に戦争と海軍を、横糸では時代に翻弄された軍人家族の愛、即ち「戦争と平和の意味」を問おうとした。しかしノンフィクションであることの制約もあり、にわか作家の付け焼刃ではゴールに届くはずもなかった。

         

        『海軍と日本』は、全編を通して帝國海軍の批判に満ち満ちている。これでもかこれでもかと、帝國海軍の組織や人の脆弱性、そして錯誤を抉り出している。あの米内さん(最後の海軍大臣)や山本(五十六)さん(聯合艦隊司令長官で戦死)とて例外ではない。この本が世に出た当時(昭和56年:1981)は、まだまだ海軍の諸先輩がご存命だったので、こと(帝國海軍滅亡の要因)の本質を突く著者に対する風当たりは強かったのではないか。それでいて池田さんの論考に、不快感や違和感を抱くことは全くない。この謂わば帝國海軍糾弾の書は、戦後の、国際情勢や世界の常識を顧みない歴史観や平和論とは明確に一線を画している。池田さんの長年に亘る研究と説得力ある筆致に加え、生き残ったが故に負う苦悩、そして帝國海軍に対する池田さんの思いが行間のそこここに読み取れるからである。弾の下をくぐった人はみな、生涯を通じて死と生の意味を問う。この本は、滅亡した帝國海軍と国難に殉じた戦友への鎮魂歌のように聞こえる。序文で彼は、自らの思いを次のように記している。

        ・・・海軍の身内にいたがゆえに、私の眼には部外者にない辛辣なものがあるかもしれない。本書を執筆しながら、私はこの海軍的体質をまぎれもなく私自身が備えていることにいや気がさした。むしろ沈黙するか、海軍を賛美するほうが、私にとっては容易であったろう。・・・

        現在の私自身も、彼の思いを共有している。

         

        本書の最後の項に、母校(香川県立三本松高等学校:旧制大川中学校)の大先輩である南原(繁)さん(元東大総長)と池田さんの対談(取材)が載せられている。「先生が海軍に期待したものは何だったのでしょうか?」の問いかけに南原さんは:

        ・・・陸軍の独走にブレーキをかけうる政治勢力は海軍しかいないというのが、当時の私の考えでした。だがこの期待は裏切られました。・・・昭和期の海軍は・・・せっかく先輩が築いた良識的な海軍の伝統を崩していったといえます。・・・

        もし樋端さんが生き残って戦後、同郷の士であり中学校の先輩でもある南原さんと膝を交えたならば、話はどのような展開になったであろうか? 片田舎の中学4年生にして、近い将来(20数年後)太平洋において日米両海軍が衝突すると看破した樋端さんの知性と、我が国の最高学府である東大総長の頭脳がどのように対峙するのか? 不謹慎ではあるが興味は尽きない。 

         

        この本の最後で著者は、次の言葉を残している。

        ・・・亡びたとはいえ、海軍の残した大きな遺産は、今後の日本の歴史の上にも影響してゆくことであろう。海軍はもっと長い目でみて、その真価がわかるのかもしれない。・・・

        翻って、帝國海軍の伝統や考え方をほぼそのまま受け継いだ新生海軍(海上自衛隊)は、幸い一度も戦火を交えることなく齢を重ね67年になる。あと10年経つと帝國海軍と肩(歳)を並べる。その時我々は、池田さんの問いかけや思いにどれだけ胸を張って応えることができるだろうか。これからの10年は、とても重要な十年になるような気がする。

         

        『海軍と日本』は教訓の宝庫であるが、中でも『此の一戦』(水野広徳)から引いた次の言葉は、今なお、そしておそらく将来も、万国に通じる真理である。

         国大といえども、戦いを好むときは必ず滅び、天下安しといえども、戦いを忘るる時は必ず危し。

         

         

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        追伸 現役の頃、一度池田さんにお会いして話を聞きたいと思っていたが、忙しさにかまけて叶わなかった。会いたいと思う人がいれば、行きたいと思う所があれば、思い立ったその時が好機、万難を排して足を運ぶべきだと反省している。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        雑草の如く

        2019.07.04 Thursday

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          今回も生意気そうなタイトルで申し訳ありません。でも中身は軽いです(笑)

           

          以前に「母の日」と題するブログを公開しましたが、私は今、母(みたいなこと)をやっています。ご先祖が残してくれた土地(田んぼと畑)で、パパイヤなるものの栽培を始めて3年になります。100本ほどの子供たちです。 一本一本に表情がありとても可愛い。しかしにわか母ちゃんは毎年大ボケをこいて、子供たちに可哀そうな思いをさせています。

          初年度は親戚筋のプロの助言に従わず、台風や大水に備えた排水を準備していなかったため、多くの子供たちが台風一過溜まった雨水が熱湯となり根こそぎやられました。次年度(昨年)は前年の教訓に鑑みて( 本人はLessons Learned を活かしたつもり)、排水用の溝を作り、しっかり盛り土をして植え付けました。これで万全と思ったのですが、あに図らんやこの盛り土が裏目に出て、根がしっかりと大地に張ることができず、繰り返し襲ってきた台風によって何割かが風で倒されました。

           

          根と言えば、ちょっと横道にそれますが、先般北海道に旅した時にビックリ仰天のトマトを見ました。写真で分かるように水耕栽培です。説明してくれた女性職員によると、土は根が伸びるのを阻害するのだそうな。それを解決するため水耕栽培にする、即ち根を自由に伸ばせてやるとドンドン成長してたわわに実をつけるとのこと。昨年の11月末に蒔いた一粒の種から芽を出したトマトが、現在では下の写真のように成長して既に大量の実をつけていました。昨年の場合、種を蒔いて350日目(10月末日)が最終日で、一年間に計1万7千個の実をつけた由。一粒の種からですよ。エエエ〜なんとなΣ(・□・;。

          植物にとって最も重要な環境であり、栽培には必須要件だと思っていた土が、実は栄養を取り込む根の成長を阻害する要因にもなっていたとは。目から鱗でした。な〜んか考えさせられる一本のトマトでした。トマト恐るべし。「えこりん村」の知恵恐るべし。

           

          さて我が家業に戻って今年は三年目の浮気、じゃなかった三度目の正直、勿論盛り土は止めて地球(大地)にガッツリと植え付けました。植え付けの数か月前には、大量の堆肥を入れて土造りをしております。何故かと言いますと、使用している田んぼの半分は15年ほど前の大雨(大洪水)で流され、故に土地が大層痩せており、昨年はその辺りの成長が悪かったためです。よし!これで今年こそ準備万端、いけるぞと意気込んだ。でどうなった(so far)?

          4月の下旬に植え付けて10日ほど経つと、二倍の堆肥を投入したエリアの子供たちは何となく元気がありません。ハッと気が付いて、慌ててこの子たちを他の場所に移植したのですが、時遅く一部は根腐れを起こして逝ってしまいました。力を振り絞って何とか生きている子たちには、私なりに最大限の手を施しておりますが、子供を産むまでにリカバリーできるかどうか予断を許さない状況です。

          これを要するに、素人が詰めの甘い仕事をして毎回(毎年)失敗し、残念ながら未だ安定生産・安定供給には至っておりません。今年の失敗を子育てに例えるなら、離乳食になったばかりの赤ちゃんに「いきなりステーキ」をガンガン食べさせたような感じでしょうか。そりゃ消化不良を起こしますわな(後知恵ですが・・・)。

          それでもめげない「にわか農家」は、販路の拡大に余念がありません。或る訪問先の社長さんにこの話をすると、大笑いされました「未だ安定生産できてないってことですよね」。「出直してこい!」と顔に書いてあった。

           

          斯様に我がパパイヤ君はとてもナイーブで弱っちいのですが、対照的に周辺の雑草は大量の栄養(肥やし)をグイグイ吸収して、えらい勢いで成長しています。踏んだり蹴ったりで、泣くに泣けない状態です。でもそこで思ったのは、決して他人のせいにするわけではないのですが「元々雑草であった植物を、人間が都合のいいようにいじくり回して(品種改良)実を大きくしたり、できるだけ多くの実がなるようにしたり、或いは人間の口に合うように美味しい葉や根や果実にしてきた。その歴史と過程を通じて、本来その植物が持っている強いDNAを削ぎ落し、この子たちの体力を低下させているのではないのか・・・。これを人間(子ども)に当てはめてみると、栄養価が高い(と思われる)もの・美味しいものをドンドン食べさせ、子供の意志や性格そして能力に拘わらずお尻を叩いて塾や習い事に通わせ、そして腫物に触るように大事に大事に育て、少しでも偏差値の高い学校に行かせようとする。勿論、我が子の将来や幸せを願ってのことなのですが。この成長過程を通じて唯一受験という競争社会だけは経験するのですが、本来人間が持っている強さを後退させているのではないか。と思ったりするのです。ちょっと思考が飛躍しすぎてますか?

           

          別の視点:肥やしをやり過ぎた(栄養過多の)個所は別にして、全く同じ条件で同じ日に植え付けたにも拘わらず、それぞれ個々の成長には多かれ少なかれ違いが出てきます。私は同じ条件にしていると思ってやっているのですが、微妙に土の肥え(痩せ)具合や含まれているバクテリアなどが違っているのかもしれません。或いは、種や苗の出自(DNA)に関係するのかもしれない。おそらく、いろんな要素が複合的に組み合わさって個人差が出てくるのでしょう。斯くの如く農という業は、奥の深い仕事であることを痛感する今日この頃です。

           

          帰省している間はほぼ毎日、田畑や土手(岸)に生えている雑草と格闘(草刈り)します。夏場には1か月も放置すると、30センチほど伸びます。流石に昔のように鎌で刈ることは殆どありません。円盤の刃をエンジンで回転させる手持ちの草刈り機と、ゴルフ場で使っているような草刈り機を使っています。お陰様で最近、足腰や腕っぷしが少し強くなりました。農園経営(と言えるほどでもないですが)の副産物です。で草刈りを終えて、或いは休憩のために中断してズボンや上衣を見ると、雑草の実がいっぱいくっついてます。最初の頃はうっとうしくて嫌だなと思いつつ取っていたのですが、最近は「こんな雑草でも、何とか食らいついて子孫を残そうとしている。その姿が何とも健気で愛おしい」と思うようになりました。一年後には、この執念の雑草に手を焼くことになるのですが(笑)

           

          何方かが言っておられました「人間の究極の目的は子孫を残すこと」。然るべき機能と力(身体的+知的+精神的)がありながらそうしない(子孫を残そうとしない)生き方を選択する、即ち自然の摂理と神に反する(と私は思っています)動物は、霊長である人間だけなのではないかな。人間以外のあらゆる生き物は、子孫を残すために懸命に生きている。なかには、役目を果たすと息絶える種もある。人間は少しばかり賢くなり過ぎたのかな・・・?

          ま何れにしても、子供は雑草のように育つのが良いような気がする。名もない草のように、困難に食らいついて生きて欲しい。そして、神から頂いた生を全うして欲しいと思う。どんな人であっても、みんな等しくいつかは枯れていくんだよ。

           

           

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          一隅を照らす

          2019.06.20 Thursday

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            先日、仕事で実家(讃岐)から大阪に行きました。今なお365連休中の私ですが、前後の予定(草刈りですが・・・なにか?)が詰まっているので日帰り出張です。以前のブログで使った「365連休」、他人様のパクリなんですが結構受けました(笑)。お腹を抱えて笑った人もいました。

            讃岐から阪神方面に行くのは、瀬戸大橋(明石〜鳴門ライン)ができて本当に便利になりました。高速バスを利用してたった3時間です。昔は高松から連絡船で瀬戸内海を横断し、宇野(岡山)に出て国鉄(JR)宇野線で岡山まで行き、そこで新幹線に乗り換える大回りでした。運賃もしっかり取られました。できた当座は、瀬戸大橋が三つも必要か(?)と思った時期もありましたが、バブル期の産物に感謝感謝です。銭はあるときに使うべし(笑)

             

            高速バス最寄りの停留所は「高速津田」と言います。眼下には平山郁夫画伯の作品にもある、美しい松原(海岸)が広がる。私が子供の頃(夏場)には海の家なども設置され、大勢の海水浴客で賑わっていました。何故か分かりませんが、今はやや寂しい状態のようです。ですが阪神方面行のバスは、各社が競って結構本数が多い。下(一般道路)のローカル・バスなどよりも、余程頻繁に走ってます。さてはいつものことですが、早めにバス乗り場に到着して気持ちを落ち着かせる。とにかく、時間と心に余裕がないと気が済まない性格です。家人には嫌われますが、洋上勤務40年で培われ習い性になってしまいました。因みに、前の晩に明くる日の行動予定を、名刺大の小さなメモに書き込んで持ち歩きます。

             0700 潅水

             1300 懇談(〇〇) 

             1400 道の駅:バタールX1  

                 ・

                 ・           

            みたいな(笑)

             

            乗り場(bus stop)には小さな小屋(待合所)があります。今日の話は、その「高速津田(停留所)」で見た驚くべき光景です。些細なことではありますが、久し振りに感動しました。待合所の中には、大きく「禁煙」の張り紙があります。だからでしょうか、情けないことこの上ないのですが、待合所の周辺には吸い殻が散乱しておりました。同郷の身として誠に恥ずかしい。田舎に行くほど喫煙人口(比率)は多いような気がします。近場の多く(絶対多数)の飲食店は分煙どころか、当たり前のようにテーブルの上に灰皿が、時には重ねて置いてあります。店内に入ると煙草臭でムッとする。ですから田舎のカフェ(喫茶店)には入りません。美味しいコーヒーを飲みたいから。と言いながら、コンビニで格安のコーヒーを買い車の中で飲むのですが。

            さて、待合所横に捨てられた吸い殻を目にして、正直「ここでタバコを吸うか・・・?」と思いました。すぐ裏には樹木があり、山林火災の恐れもあります。風で飛んだのでしょうか、樹木の中にも吸い殻が見えます。

            高速バスがひっきりなしに来ます。しかし殆どのバスは、予定時刻よりも10〜15分程度遅れてきます。大概の運転手はバスに乗ったまま少し待って、お客さんが居ないと判断するとそのままバスを出す。乗るべきバスに気が付かなくて、乗り遅れた人は自己責任ですね。

            一台のバスが、予定時間を少し遅れて到着しました。私が乗車を予定していた前の便です。この運転手さん、お歳は30代の後半とお見受けしました。停留所に着くとサッとバスを降りて、シュッシュと素手で吸い殻を拾い集めるではないですか。そして待合所の中を覗き込んで「ご乗車はありませんか?」と確認したのち、運転席に戻って車を出しました。カッコよかったですね。一連の行動が実に洗練されており、当たり前のように吸い殻を拾い集めた。集めた吸い殻は、バスに置いてあるゴミ袋にでも捨てたのでしょうか。なかなかできることではない。

            彼の行動を見て、ただ文句だけに止まった自分の思考を誠に恥ずかしく思いました。最近の若い者はとか、逆に年寄りはとか、男はとか女はとか、とにかくごく一部の人を観てグループ全体を評価しがちですが、人間性には年齢や性別は関係ありません。学歴や職業などは全く関係ありません。比較して申し訳ないのですが、前回のブログで描いたお二方(先生と俳優)に比し、この運転手さんは余程人間的に優れている(私見です)。その行為にパフォーマンスなど全く見えません。彼は誰が観ていても・観ていなくても、同じことをしたでしょう。とにかく、さりげない行為が素晴らしかった。もし私が、この方が勤務する会社の社長であったなら、全社員の前でその善行を披露し表彰する。

            出掛に爽快な気分になったためか、その日の仕事は珍しく納得のいく出来になりました(自己採点)。運転手さんの名札を確認する時間がなかったのが誠に残念ですが、有り難うと申し上げたい。

             

            拙著『指揮官の条件』(講談社現代新書)で、究極の場(有事)において最も信頼できる戦闘員は、「日頃から誠実」で「与えられた任務に忠実な人」であると描きました。私自身を含め、多くの人間は「俺が・私が・・・」となります。鼻が高い人や功を焦る人は信頼性に欠けます。与えられた仕事をカッチリこなす人、人間として誠実であること。社会貢献においては、これに勝るものはないと思う。なお社会貢献は、公務員の専管事項ではありません。どんな仕事、どんな職業であっても、何らかの形で社会に貢献しています。こういう人が家族を守り地域を守り、そして国を護ることができる。と私は思っています。他人のやることにグダグダと、ピント外れの文句ばかり垂れて、何ら具体的な改善策を提示しない・できない人、自らが汗をかこうとしない人には辟易とします。

            生意気言うようですが、そういう人には大きな仕事は任せられません。でも、この手の人間が多くなっているような気がします。今日の日本では。

             

            国政選挙が近そうです。批判のための批判には、もううんざりです。この人に本当に日本の将来を託していいのか、この人がホンマに地域の代表選手でエエのか、よく吟味したいものです。

             

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